司馬懿による公孫淵征伐の成功により魏王朝の勢力は朝鮮半島にまで及ぶようになります。得意満面の司馬懿ですが、この頃より明帝曹叡は病に伏せるようになりました。
しかし、曹叡には実子がなく悩んだ末に養子として曹彰の子の曹楷の子、曹芳を皇太子とし郭氏を後継の皇后にしました。そして曹叡は曹爽、そして司馬懿を幼い曹芳の後見人とし34歳の若さで崩御します。
諸葛亮を倒し魏で存在感を増してきた司馬懿は、こうして権力の中枢への第一歩を記す事になります。
前回記事:133話:公孫淵の反乱と司馬懿の台頭
曹叡は司馬懿を信じ続けた
内政面では大土木建築に傾倒し、後宮を美女で満たすなど暗愚な面が出てきた曹叡ですが、軍事面では明晰さを維持しました。司馬懿は、公孫淵討伐に4万の兵力を率いていきましたが、魏の重臣達は兵力4万は多すぎ経費を捻出できないと渋ります。
しかし、曹叡は「四千里の彼方を征伐するのであり、奇策を使うとはいえ力を用いるのだから戦費を惜しんではならない」と反対意見を退けて司馬懿に4万の兵を与えて出発させています。
司馬懿が遼東に至ると、今度は長雨で戦いが長引きそうな気配になり、再び重臣たちは「この調子では公孫淵を簡単には破れないので、一度帰還させるように詔を出すべき」と言い出しました。
曹叡はこれも退け「司馬懿は臨機応変の才があるのだから、この程度の事は織り込み済みだ公孫淵を捕らえる日を待て」とビシッと撤退論をはねのけたのです。
このお陰で司馬懿は、余計な雑音に惑わされる事なく公孫淵を討伐できたのでした。
中書監劉放・中書令孫資の陰謀
司馬懿が公孫淵を討伐して、洛陽に帰還する前に曹叡の病は非常に重くなっていました。当初、曹叡は幼い曹芳を補佐すべく、燕王で大将軍の曹宇、領軍将軍夏侯献、武衛将軍曹爽、屯騎校尉曹肇・驍騎将軍秦朗の5人を指名していました。彼らは、全て曹魏王朝の宗族であり、曹叡は身内で固めて幼い曹芳が成長するまでは魏王朝を導いてくれる事を期待していた模様です。
そう!最初、曹芳の補佐に司馬懿はなく、曹叡は大将軍の曹宇を信頼し後事を託そうとしていたのです。ところが曹宇は慎重な性格であり、曹叡の頼みを固辞します。そのチャンスを逃さなかったのが、中書監劉放・中書令孫資です。
劉放と孫資は屯騎校尉曹肇や驍騎将軍秦朗と不仲で、もしこれで曹叡が死んで曹芳が立つと自分達が粛清される事を恐れていました。そこで、曹肇や秦朗の親分格である曹宇もろとも補佐役から追い出そうと画策したのです。
劉放・孫資「陛下、燕王は自ら天子を補佐する大任を負えないと言っているのです。自信がない御方を幼帝の補佐としては心配です」
曹叡「では、お前達は、朕にどうすればいいというのか?」
劉放・孫資「武衛将軍曹爽と大尉の司馬懿を幼帝の補佐にすればよろしいかと存じます」
そうして二人はここぞとばかりに、曹宇や秦朗や曹肇の悪口を言い、病気で判断力が落ちている曹叡も怒りでこの人事を了承します。安心して劉放と孫資が帝の寝室を出ると、今度はそれを見た曹肇が寝室に飛び込みます。
曹肇「陛下!劉放と孫資が燕王を除けと讒言したとか!あの連中は私利私欲しか頭にない俗物ですぞ!幼帝を補佐し奉るのは、陛下の昔からの親友、曹宇大将軍以外にはおられません」と翻意を促します。
曹叡「そうか、、朕は危うく騙される所であった、補佐は燕王に任せるぞ」
曹肇「おお、賢明なご判断、私は安心致しました」
こうして曹肇が満足して寝室を退出すると、また劉放と孫資が曹叡の寝室に飛び込んで行き、イタチごっこが繰り返されますが、最終的には劉放と孫資が曹叡のベットに上がり込み筆を持つ力もない曹叡の右手を強制的に動かして遺言を書かせました。遺言書には曹芳の補佐として、曹爽と司馬懿の二名を当てるとされていて、曹宇と夏侯献、曹肇、秦朗は中央から追放されたのです。
司馬懿にとっては、洛陽にいない間に起きた棚からぼた餅のラッキーチャンスでした。
曹叡、司馬懿の手を取り息を引き取る
西暦239年の正月、一年ぶりに凱旋してきた司馬懿を河内で待っていたのは快速馬車でした。使者「大尉殿、帝が危篤です!どうかお早く」司馬懿は事態の急変を知って顔色を変えて馬車に飛び乗ります。こうして、転がるようにして曹叡の寝室に行くと、曹叡は司馬懿の手を引っ張ってベット近くまで呼び寄せます。
「朕はもはや長くない、後の事は君に託したい。どうか武衛将軍と力を合わせて我が子を補佐して欲しい朕は、最後の最期で君を見る事が出来、何も恨む事はなくなった」司馬懿は託された重責とこれほどまでに自分を信じてくれる曹叡の心に号泣して任を全うする事を誓いました。
この日、曹叡は崩御し亡骸は高平陵へと葬られたのです。司馬懿はこうして、ただの戦争が上手な将軍から幼帝を補佐する後見人へと権力の中枢へと食い込んでいきます。
怪しげな水を信じた曹叡
曹叡が崩御する少し前、寿春の農民の妻が神懸かりになり、自らを仙女と称して帝室を守り禍を除いて福を招けと神が告げたと言い出す事件がありました。自称仙女は、病気の人に水を飲ませて傷を洗うなど、治療行為をするようになりますが仙女の処方する水を飲むと、病気が治ったり外傷が完治するというので人々の間で大評判になり、曹叡は仙女を自称する女を招き後宮の中に館を建てて厚遇しました。
やがて曹叡の病が重くなると、仙女の水を毎日飲んで治癒する時を待ちましたが、まるで効き目がないので怒った曹叡は自称仙女と夫を殺害したそうです。表面だけみると、今でもある○○水で癌が治るに騙された人のようですが、曹叡が幼い後継者を心配して藁にもすがる思いで自称仙女を信じたとしたら、その切実さを笑う事は出来ないような気がします。
三国志ライターkawausoの独り言
なんだか司馬懿が棚からぼた餅っぽくて、最初から劉放や孫資と繋がっていたように感じて勘繰りたくなりますがおそらくそれは無いでしょう。この頃の司馬懿は、武功はあるものの一介の将軍であり遼東討伐さえも、曹叡が全幅の信頼を置いて擁護しないと、宮中の重臣の為に呼び戻される程度のレベルです。
司馬懿は何よりも運がよく、五十を過ぎて権力の中枢に食い込みますが、まだまだ権力の頂点への道のりは遠かったのです。
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