10万の大軍を率いて、合肥(がっぴ)城に迫ります。
すでに、和城、晥(かん)城を抜いて、呉軍は意気盛んでした。
ところが、兵力7千名と圧倒的に劣勢な合肥城には、さらなる大問題がありました。
それは、城を防衛する張遼(ちょうりょう)と、李典(りてん)、
そして楽進(がくしん)の仲がとても悪かったのです。
この記事の目次
張遼は呉軍に奇襲を仕掛ける事を提案
張遼は、曹操(そうそう)の救援が到着する頃には、
合肥城は完全な包囲状態になる事を見越して、手勢を出して、
呉軍に奇襲を仕掛ける事を提案します。
張遼:「一度、呉軍を撃破してから、その後に籠城すれば、士気が下がる事はない
そうして、時を稼ぎ、殿の援軍が来るまで持ちこたえるのだ!」
しかし、圧倒的な大軍の呉の前に、魏の諸将は内心震えあがってしまい、
誰も奇襲に志願する者はいませんでした。
そこで、張遼は、自らが奇襲軍を率いる事を決意しますが、
それには、どうしても彼と後一人の援護が必要でした。
李典は何で、張遼と仲が悪いの?
そこで、張遼は、自分と仲が悪い李典に奇襲部隊を率いる事を提案します。
ところが、李典は、奇襲部隊に加わる事を躊躇します、それは呉軍を恐れたから、
ではなく、かつて呂布(りょふ)の軍に張遼がいた事を問題視していたからです。
李典の叔父は呂布軍に殺されていて、李典にとっては張遼は叔父の仇だったのです。
李典が躊躇する理由を知った張遼は、このように言いました。
張遼は李典に私情を挟むなと伝える
張遼:「君が私を恨むのは私情だから構わぬ、しかし、今は、この合肥の城が呉に奪われるか
どうかという瀬戸際だ、君はそれでも私情を優先し私に協力しないのか?」
そうして、張遼はたった一人で、決死隊を募る準備を開始しました。
それを見た、李典は深く恥じ入り、張遼に膝を屈して私怨を捨てて協力する事を誓います。
張遼は、こうして、李典と自分が奇襲部隊を率いて、城を楽進に守らせる事にします。
決死隊を募ると800名集まり士気を高める張遼
張遼が決死隊を募ると、800名の志願者がありました、張遼は、彼等を労い
戦死した時には、その遺族の面倒を必ず見る事を約束し、牛を一頭殺して、
その肉を振るまって、士気を高めました。
張遼が呉軍に襲いかかる
張遼は、鎧を着込んで戟を手にすると、獣のような雄たけびを上げながら、
城を撃って出ました、まさか合肥城から、攻撃してくるとは思わなかった呉軍は
慌てて、防戦一方になります。
張遼:「聞けィ、呉の腰抜け共!我こそは、魏の張遼文遠、我が首が欲しくば前に出よ」
張遼は、風のような速さで、呉の兵を数十名斬り、部将二名を斬殺、
突進の勢いで戟が折れると、殺した敵の武器を奪いさらに前進を繰り返します。
張遼は、返り血で真っ赤に染まり、その形相に怯えた呉軍は、波が割れるように
道筋を開けてしまう程でした。
張遼の活躍で呉将・陳武が討たれる
張遼の凄まじい戦いぶりは、800名の決死隊にのりうつりました。
決死隊は、孫権の本陣にまで突入、呉将、陳武(ちんぶ)は討ち死にし、
徐盛(じょせい)は軍旗を奪われるという大混乱に突入します。
孫権は、危機を察知して、馬に乗り、弓を放って、魏兵を射殺しながら
小高い丘の上に逃走します。
張遼は孫権の顔を知らないのが唯一の弱点
張遼は、呉軍の慌てぶりから、自軍が孫権を追い詰めている事を確信しますが、
孫権と面識がない為に、標的を絞る事が出来ませんでした。
張遼:「孫権!この腰抜けめが、丘の上などに逃げずに降りてきてワシと戦え!」
張遼は、丘の上に向かって挑発しますが、孫権は乗らず、張遼の周辺に、
軍を集中して、これを包囲しようとします。
張遼:(ちっ、、勝機を失ったか、だがここで捕まるわけにはいかぬ!)
張遼は、包囲の左右から脱出するかのように指で合図をしておいて、
意表を突いて、正面突破を図りました。
張遼と決死隊数十名は、包囲を突き破る事に成功しますが、あまりにも
強引な突破だったので、まだ数百名の魏軍が包囲の只中に残されました。
「張遼将軍、助けて下さい!」「将軍、我々を見捨てるのですか!」
決死隊は、呉軍に押しつぶされながら、悲鳴を上げて助けを請います。
張遼:「待っておれ、お前達だけを見殺しにはせぬ!!」
張遼は、その悲鳴を聞くと、再び、呉軍の包囲に斬り込みました。
ここでも、張遼は滅茶苦茶に奮戦して、包囲を突破、取り残された
決死隊の元まで辿りついています。
鬼神のような張遼の戦いぶりに呉は意気消沈
呉兵は、鬼神のような張遼の戦いぶりに意気消沈し、
将は号令を掛ける力も失う有様になりました。
その日、張遼と、決死隊は朝から晩まで戦い続け、日没を迎えた頃に
合肥城に撤退しました。
魏軍の損害は数百、呉軍の損害は数千名に上りました。
呉軍は、意気消沈している所に、さらに疫病が大流行し、
孫権は、とうとう退却を決意します。
孫権は撤退する事を決意するが、張遼は許さない
呉軍は、孫権が最後尾に残って、近衛兵五千騎を残して
呉軍を撤退させはじめましたが、張遼は、それを察知すると、
果敢にも再び城を出て奇襲を掛けます。
ここに、攻守は完全に逆になりました、孫権は自ら戟を奮い、
魏軍に対抗しながら、背後に撤退します。
ここで、呉将の凌統(りょうとう)は自らが300名の兵と決死隊を組織して、
魏軍に突撃して時間を稼ぎました。
孫権は、退却を重ねて、ようやく国境の橋を渡ろうとしましたが、
その橋はすでに張遼によって3mばかりが落されていました。
孫権はどうやって張遼から逃げたの?
窮地に立った孫権ですが、その時に谷利(こくり)という側近が
孫権の馬に鞭を入れて勢いをつけたので、孫権は何とか、
橋を飛び越える事が出来たと言います。
最期まで戦場で時間を稼いだ凌統は、十数名の残存兵と鎧を着たままで、
川に飛び込んで、泳ぎ、満身創痍の状態で帰還します。
それを聞いて、孫権は狂喜して喜んだと言われています。
張来々
張遼は、降伏した呉兵から、孫権とは赤毛で、背が高く、足の短い男で、
弓をよくすると後に人相を聞き、
張遼:「くそっ、あの男が孫権だったのか!知っていれば手捕りにしたものを!」
と楽進に語り悔しがったと言います。
こうして、張遼に率いられた合肥城の800名は、孫権の10万の大軍を撃破しました。
以来、呉では張遼の名前は、恐怖の代名詞で、泣いている赤ん坊でも、
「張来々」(張遼が来るよ)というと泣きやんだと言われています。
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