こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
曹操の下で真価を発揮した人材ネットワーク
荀彧自身も優秀な人材ですが、それに加え数多くの優秀な人材を曹操に推挙します。
その中には荀攸、王朗、郭嘉や司馬懿などその後の曹操陣営において重要な役割を果たす人物が数多くいます。なぜこのような優秀な人材を推挙できたのでしょうか。
当時はインターネットなどもちろんありませんので、優秀な人材の情報は今でいう口コミが主なものになります。冒頭でもお話しましたが荀彧は人材の宝庫である豫洲の名門出身であり、交流関係も広く、当時優秀な人材の情報を数多く持っていました。
また荀彧自身が何顒のような著名人物から王佐の才と評されたこともあり、その評判を聞きつけた優秀な人材と接する機会が多くあったこともあり、これだけの人物を推挙できたと考えられます。荀彧に推挙された人材を用い曹操は、天下統一に向けて邁進していきます。
関連記事:王佐の才を持つ男、荀彧の百面相
関連記事:郭嘉と荀彧ってなんで袁紹に仕えていたの?
天下分け目!官渡の戦いにて勝敗を分けた荀彧の進言
天下統一に向けて曹操は、ついに天下統一に最も近かった袁紹との大一番に挑みます。
当時曹操は呂布や、袁術などとの戦の連続で、兵は疲れ物資も不足している状況でした。
それに比べて袁紹は国力増強に力を入れており、兵士の士気は高く兵糧も十分で万全の状態でした。
そんな不利な状態で曹操は、荀彧に袁紹との戦について尋ねると、荀彧は度(度量)・謀(計略)・武(武力)・徳(徳義)で袁紹に勝っているとし曹操に決戦を促します。
また袁紹陣営には多くの優秀な文官武将がいましたが、荀彧は顔良と文醜は武力はあるがそれだけであり、将としての度量はなく
田豊は上に逆らい、許攸は貪欲で傲慢、審配は独断的で計画性がなく、逢紀は自己中心的な性格であると評価しています。この適格な指摘もあり、曹操は袁紹との大戦に挑むことを決心します。
これだけ的確な指摘ができたのも、荀彧の人材ネットワークのおかげではないかと思います。当時袁紹の陣営は、豫洲出身の人材を数多く起用していたこともあり、そういった人物の情報が人材ネットワークを介して荀彧の耳に入っており、その情報を基に的確なアドバイスができたのではないでしょうか。
その結果曹操は、下馬評を覆し大勝を治めることができました。このように多くの情報を入手することができ、またその情報を的確に判断、用いることができる能力こそ荀彧の魅力であると思います。
関連記事:荀彧のここが「イケメン」すぎる3選!本当に荀彧はイケメンだった?
三国志ライターボス吉の独り言
荀彧は名門の生まれであり、非常に豊かな見識と人材ネットワークを持っており、そのネットワークを大いに駆使し曹操の天下統一をアシストします。
最終的には漢室の忠臣として曹操が魏王になることに反対したため、曹操の反感を買い冷遇されるようになってしまったとされていますが、荀彧なくして曹操のここまでの快進撃はなかったことを考えると劉邦と張良に勝るとも劣らない名コンビだったのではないでしょうか。
関連記事:官渡の戦いのMVPは荀彧ではなく郭嘉に与えるべき理由【ビジネス三国志】
関連記事:荀彧の系図を調べてみるととんでもない○○が判明!?