曹操が徐州で大虐殺を繰り広げていたころ、
本拠地の兗州でクーデターが起こりました。
呂布(りょふ)、張邈(ちょうばく)、陳宮(ちんきゅう)の3人が
手を結び、兗州を乗っ取ってしまいました。
曹操と張邈は親友だった
張邈は、かつて曹操、袁紹(えんしょう)と深い友情で結ばれていました。
反董卓連合が結成された際にも、
3人はともに戦い、協力し合った仲です。
こんなエピソードがあります。
袁紹は、もともとお坊ちゃん育ちでもあり、身分の高さを鼻にかけている
ところがありました。
反董卓連合の盟主に選ばれたことで、さらに態度が助長したので
張邈は「おい、そういう態度とるなよ」と物申したのです。
すると袁紹は激怒し、曹操に「張邈を殺せ」と命じました。
曹操は「張邈は俺の親友だ!」と言って必死にかばったといいます。
今回、徐州攻略にあっても、
曹操は家族にこう言い残しました。
「俺に何かがあったら、張邈を頼れ」
こうまで曹操は張邈に信頼を寄せていたのです。
陳宮は曹操飛躍のきっかけをもたらした人物
191年、曹操がまだ袁紹配下の一武将に過ぎないころ、
黒山賊という反乱軍討伐に向かいます。
この時曹操に手を貸したのが、鮑信(ほうしん)と陳宮です。
このとき、曹操は黒山賊を打ち負かしたことで飛躍し
東群太守となり、本拠地を構えることができたのです。
袁紹配下から抜け出すきっかけとなりました。
張邈と陳宮はなぜ曹操を裏切った?
きっかけは呂布との出会いでした。
この頃呂布は、長安を追われ、袁術に助けを求めるものの
拒否され、
袁紹のもとに一時的に身を寄せるものの
煙たがられて暗殺されそうになり、逃げているときでした。
呂布と張邈はかつて、董卓軍と反董卓軍として敵対関係に
あったのですが、
二人は会うなり意気投合してしまうのです。
猛将呂布には、なにか人を惹きつけるところがあったのでしょうね。
この頃曹操は、悪名高い徐州の大虐殺の真っ最中でした。
いくら親友とはいえ、曹操は恐ろしい人だと認識した張邈は
「このままではいつか俺も曹操に殺されるかも……」
という不安がよぎったのです。
陳宮も同じでした。
それほど曹操の徐州攻略は、味方であった人々にも深い傷跡を残したのです。
陳宮は迷う張邈を説得し、
ついには3人でクーデターを起こすことになりました。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。