張遼の凄さはどこにあった?武勇だけじゃない張遼

2020年9月13日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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愛馬に乗り敵を粉砕する張遼

 

合肥(がっぴ)の戦いでその三国無双さを見せつけたことで有名な張遼(ちょうりょう)。魏の武将でありながら三国志演義でも扱いが悪いということはなく、尋常じゃない武勇がやや控えめ(当社比)されているだけとかなり好待遇で迎えられています。

 

泣く子も張遼

 

そんな張遼の凄さは武勇だけではなかった?

今回は張遼に学ぶべきその姿勢を語っていきたいと思います。

 

張遼には裏切り者のイメージ、ありません

丁原(ていげん)

 

さて張遼は丁原(ていげん
)
華雄(かゆう)董卓(とうたく)呂布(りょふ)、そして曹操(そうそう)と数多く人物に仕えました。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

 

並べてみると分かりますが、大体後ろの人物に前の人物が滅ぼされていますね。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

そう、言い方は悪いですが、張遼はそれまで仕えていた主を滅ぼした主に改めて仕える人生を送ったのです。しかしそんな張遼、裏切り者だとか、主をほいほい代えるだとか、そんな悪いイメージを抱いている人は殆どいないでしょう。

 

スキッパーキ(はてな)

 

それはどうしてか?

これには張遼が「清廉」な人であったという話、それを裏付ける逸話が残されているからだと思います。

 

知略も巡らし、心を打つ張遼

曹操にコテンパにされる袁紹

 

それは曹操が袁紹(えんしょう)を打ち破った頃のこと。張遼は反乱を起こした昌キという人物を夏侯淵(かこうえん)と共に包囲していました。

 

昌豨

 

この昌キ(しょうき
)
は元々呂布の配下で、一時は曹操に従ったものの、今回も含めて何度も反乱を起こす困ったちゃんな人です。

 

昌豨

 

この際に昌キは中々鎮圧できませんでしたが、その心を良く推察した張遼は夏侯淵(かこうえん)に伺いを立て、同意を得てから説得に当たって降伏させました。武勇一辺倒ではない張遼の凄さですが、これで話は終わりではありません。

 

自らを省みる張遼

怒る曹操

 

後に張遼は単身で昌キの家族に挨拶しにいきましたが、これらの一件は曹操の耳に入り、大将がそういうことをするな!と叱責を受けています。

 

取り残された部下を助けに行く張遼

 

しかし張遼はこの叱責を受けてすぐに謝罪、筆者なんかは上手くいったんだからいいじゃない……なんて思ってしまいますが、張遼は己を省みて反省しているのですね。また張遼は部下と仲違いしたことがありましたが、これを諫められると素直に部下に謝罪したそうです。そう、この自らを省みて、頭を下げることができる謙虚さ、これが張遼の凄さ、そして強さだと思います。

 

主君にとても気に入られていた張遼

曹操と曹丕

 

そんな張遼は主君、曹操、曹丕(そうひ)親子両名にとても気に入られていました。曹操は元々かつての敵であっても良く親しむ人物であるのですが、張遼は同じ車に同乗させるほど良く親しんでいたそうです。

 

スイーツを国中から求める曹丕

 

また曹丕からは自分が食べる(皇帝の食事!)を給わせたり、病気にかかった際には張遼の元へ自分の専属医を派遣したりと大切にされていました。

 

敵を相手にして奮闘する張遼

 

また前述したように自分が悪ければ部下にも謝罪できる漢、張遼は上司だけでなく部下にも慕われ、良く言うことを聞き、病の際には見舞いに訪れた人々で道があふれかえっていたほどだったとか。

味方多く、敵は少なく

張遼・楽進・李典

 

そんな風に上司、部下に可愛がられ、慕われていた張遼。だけどそんな張遼でも上手くいかなかった相手というものもあります。それが李典楽進。しかし合肥の戦いでは私情を含めず国事に当たり、見事防衛を成功させました。

 

進撃が止まらない張遼

 

張遼はプライベートでは仲が悪くても、それで相手を貶めたりするような性格ではなく、あくまで国のために働きました。こうした張遼の性格を「清廉」と呼んだのでしょう。

 

あり難きもの

高順と張遼

 

当時、三国の時代には数多くの名将、猛将がいました。武勇の優れる、知略に優れる、それは人それぞれの長所であり簡単には比べられません。しかし張遼の凄さはそれだけではなく、その人格面にもありました。

関羽の降伏を説得しにいく張遼

 

何度も主を代えた、敗軍の降った武将、主君に気に入られる……下手をすれば哀れな最期を迎える人物も少なくない中で、魏の武将として働き続けたその姿。他者を貶めず、自らを省みて、悪い点があれば相手が誰であれ謝罪する……その性格あってこそ、張遼は張遼であれたのだと思います。中々できることではないですよね。

 

退場に華を添えて

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

さて、そんな張遼ですが、最期は病死でした。皇帝・曹丕はその死に涙したと言います。しかし三国志演義では張遼は矢傷が悪化して亡くなったとされています。三国志演義では死因が違うことは良くあることですが、張遼の場合はちょっと印象に残る最期になっているのが特徴。

 

丁奉(ていほう)

 

なぜならこの矢傷、呉の丁奉(ていほう
)
が放った矢から曹丕を庇っての名誉の負傷なのです。ただ病死ではなく、戦死でもなく、名誉の負傷……そう考えると三国志演義著者もかなりの張遼ファンかな?と思ってしまいますね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は張遼の武勇だけでなく、その内面をご紹介させて頂きました。振り返ればこれほどできた人物であれば、慕われ、愛され、出世して当然とも言えるでしょう。その姿勢は現代でも通じる、清廉潔白であり、謙虚な人柄、そしてそれに内包された優秀さ……だからこそ張遼は数多くの三国志ファンから愛されている、そう、時代を越えて慕われている武人だと思うのでした。

 

参考文献:魏書張遼伝 胡質伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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