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関羽のエア息子?関索が大活躍した理由とは

2018年6月22日


 

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関羽

 

夢半ばで敵の手にかかり、命を落とした武神・関羽(かんう)。呉の呂蒙に捕らえられた際には、その息子・関平(かんぺい)もおりました。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

父・関羽と共に首をはねられた関平。その最期の瞬間、何を思ったことでしょう。しかし、この関平は関羽の養子であり、実の息子というわけではありませんでした。関平は、曹操(そうそう)謀反(むほん)を起こして離れ離れになった桃園兄弟が再び集った屋敷の主人・関定(かんてい)の息子だったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽の息子関興

関興と張飛の息子

 

養子をとっているのだから、関羽には子がなかったように思えますが、そういうわけでは無かったご様子。関羽には関興(かんこう)という実子がありました。彼は父の弔い合戦である夷陵(いりょう)の戦いの際、張飛の息子張苞(ちょうほう)と義兄弟の契りを結びます。蜀きっての豪傑の息子同士、父の形見の武器を奮いました。

 

司馬攸は宿所で血を吐いて38歳で亡くなる(臨終)

 

ところが、関興は諸葛亮(しょかつりょう)が北伐にいそしんでいる間に病に臥し、そのまま息を引き取ってしまいました。その知らせを聞いた諸葛亮は、あまりのショックで倒れてしまいます。

 

考える諸葛亮孔明

 

蜀の英傑がまた一人いなくなってしまった…。人材不足に悩む諸葛亮。そんな彼の元に、突如として現れた男がありました。それこそが、関索(かんさく)その人だったのです。

 

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シークレットキャラクター?関索

関索

 

いやいやいやいや、誰だよ、関索って!そう思った人もいるでしょう。なぜなら彼は正史『三国志』はもちろん、『三国志演義』でもモノによっては登場しない人物なのですから。

 

 

花関索伝の表紙 書類

 

 

関索が登場する『三国志演義』でも、諸葛亮が南蛮征伐に乗り出す頃に都合よく登場。しかし、その後いつの間にかいなくなっているではありませんか…!なんだか話をうまいこと盛り上げるために作られただけのような気がしてくる関索…。

 

 

昔は超有名だった関索

三国志演義_書類

 

 

しかし、そんな彼ですが、『三国志演義』が発表された当時・明代の人々の間では高い人気を誇っていたようなのです!

 

蜀軍に勝利する木鹿大王(南蛮族)

 

 

南蛮征伐に向かった際に関索が何かしらの行動をしたとされる場所には、関索の名前にあやかった名がつけられるわ、同じく明代の小説『水滸伝(すいこでん)』でも関索に因んだあだ名をつけられる人物が登場するわ、あちらこちらで関索にまつわるものが続々登場。

 

関索とラブラブな鮑三娘(女性と結婚)

 

世はまさに関索ブームと言っても過言ではないほど、明代は関索で溢れかえっていたようなのです。しかし、それにしてもなぜ関索はこれほど人気だったのでしょうか?その謎を解き明かす本が、20世紀になってようやく発掘されたのでした。

 

関帝廟

 

 

関索無双の『花関索伝』

花関索伝

 

1967年、上海で『花関索伝(かかんさくでん)』という書が発掘されます。これを発掘した人はただの古書だと思って豚小屋で保管していましたが、古書を買い取るという上海書店に持ち込んだところ、世紀の大発見であったことが発覚します。上の方に絵があり、その下に物語が記されている絵本ともいえる体裁の『花関索伝』は、『三国志演義』のベースとも言われる『三国志平話(さんごくしへいわ)』にそっくり。

 

そのページをめくってみると、題と内容が一致していなかったり、誤字脱字が甚だしかったりでとにかく読めたものではありません…。読み物としては最悪な出来栄えの『花関索伝』。では、その内容はどのようになっているのでしょうか。

 

 

これもスピンオフ?花関索伝の内容

桃園三兄弟

 

 

劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを交わす前に既に家庭を持っていた関羽と張飛。これから乱世に飛び込む2人は、家族に後ろ髪を引かれることのないようにとお互いの家族を手に掛けることにします。

 

 

張飛

 

 

ところが、張飛にはそれができませんでした。なぜなら、関羽の妻は子を身ごもっていたのですから。張飛はこっそり彼女を逃がします。何とか生き延びた関羽の妻は、男児を出産します。彼こそが関羽の息子・関索です。関索はすくすくと成長し、7歳になった年に母とはぐれてしまいます。その関索を拾ったのが索員外(さくいんがい)。索員外は、関索が9歳になるまで育て、道士・花岳(かがく)のもとに預けました。関索は道士に師事して厳しい修行を耐え抜きます。

 

立派に成長した関索は、18歳になったときに自分の父親が関羽であることを知らされ、今まで世話になった索員外と花岳、それに実父である関羽の名から1字ずつもらって花関索と名乗ることにします。そして、父・関羽に会うための旅に出たのでした。

 

関羽

 

 

紆余曲折を経てようやく関羽と出会えた花関索。ところが彼の活躍ぶりは目に余るほど。花関索は他の登場人物を食う勢いで『花関索伝』で踊り狂うのでした。一騎打ちは必ず勝利!妖怪相手でも面食らうことなくなぎ倒す!まさに花関索無双の『花関索伝』…。でも、それが当時の中国の人々に大うけだったようなのです。

 

 

『三国志演義』にもねじ込まれた関索

 

そんな痛快な彼の活躍に魅せられた当時の人々は、『三国志演義』にも関索を登場させたい!と思ったらしく『花関索伝』の関索をそれとなく織り込んだ『三国志演義』が出版されるようになります。しかし、魑魅魍魎(ちみもうりょう)も出せないし、関索を活躍させすぎるわけにもいかないし…。関索の活躍は削りに削られ、結局『三国志演義』では中途半端な役柄になってしまったのでした。

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

 

元記事:謎多き登場人物、関索って何者?

 

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