曹操(そうそう)が漢中を征服した事で、
強い危機感を持ったのは劉備(りゅうび)でした。
ようやく、益州を支配して本拠地を持ったというのに、、
また、曹操が追いすがってきたのだから当然です。
とは言え、以前とは違い、劉備には孔明(こうめい)という知恵袋がいました。
早速、劉備は孔明に相談をします。
孔明の知恵を劉備に授ける
孔明:「心配には及びません、ここは孫権(そんけん)に働いてもらいましょう
手薄な合肥城を呉に攻めてもらい、曹操の関心を漢中から逸らします」
劉備:「だが、孔明、孫権がタダでそんな事をしてくれるだろうか?」
孔明:「無論、ただではありません、、
孫権が喉から手が出る程に欲しがっている荊州三郡を返還してやりましょう
元々三郡は返す約束のモノ惜しくはありません」
劉備は、孔明の提案に賛同して、伊籍(いせき)を使者に立てて呉に派遣します。
この伊籍は、以前、蔡瑁(さいぼう)に殺されかけた劉備を逃がした人物で、
現在は、その縁で劉備に仕えていたのです。
呉の孫権は劉備の要請を受け入れる
呉の孫権は、劉備の言い分を受け入れ合肥(がっぴ)城を攻める事を約束します。
孫権:「相分かった、、劉備殿と余は、妹を介して姻戚である、、
この位の事はお安い御用であると伝えてくれ」
こうして、孫権はようやく、劉備に貸していた荊州三郡
長沙、桂陽、江夏を取り戻す事が出来たのです。
何で孫権は劉備の提案を引き受けたの?
もちろん、孫権は、劉備の狙いが、呉と魏が戦う事で、
曹操が劉備を攻められなくなる時間稼ぎであるという事を重々知っていました。
しかし、以前より合肥城の守備が僅か7000名と手薄であり、
曹操が、漢中征伐に忙しい今こそが、合肥攻略の絶好のチャンスだと
前々から考えてはいたのです。
孔明の策には、当然、この事も入っていましたし、
孫権が合肥城攻略を行うには、曹操が漢中を攻めている今しかない
と言う事もよく知っていました。
孫権:「いいだろう、今回ばかりは、劉備の古狸の口車に乗ってやる」
孫権、自ら先陣に立ち合肥城を攻める
孫権は、自らが先陣に立ち、10万の大軍で合肥城を目指して進軍します。
長江を渡った、呉軍は途中の和城、晥(かん)城を次々に攻略して、
簡単に、合肥城に近づきました。
合肥城には張遼・楽進・李典が待機
当時、合肥城に入っていたのは、僅かに7000の兵力、
守備していたのは、張遼(ちょうりょう)、楽進(がくしん)、
李典(りてん)の3名でした。
ところが、この3名は過去の経緯で仲が悪く、人の仲裁が無ければ、
仕事でも連携できないという有様、、
合肥城は、簡単に呉軍の手に落ちると思われました。
ですが、この合肥の戦は、その後の三国志でも希な大激戦になってしまうのです。
それは、張遼という古参の名将によって実行されました。