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中国史上64名将の一人、皇甫嵩はなぜマイナーなの?

2021年3月29日


 

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陸遜

 

周瑜(しゅうゆ)陸遜(りくそん)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)張遼(ちょうりょう)などそうそうたる面子が名を連ねている「中国史上六十四名将」。ここに後漢の人物で名を連ねている存在として、皇甫嵩(こうほすう)がいます。

 

献帝(はてな)

 

これほどの人物でありながら、どうして三国志において注目されなかったのか?

今回はそこを考えていきたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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皇甫嵩

黄巾賊を撃破する皇甫嵩

 

皇甫嵩は名門に生まれ、黄巾(こうきん)の乱でその名を挙げました。実際にその活躍あってこその黄巾の乱とも言え、黄巾賊に止めを刺したのは皇甫嵩あってのことです。当時でも皇甫嵩は高く評価され、冀州(きしゅう
)
を始めとした多大な褒賞を朝廷は与えています。

 

十常侍(宦官)

 

しかしその失脚もまた当時の朝廷によるもの。十常侍
(じゅうじょうじ)
に賄賂を渡さなかったことから失脚し、皇甫嵩は一時表舞台から姿を消すことになります。

 

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董卓と対立する皇甫嵩

董卓

 

後に再び表舞台に立つことになりましたが、ここで皇甫嵩は董卓に恨まれることになります。188年、梁州(りょうしゅう)の王国(※人です)討伐に董卓(とうたく)と共に任じられるも、攻撃や追撃の際に真っ向から二人の意見はぶつかり、最終的に皇甫嵩は単独でこれに勝利。

 

皇甫嵩にコンプレックスを抱く董卓

 

朝廷は董卓に詔を下し、兵を皇甫嵩に任せるように言うもこれを無視。立派な命令違反ですがこれに激昂することなく、皇甫嵩は朝廷に冷静に報告。

 

王族ボンビーから一転セレブ08 霊帝

 

怒った霊帝(れいてい)に董卓は叱責され、このことから董卓は皇甫嵩を恨むようになります。

 

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膝を折る

司馬朗と董卓

 

後に董卓は皇甫嵩を偽りの召還で殺害しようとするも、周囲の助命嘆願によって許されます。更に長安で董卓は皇甫嵩を屈服させるべく、皆に礼拝を取らせるのですが、この際に董卓は皇甫嵩に

 

義真(ぎしん
)
(皇甫嵩の)、まだ服従いたさぬか」と言うと皇甫嵩は笑ってこれに会釈したことで、董卓はやっと逆恨みを止めわだかまりを解くことになるのでした。

 

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なぜ、皇甫嵩は注目されなかったのか?

ポイント解説をするセン様

 

さてその後は特に活躍もなく、病死する皇甫嵩ですが、更に後の時代になると名将の一人として名を連ねることになるのはご説明した通りです。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

しかし三国志に親しんだ方々でも、皇甫嵩について良く知らない、もしくは三国志を扱ったメディアなどでも皇甫嵩についてそこまで触れられてはいません。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

もちろん陳寿(ちんじゅ)の三国志ではなく後漢書に記録されている人物だから……ということもあるでしょうが、どうしてここまで皇甫嵩について触れられないか、その理由をいくつか考えてみました。

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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