宿敵・曹操(そうそう)とは別の意味で不倶戴天(ふぐたいてん)の仲である
劉備(りゅうび)と呂布(りょふ)、劉備からすれば呂布は、棚ボタで得られた
徐州牧(じょしゅうぼく)の地位を奪われた憎っくき相手でした。
事実、呂布が曹操に捕まり、そこでも媚びだした時には、劉備が呂布を罵倒して
呂布が縊り殺される切っ掛けを造っています。
しかし、劉備が最初から呂布を警戒していたわけでもない事もまた事実、
では、劉備はいつ、呂布を胡散臭いと思ったのでしょうか?
※こちらの記述は裴松之が引く王粲の英雄記に由来します。
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言っている事が一方的な呂布
呂布が劉備を頼ったのは、西暦194年、兗州で張邈(ちょうばく)、
陳宮(ちんきゅう)と蜂起して失敗し、一年以上、曹操と内戦をして
敗れて徐州に逃れた時でした。
呂布は普段の傲岸不遜な態度もなく、大人しく劉備に敬意を払うと、
いきなり自分の身の上話を切り出しました。
「いやぁ、劉将軍は辺境の出身だそうですな?奇遇な事に私もそうなのです
聞いてください、私は、かつて関東の諸侯が董卓を誅殺しようと軍を興すのを見ました。
なのに、後に私が董卓を誅して東に出たのに、関東の諸侯は誰一人として、
私を厚遇する者はなく、逆に殺そうとするばかりなのです」
こうして、呂布は同じく辺境出身という事で何とか同郷の情を得ようと
求め、かつ関東の諸侯をボロクソに貶す事で自分を保護してくれた
劉備を持ちあげようとしています。
ここで劉備は、呂布が一方的な事ばかり言っている事に気づきます。
この頃の劉備は傭兵隊長ではなく、一州の長ですから、黙っていても
呂布の情報は入ってくるからです。
初対面から馴れ馴れしい呂布
こうして一通りの挨拶をしてから、呂布は劉備を自身の帳(とばり)に入れ、
婦人の牀上(ベッド)に劉備を座らせて、婦人に挨拶をさせてから、
酒を注がせて接待をします。
そして、暫くすると劉備を弟と呼び身内のように馴れ馴れしくなりました。
劉備は、初対面にも関わらず、いやに馴れ馴れしい呂布に狡猾さを感じ、
表面上は呂布に合せて振る舞いましたが、内心、
「こいつは信用できないな・・」と不信感を持ちます。
さすがに苦労人の劉備は、人の表裏をイヤという程に見てきており、
調子の良い呂布の表面だけの馴れ馴れしさを見抜いたのです。
おべんちゃらの達人、呂布の言行録
呂布は脳筋武将のように思われていますし、蒼天航路では寡黙というより
本能で動く野生児のような扱いですが、史実では口八丁の軽い男であり
騙されもしますが、それ以上に騙しています。
例えば、同じく裴松之が引く英雄記の記述によると、
呂布は張楊(ちょうよう)の所に厄介になりますが、その頃には、
李傕(りかく)と郭汜(かくし)が呂布の首に懸賞金をかけている事が広く知られていて
張楊の部将が恩賞を当てにして呂布を殺そうと図り呂布はオチオチ寝てもいられません。
そこで、呂布が一計を案じて張楊に言うには・・
「私は君と同郷の人間だから、君にだけは教えよう・・
李傕・郭汜は、私を殺したい程に憎んでいる、ボスの董卓の仇だからな。
だから、君の配下が私を殺して長安に送っても大した恩賞は貰えない。
一番いいのは、私を縛りあげて生きたまま長安に護送する事さ・・
李傕と郭汜は大喜びで私を切り刻んで殺し、恨みを晴らし、
君にも、うんと恩賞を弾むだろう、いいかい?誰にも言うなよ。
これは、君が同郷人だから教えるんだぜ」
張楊はすっかり信用してしまい、ご丁寧に護衛をつけて部下から呂布を守り
長安に護送する手はずを整えていましたが、呂布はその隙に、
さっさと脱出してピンチを回避しました。
何とも見事な口八丁、史実の呂布はかなり頭の回転が速い
狡猾でズルイ男だったのです。
三国志ライターkawausoの独り言
呂布は調子の良いズルイ男ですが、その呂布に一番信用できないと罵られた男がいます。
曹操?袁術(えんじゅつ)?孫堅(そんけん)?いえいえ、他ならぬ劉備なのです。
多くの群雄に口八丁で挑んだ男が、一番信用できないと言ったのですから、
劉備の顔の皮の厚さは尋常ではない事が分ります。
つまり、胡散臭い劉備には、同じく胡散臭い呂布のヤバさが分ったのです。
そして口八丁で生き残る術においては、劉備は呂布を凌駕していたからこそ、
ついに乱世を生き残りベッドの上で死ねたと言えるのでしょう。
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