高順(こうじゅん)の名前は、三国志ファンの中でも、とてもマイナーです。下手をすると、「え?関節の痛みを軽減するやつ」と言われかねません。
しかし、史実の高順は、張遼(ちょうりょう)と双壁と呼ばれた名将なのです。
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自らの伝はないが、あちらこちらに記録が残る
高順には個人の伝はありません、しかし、呂布(りょふ)との関わりが多い事から、後漢書の呂布伝、三国志の呂布伝、そして魏の王粲(おうさん)が記した、漢末英雄記、そして九州春秋に名前が散見されます。
※王粲は、元荊州の劉表配下、不細工な為に嫌われたけど、曹操が荊州を併合した時に見出されて活躍、得意技はロバの鳴き真似
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部下を厳しく監督し、攻撃した敵陣を必ず降す、「陥陣営」
高順は、人物が寡黙で、僅かの酒も飲まず、また贈物の類を一切受け取らない清廉潔白な将軍だったようです。しかし、彼の率いる700名の軍団は武器、防具、兜ともによく精錬されたものを使い、一度敵陣に襲いかかると、必ず陥落させる事から、陥(かん)陣営というあだ名をつけられ恐れられていました。清廉潔白で贈り物も取らないし酒も飲まない、何だか全て呂布と正反対です。
袁術と陳宮が煽動した郝萌を瞬時に倒す
西暦196年、呂布が劉備(りゅうび)の徐州を乗っ取って、下邳を占領していた頃、郝萌(かくぼう)という呂布軍の武将が反乱を起した事があります。
呂布は体制が不利なので逃げますが、高順は、呂布を匿い素早く弓部隊に命じて郝萌の部隊を攻撃し、反乱を鎮圧しました。
この郝萌の叛乱には、袁術(えんじゅつ)と呂布軍の参謀、陳宮(ちんきゅう)が関わっていたと言われますが、兎にも角にも、高順は呂布を守りつつ、反乱を鎮圧したのです。
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高順を認めながらも助言を聞かない呂布
西暦197年、開陽に駐屯中の臧覇(ぞうは)が琅邪(ろうや)国相の蕭建(しょうけん)を撃ち破って莒を占領した時、蕭建を味方にしていた呂布は怒り臧覇を攻撃しようとします。しかし、高順はそれを押しとどめ、「座して待てば臧覇は降ります」と進言します。
ところが、呂布は聞かず、強引な城攻めをして、にっちもさっちもいかなくなり退却してしまいました。高順の助言通り、臧覇は間もなく呂布と同盟を結びます。このように陳宮のケースと同様に、呂布は高順を武将として評価しつつも、その助言には耳をかさないという態度を取ります。
張遼を配下に小沛に劉備を攻撃し、劉備の妻子を捕える
西暦198年、高順は中郎将として、張遼を率いて小沛の劉備を攻撃します。劉備は、妻子を放り出して命からがら曹操を頼って亡命します。高順は首尾よく劉備の妻子を捕えました。
しかし、劉備を受け入れた曹操(そうそう)は、呂布に襲いかかり、下邳を攻撃、高順や張遼は善戦しましたが、呂布軍内部では、高順と陳宮の深刻な対立もあり曹操軍の糧道を断とうと考えた呂布も迂闊には動けず、結果籠城の形になります。当初は、下邳を攻めあぐんだ曹操ですが、献策を入れて城を水責めして兵糧攻めに転じた所、12月には呂布軍は内部崩壊を起し呂布も高順も捕らわれました。
名将高順を尽く無視した呂布のドSっぷり
呂布は当初こそ、高順を優遇しましたが、後には警戒し敬遠するようになったと言われています。その発端は、196年に郝萌の叛乱を高順が瞬時に鎮圧したからです。呂布は、高順の見事な手際を見て不快になり以後、高順を警戒するようになります。
その為に臧覇との戦いでも高順の助言を無視し、無駄な損害を出してしまいました。そればかりでなく、呂布は高順に兵を預けておく事も不安に思うようになり血縁のある魏続(ぎぞく)に、高順の兵を丸ごと与えて、戦争のある場合にだけ、高順に魏続の兵を貸し与えるというかなり屈辱的な扱いをしています。
しかし、それでも、高順は一言も呂布に恨み事を言わず、曹操に捕まり首を打たれる瞬間まで冷静そのものでした。主君の呂布が、死ぬ寸前まで曹操を罵っていたのとは対照的です。
三国志ライターkawausoの独り言
張遼と違い、曹操に仕える事なく死んだ高順ですが、その人柄は魏の家臣である王粲の記した漢末英雄記で高く評価されています。
高順は、曹操を散々に苦しめた呂布の配下であるにも関わらずです。敵が書いた書物でさえ、称えられる高順は、大変な人物だったのだと言えるでしょう。ちなみに高順は、コーエーのゲームでは三国志Ⅱで初登場ですが、Ⅲまでは武力60台の凡将で、Ⅳから武力と統率が80台に急上昇しています。
今後、高順が大活躍するゲームや漫画が出るなら、さらに能力はあがるかも知れませんね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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