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【袁紹と袁術の関係を正す】其の1・字からの考察

2016年4月7日


 

孔明 司馬懿 名前はどこで

 

三国志の登場人物には「姓」と「諱(名)」の他に「(あざな)」があります。

「字」とは成人した男性が、親や師などにつけてもらう呼び名です。

有名のところでは諸葛亮孔明です。

この場合、孔明が字になります。

 

沖縄 関羽

 

関羽雲長の場合は、字は雲長ですね。

諱は目上の人や主君しか呼ぶことを許されておらず、そうでない人が諱で呼ぶことは不敬とされていました。

(首を討つような立場であれば話は別ですが)

基本は姓に官職を付けた呼び方です。

孔明の場合であれば「諸葛丞相」、関羽の場合であれば「関将軍」のような感じです。

字は気心の知れたものが使用します。

同志の間柄でしょうか。

劉備は主君の立場でありながら諸葛亮のことを孔明と呼んでいたのはその辺りに理由がありそうです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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字は兄弟の順を表している規則性

太史慈 孫策

 

この字には規則性があるといわれています。

長男には「伯」、次男には「仲」をつけるというものです。

孫策(そんさく)の字が「伯符」、孫権の字が「仲謀」ですので、これに該当しています。

 

孫策

 

 

「伯仲」という言葉は「よく似ていて優劣のないこと」を云いますが、語源はここからきています。

確かに孫策と孫権は性格や国の政治は対称的ですが、実力は伯仲していますね。

ちなみに三男は「叔」、四男が「季」、五男が「幼」とされています。

 

泣いて馬謖を斬る

 

「泣いて馬謖を斬る」の馬謖の字は「幼常」。しっかり五男です。

他にも「孟」や「玄」は長男を示しているそうです。

 

馬超

 

馬超の字は「孟起」。やはり長男です。曹操は「孟徳」。劉備は「玄徳」で長男です。

これは日本でいう「太郎」「次郎」「三郎」と同じでわかりやすいですね。

 

「公」の字をもつ三国志の登場人物は?

朝まで三国志 袁術

 

袁術の字は以前にも紹介しましたが「公路」です。

諱の「術」にも字の「路」にも同じく「途(道)」という意味があるそうです。

では「公」の方はどのような意味があるのでしょうか。

 

周瑜

 

他にも字に「公」がつくのは、周瑜の「公瑾」や劉禅の「公嗣」など多数登場してきます。

共通点はあるのでしょうか。

 

「公」は何番目?

周瑜 美男子

 

ここに兄弟の順を示す規則性があるのでしょうか。

周瑜は周異の子供です。

名は不明ですが兄がいたそうです。周瑜は次男です。

劉禅の父は劉備です。養子である劉封が兄です。となると劉禅は次男ということになります。

ここから導き出される答えは「公」は次男を意味しているということです。

袁術は本来、家督を継ぐ立場にはなかったのです。

では長男が袁紹なのでしょうか。

 

袁紹の字は何を表しているのか?

袁術

 

袁術の父親は袁逢(えんほう)です。

兄に袁基がいて、袁家の家督を袁逢亡き後に継いでいます。

袁基の字は不明ですが、おそらく「伯」や「孟」、「玄」などの文字が入っていたに違いありません。

袁紹の字は「本初」です。文字通りに受け止めると、

「本来ならば初めの子」や「本当の初めの子」などが推測されます。

一説には袁紹は袁逢の庶子で、袁逢の兄である袁成のもとへ養子に出されたとあります。

字は人生の途中で変更も可能ですので、養子に出されて変更したのかもしれませんが、

イメージとしては「本初」は長男、嫡男ですね。

わかりにくい字をつけやがって、と思ったりもします。

これで袁基亡き後の家督争いが混沌としてくるのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

字だけを見ると、袁紹が袁術よりも兄弟順位が上のように感じます(同族であれば兄弟同様に順番に字をつけるそうですし)

しかし、袁基が嫡男だったと考えると、やはり「公」の字を持つ袁術が二番目であり、

袁基が董卓に処刑された跡の正当な次期当主のようにも思えてきます。

おそらく当時の世論も割れていたのではないでしょうか。

袁家が一枚岩だったら天下を統一できていただろうに、実に悔しい「微妙な問題」です。

 

次回記事:【袁紹と袁術の関係を正す】其の2・勢力図からの考察

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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