姜維と趙雲と言えば、「三国志」では屈指の人気武将で、ゲームや映画などで主役級の扱いを受けることもありますよね。趙雲は蜀建国前の功臣として、姜維は蜀を必死に支えた武将として存在感があるイメージです。
しかし、彼らの人気のイメージは小説「三国志演義」が作り、正史の「三国志」とはちょっと違うといいます。今回の記事ではその違いに迫ってみましょう。
「三国志演義」での趙雲
小説「三国志演義」での趙雲は「五虎大将軍」の1人として、大活躍を見せます。数々の戦で武芸の達人として力を発揮し、厳格な性格で劉備に信頼されています。また、「長身でイケメンであった」とされ、このイメージは現在のゲームや映像作品でも踏襲されています。一番の活躍の場面は「長坂の戦い」でしょう。
ここで趙雲は劉備の息子「阿斗」(のちの劉禅)を守り、百万の曹操軍に対して自慢の永井槍を奮い、一騎当千の働きをしています。「演義」後半でも唯一生き残った五虎大将軍として存在感を見せています。
今では三国志の人気キャラの1人で、単独の映画やドラマも中国で作られました。
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正史「三国志」での趙雲
正史「三国志」の「趙雲伝」はわりとあっさりとした記述でわずか346文字の記述にすぎません。ちなみに邪馬台国を書いたと言われる「魏志倭人伝」は1983文字です。有名な「長坂の戦い」で阿斗を救った記述はもちろんありますが、どのように戦ったかは定かではないですし、趙雲は単騎では戦っていません。
その戦いの曹操軍は5000人規模だったといい、「演義」の曹操軍は多すぎです。また、「五虎大将軍」というのも三国志演義の創作で実在しません。
ただ、「三国志」はのちに裴松之という人物が「注」(追加の文章)を付けたのですが、趙雲伝において数々の民間伝承が採用されています。それには「三国志演義」の脚色の大本になったようなものがあり、それが現在の趙雲のイメージを決定づけたと言っていいでしょう。
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「三国志演義」での姜維
物語後半に登場する姜維は「三国志演義」において諸葛亮の正統な後継者のような扱いをされています。始めは魏に所属していましたが、諸葛亮を策で驚かせたりし、諸葛亮はその才能にほれ込み、策を講じて姜維を味方に引き入れます。
そして死の間際には兵法を記した書物を姜維に譲渡し、「姜維が諸葛亮の後継ぎだ」と印象付けます。その後北伐の失敗も描かれるものの、劉禅や宦官の愚かさをことさらに強調することにより、姜維の悲劇性を高めています。その最期も奮戦し、潔く自害します。
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正史「三国志」での姜維
姜維が蜀に降伏したのは諸葛亮が策をもって降伏させたのではなく、主人に城に入ることを拒否されたため、やむを得ず降伏したのでした。諸葛亮に高く評価されたのは史実ですが、兵法書を譲られたという記述はありません。
軍の実権を握った後は度重なる北伐をおこない、蜀の国力を疲弊させてしまいます。蜀が降伏した後に反乱を企て、最後は殺されてしまいます。
正史「三国志」の著者「陳寿」は姜維への評で「姜維は文武ともに優れた武将だったが、無謀な北伐を行い、蜀の寿命を縮めた」と厳しい批評をしています。
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姜維と趙雲二人の接点は?
正史「三国志」によると、姜維が降伏した年と、趙雲が亡くなった年はほぼ同じなので、二人の接点は描かれていません。しかし、後年姜維は蜀の建国の功臣に「侯の諡」(生前の評価に基づく称号)を与えるように劉禅に進言し、その功臣の中に趙雲も含まれています。
趙雲は「順平候」と諡を贈られています。しかし、「三国志演義」では2人の大きな接点がありました。それは諸葛亮が北伐を決行した際の姜維と趙雲の一騎打ちです。姜維と趙雲は何度も打ち合い、結局は趙雲が退却することになっています。
当時趙雲はかなり高齢で、この一騎打ちの描写により、蜀の世代交代を印象付ける効果が表れています。趙雲は姜維について「他の追随を許さぬ」と高く評価し、諸葛亮が自軍に引き入れるきっかけにもなっています。
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三国志ライターみうらの独り言
姜維と趙雲はかなり人気ですが、それは小説の影響がとても大きいのですね。いまでもその人気は続いているわけで、「三国志演義」の作者も書いたかいがあったでしょう。
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