龐統が生きていたら関羽の寿命は縮んでいた?




邪魔な荊州はさっさと排除

呉の孫権

 

孫権が益州へと兵を出す際に邪魔になるのが中間にある荊州です。劉備を攻める名目で兵を挙げれば当然、関羽や諸葛亮がそれを阻みます。

 

男気溢れる趙雲

 

劉備が当初、張飛や趙雲(ちょううん)らを荊州に置いたのも曹操だけでなく、孫権を警戒したからこそ。

 

大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

ただ、荊州は益州のように天然の要害ではなく、孫権軍の根拠地からも近いので攻めやすい場所。加えて水軍が使える幅も大きいので、いくら劉備配下の猛将たちがいるとは言え、益州よりも小さい労力で攻め取れるはずです。

 

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【仁に惹かれた蜀のスター・趙雲】
趙雲




内部から切り崩す

流れ矢にあたる龐統

 

劉備が孫権の思惑とは別の方向で動いたとしても、龐統が生きた状態で益州を手に入れていたら孫権は比較的容易に荊州が獲れた可能性があります。

 

的盧に乗る龐統

 

益州は人心が定まっていないので、やはり優秀な政治家である諸葛亮の赴任は不可欠だったはず。そうなると龐統が交代で荊州へ戻ることもできたでしょう。

 

魏王に就任する曹操

 

益州の軍勢は漢中で曹操軍と対峙しているので、その隙に龐統が内応して荊州を切り崩すという作戦です。恐らく関羽は性格的に荊州を失った状態で益州に逃げることはできないはずなので、死ぬまで孫権軍と交戦をしたでしょう。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

今回は龐統が生きていたら関羽も長生きしたという説の逆を突いてみました。

 

京劇の関羽

 

本当に龐統がスパイだったとして関羽の寿命に影響するかはわかりませんが、少なくとも龐統が荊州にいれば孫権の荊州奪還も比較的容易だったのではないでしょうか。

 

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【義に生きた武人・関羽】
関羽

 




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コメント

  • コメント (1)

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    • 月友
    • 2021年 6月 09日

    龐統と呉について箇条書きで書いてみます。

    ①龐統は周瑜の功曹であった。(江表伝)
    ②周瑜が南郡太守になると龐統は南郡の功曹となった。(荊州県志)
    ③周瑜が亡くなるとその亡骸を呉に運び入れた。呉人は龐統の名を知っており、西に帰る時に陸績・顧劭・全琮等が見送った。(龐統伝)
    ④劉備が荊州を兼領すると龐統は耒陽令になるも、県を治めず免官となる。この時、魯粛から龐統の扱いに関する書が劉備に届く。(龐統伝)
    ⑤蜀攻めには劉備と龐統が攻め、孔明らは留守番。(龐統伝)
    ⑥この時、呉将呂岱が漢中の張魯にちょっかいを出すが、その誘いに乗らなかった。帰りに蜀に侵攻中の劉備と合流した。(呂範伝)
    ⑦酒席の場で蜀攻めの主将の劉備と口論に及ぶ。(龐統伝)

    このあと龐統は亡くなります。そして堰を切ったように孔明を含む荊州お留守番部隊が蜀に殺到します。

    流れ的に龐統は呉から出向した人です。劉備視点では客将かな?そして周瑜が構想した天下二分の計ですが、魯粛が戦略面を引き継ぎ、龐統が戦術面を引き継いだと見て良いと思う。
    気になるのは⑥。蜀攻めの時の呉の呂岱の行動。呉が漢中に手を出すのはちょっと違和感がある。
    おそらく劉備率いる蜀攻め部隊は実のところ呉軍が主体でその分隊の呂岱が漢中方面に行ったのではないかとも思える。そして劉備は呉の傭兵として先発したただの先遣隊だったとも考えられる。

    あと③の見送りの言葉がこれ。「使天下太平、當與卿共料四海之士。」
    呉に帰還する前提での会話になってますよね。やはり龐統は呉から出向した人物であると思える。
    龐統の立ち位置を日本で例えると『付家老もしくは目付』と言ったところか?
    ⑤のお留守番ですが、龐統が亡くなった途端に荊州のお留守番部隊が殺到。これは呉の目付が消えた事で劉備が自立に動いたと見れば納得もいく。
    ⑦の口論は2人は主従の関係では無いから言いたい放題だったのでは?

    とまぁ龐統の呉臣説を書いてみました。




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