「諸葛(しょかつ)」という姓を聞けば、多くの方が蜀(しょく)に仕えた
軍師、諸葛孔明(しょかつこうめい)を思い出されると思いますが、
実は魏や呉にも「諸葛」姓を持つ人物が仕えていました。
この記事の目次
諸葛孔明の祖先は前漢に仕えた政治家、諸葛豊
諸葛孔明(諸葛亮 しょかつりょう)の祖先とされている人物に、
前漢時代の政治家、諸葛豊(しょかつほう)がいます。
諸葛豊は琅邪郡(ろうやぐん)という地方の出身で、
彼の血統につながる諸葛姓の一族を「琅邪諸葛氏」と呼びます。
諸葛豊はどんな仕事をしていたの?
諸葛豊は前漢の第十代皇帝の元帝に見出され、司隷校尉(しれいこうい)という役職に抜擢されました。
司隷校尉とは宮廷に仕える大臣を見張って取り締まる役職です。
地位の高い人を処罰することはなかなか難しいことですが、
諸葛豊は誰に対しても怯むことなく職務を遂行して、その厳しさで知られました。
元帝は彼を気に入り、高い俸禄を与えました。
ある時、皇帝の外戚(がいせき)に当たる人物が罪を犯し、諸葛豊はその人物を逮捕しようとしました。
外戚とは皇帝の母親や妃の一族のことです。諸葛豊に逮捕されそうになったその人物は宮廷に逃げ込み、元帝に助けを乞いました。
外戚を追いかけてきた諸葛豊は元帝に訴えて逮捕しようとしますが、元帝は彼に与えた特権を取り上げてしまいます。
以来、元帝は諸葛豊の言葉に耳を貸さなくなってしまいました。
この事件をきっかけに、宮廷内で諸葛豊を批判する声が高くなり、
諸葛豊は後に降格、さらには罷免されて無役のまま亡くなりました。
呉の策士 諸葛瑾
諸葛孔明の兄、諸葛瑾(しょかつきん)は呉の孫権に仕えた政治家であり、武将でした。
呉の王であり、後に皇帝となる孫権(そんけん)は彼を高く評価し、重用しました。
諸葛瑾は関羽(かんう)討伐やその後の魏との戦いで功績をあげて大将軍の地位にまで出世し、68歳でこの世を去りました。
孫権は孔明にもオファーをしていた
諸葛孔明と兄弟であることから、孔明が劉備(りゅうび)の使者として呉を訪れた際、
孫権は諸葛瑾に、孔明を自分に仕えるよう説得するよう命じます。
しかし諸葛瑾は「私が呉を裏切らないように、弟も決して劉備を裏切らないでしょう」
と言って断りました。
孫権は彼の言葉に感銘を受けたとされています。
諸葛瑾はロバそっくり?
諸葛瑾の顔は面長で驢馬(ロバ)に似ていました。
ある時、孫権はいたずらで、驢馬の顔に「諸葛子瑜」(しょかつしゆ)と書いた紙を貼り付けました。
「子瑜」は諸葛瑾の字名(あざな)です。
それを見た諸葛瑾の息子、諸葛恪(しょかつかく)は、その紙に「之驢」と書き加えました。
「諸葛子瑜之驢」は“諸葛瑾のロバ”という意味になります。
諸葛恪の賢明さに感心した孫権は、そのロバを諸葛瑾に与えました。
反乱を起こした諸葛誕
魏に仕えた諸葛誕(しょかつたん)は、孔明や諸葛瑾の遠縁に当たる人物です。
中央でいくつもの役職を歴任した諸葛誕は才能のある人物として名声を得ます。
“絵に描いた餅”という故事成語の元
しかし、その名声を鼻にかけるところがあったため、
魏の第2代皇帝、明帝(めいてい)から
「名声は絵に描いた餅のようなものだ」と批判され、一時は職を失います。
この出来事は後に“絵に描いた餅”という故事成語の元になります。
明帝が亡くなった後、その後実権を握った曹爽(そうそう)の元で復帰を果たします。
曹爽は司馬懿との権力闘争に負ける
しかしその曹爽は、司馬懿(しばい)との権力闘争に破れて投獄、処刑されてしまいます。
諸葛誕はその後も司馬懿に登用されましたが、
彼自身はいつか司馬一族に殺されるのではないかという不安を抱いてしまいます。
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征東将軍に任じられた諸葛誕
征東将軍(せいとうしょうぐん)に任じられ、呉方面に転任していた諸葛誕の元に、
彼を司空(しくう)に任じ都である洛陽(らくよう)に戻るよう辞令がくだります。
これが彼を都におびき寄せて殺すという司馬一族の罠だと思った諸葛誕は、十数万の兵を率いて魏に反乱を起こしました。
諸葛誕は呉に援軍を求めて魏軍と戦いましたが、結局戦場で倒れ、その首は洛陽に持ち帰られました。
若き日の諸葛誕はどんな人だったの?
若き日の諸葛誕が初めて仕官した際、
「蜀漢は其の竜を得、呉は其の虎を得、魏は其の狗を得たり」と評判になりました。
現代語に訳すと「蜀は諸葛氏の竜を、呉は虎を、魏は狗を得た」となります。
竜とは諸葛亮(孔明)、虎とは諸葛瑾、そして狗とは諸葛誕を指しています。
狗(いぬ)というと、現代の私たちにはあまり良い意味とは思えませんが、
この場合の狗とは「功績のある者」を意味しており、つまりこの言葉は諸葛誕を褒め称えたものです。
朝鮮や日本にもある「諸葛」姓
「諸葛」という姓は中国だけではなく、朝鮮や日本にもあります。
朝鮮では「諸葛」は「チェガル」と読まれています。
ほとんどの姓が一文字である朝鮮では「諸葛」は数少ない二文字の姓です。
朝鮮の「諸葛」氏は諸葛孔明の曽孫である諸葛忠(しょかつちゅう)がその始祖であるとされています。
日本にも「諸葛」という姓は存在します。
読み方は「しょかつ」ではなく主に「もろくず」とされます。
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