曹操 生涯最大の苦戦 烏桓討伐|完結編

郭嘉

 

官渡の戦いの後、後継者争いを演じた、袁尚(えんしょう)は

兄弟の袁煕(えんき)と共に烏桓族を頼って北方に逃げていきます。

 

郭嘉

 

曹操(そうそう)は、善後策を協議しますが、郭嘉(かくか)

「北方の憂いを断つために断固、烏桓を討伐すべし」という

意見に賛成して軍を出します。

 

しかし、それは、想像を絶する過酷な自然との戦いでした。

前回の記事:曹操、生涯最大の苦戦 白狼山の戦い|烏桓討伐編(前編)

 

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曹操自ら、行軍の苦しさを詠んだ 苦寒行(くかんこう)

曹操

 

この遠征の途中、曹操は過酷な自然環境を詩人の目で観察して、

後世に残る名詩を詠んでいます、その名も苦寒行です。

 

北上太行山 艱哉何巍巍 羊腸坂詰屈 車輪爲之摧

樹木何蕭瑟 北風聲正悲 熊羆對我蹲 虎豹夾路啼

谿谷少人民 雪落何霏霏 延頸長歎息 遠行多所懷

 

この詩の意味は、以下のようなものです。

 

北の大行山に登れば道は険しく山は高々とそびえている。

道路は羊の腸のように曲がりくねり、その為に車輪は砕けそうになる。

 

樹木はどことなく寂し気で風の音はひどくうら哀しい。

 

熊や羆は私の前でうずくまり、虎や彪は道の両側から吠えかかる。

 

渓谷には人家は少なく、雪はしんしんと降り積もる。

首を伸ばして、長いため息をつく、これまでの行軍の長さを考えると

より一層、私の憂いは増すばかりだ。

 

曹操は烏桓よりも、過酷な自然環境の脅威に恐れおののき、

さらに畏敬の念さえ覚えているように受け取れます。

 

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曹操、ついに烏桓族と交戦する

烏桓

 

ひたすらに長く、地獄のような行軍を続けた曹操軍は西暦207年、

ついに、柳城に近い大凌河の渓谷に出現しました。

 

斥候兵の報告を信じていた蹋頓(とうとん)や

袁尚(えんしょう)袁煕(えんき)は突然の曹操軍の奇襲に動揺しました。

 

この時、曹操軍は、軽騎兵だけの数万騎に対して

烏桓の兵力は、未だに整っていない有様だったのです。

 

曹操は、小高い丘に駆け上がり、情勢を判断しながら、

張遼(ちょうりょう)に命じて騎兵を繰り出し

烏桓の軍勢を散々に打ち破ります。

 

これを白狼山の戦いといい、敗れた烏桓の単于、蹋頓は戦死して、

烏桓の主だった名将は、すべて討ち取られました。

 

ただ、袁尚と袁煕は、逸早く脱出しさらに落ちのびて

遼東太守の公孫康(こうそんこう)を頼っていきました。

 

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白狼山の戦いで烏桓の勢力は壊滅

郭嘉

白狼山の大勝利で、烏桓の勢力は殆ど壊滅しました。

曹操軍の中には、この大勝利に気を良くして、さらに遼東の

公孫康まで攻めようという者もいましたが、郭嘉がこれを制止します。

 

郭嘉:「公孫康は、我が軍を恐れているので、禍を受ける前に、

袁尚と袁煕の首を届けにくるでしょう。

それよりも、長く、本拠地を空けて南が心配です」

 

郭嘉

 

そのように発言した郭嘉も、健康を害して咳き込んでいました。

 

すでに季節は冬を迎えており、曹操軍に取っての帰路は、

来る時に劣らない過酷な旅になりました。

 

食糧は足りず、大事な軍馬を数千頭も殺して喰う程になり、

雨が降らない為に、雪の地面を掘り70メートルも掘り下げて

ようやく水を得るというような具合だったようです。

 

郭嘉の予言通り、公孫康は、曹操を恐れて、袁尚、袁煕と、

烏桓の武将を軒並み捕えて斬首しました。

 

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曹操は北方を平定する、しかし代償は大きかった・・

郭嘉

 

烏桓は、曹操に帰順して、曹操は数万という優秀な騎兵を確保し

軍事力を強化する事が出来ました。

 

同時に、北方の袁家を完全に滅ぼし、荊州や呉に侵攻するのに、

憂いが消滅したのも大きな収穫でした。

 

郭嘉

 

ですが、一方で曹操は軍師の郭嘉を許都に帰還して間もなく失います。

体が丈夫ではない郭嘉に、烏桓の従軍は無理だったのです。

 

曹操は、郭嘉と休養を欠いたまま、荊州を併合し、やがて、

呉と劉備の連合軍と赤壁の戦いを起しますが呉の周瑜の前に

大敗北を喫して、つかみ掛けた天下を逃します。

 

郭嘉

 

曹操は「郭嘉さえいれば、赤壁の大敗は無かった」と悔しがった

そうですから、なおさら烏桓の代償は大きかったと言えるでしょう。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

白狼山の戦いは、曹操に自然の脅威というものを意識させた

戦いだったと思います。

 

溢れるような知略を持つ、曹操や郭嘉でも寒さ、飢え、渇き、

長雨、悪路というような単純だけど、強力な自然の脅威の前には

殆ど無力であるという事を曹操に理解させたのが、

この白狼山の戦いだったのでしょう。

 

「俺達は一体、誰と戦っているのか?」

 

敵と遭遇する事なく、ただ、寒さに凍え、飢えに倒れる兵士を見た時に、

曹操は何度も自問自答を繰り返し、それが皮肉にも詩人としての

曹操の才能に深みを加えたのではないかと個人としては思います。

 

今日も三国志の話題をご馳走様・・

 

次回記事:曹操 生涯最大の苦戦 烏桓討伐|完結編

 

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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。

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