三国志の群雄の中では秒速で皇帝を名乗り、仲王朝を興して秒速で滅んだ袁術、そんな彼にも、もちろん部下はいるのですが、袁術自身がハチャメチャであるので部下達の運命も、悲惨だったり、微妙なものになりました。
関羽と渡りあった豪傑 腹ペコで斬られる 紀霊(きれい)
ほとんどが、袁術同様に、残念な部下が多い仲王朝の面子の中で、唯一、異彩を放つ豪傑が紀霊です。
重さ11キロの三尖刀という武器を操る豪傑で、かつて呂布(りょふ)が劉備(りゅうび)を裏切り徐州を制圧すると、呂布の援軍として劉備を討伐しようと3万の軍勢を率いて、徐州の州都、下邳(かひ)まで来た事もあります。
その時には、劉備軍の豪傑、関羽(かんう)と30合に渡って打ち合いを演じて引き分けに終わっています。
袁紹(えんしょう)軍の豪傑、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)をあっという間に斬った関羽と30合も打ち合うという所に紀霊の武勇が偲ばれます。また、この紀霊は、袁術が皇帝になり、贅沢三昧で暮らして部下に逃げられる事態になっても、袁術を見捨てずに最期まで共をするという男気を見せています。しかし、いよいよ、袁術が疫病と敗戦と飢餓で崩壊した都、寿春を出て従兄弟の袁紹の元へ逃げのびる時の事。
紀霊と張飛の一騎打ち
曹操は、袁術と袁紹の連合を阻止しようと劉備と朱霊(しゅれい)を差し向けて、きたので、これを防ごうと、紀霊は劉備の義弟、張飛に挑みます。ところが、たったの10合打ち合っただけで、紀霊はあっけなく張飛に討たれてしまうのです。
どうやら、その理由は、ほとんど食糧がなかった袁術軍において、紀霊も、空腹に悩まされていたからだと言われています。関羽と対等に撃ち合う力を持ちながら、腹ペコで討ち取られるとは、紀霊将軍もやはり、トホホな存在です。
三国一の身の程知らず 関羽に秒殺 荀正(じゅんせい)
荀正は、紀霊将軍の配下で、なかなか武勇に自信があったようです。かつて紀霊が、関羽と一騎打ちをし30合を打ち合い決着が付かなかった時荀正は、紀霊の命令で、引き続き関羽と相手をするように命令されます。普通なら、自軍で最強の紀霊と打ち合った関羽を警戒しそうなものですが、自分の武勇に自信がある荀正は一味違います。馬に乗って槍を構えると、「この無名野郎!掛かってこい!」と関羽を挑発。疲れていた関羽は、この一言に激怒して、荀正を秒殺しました。
この身の程知らずぶり、さすがです。キング・オブの袁術の配下と言えるでしょう。