魏の皇帝、曹丕には四人の仲良しさんたちがいました。この四人が司馬懿・陳羣・呉質・朱シャクの四人です。前二人は分かると思いますが、呉質や朱シャクがどうして四人に……?という人もいるでしょう。
実際、筆者も朱シャクに関してはまだまだ不勉強で曹真と共に?身と(ギャグ)肥満体をからかうような真似をされて怒った一件しか知りません。ただ呉質に関してはもう少ししらべてみましたので、今回ちょっとお話しましょう。
呉質という人物
前述したように、呉質は曹丕の四友の一人です。ただし陳羣や司馬懿のように「こんな功績を挙げました」というような記録が残されておらず「曹丕に取り入って出世した」「傲慢で性格が悪い」「曹真を馬鹿にするとか絶対に許さない」などのエピソードばかり残っているのが目に付きます。
ですがそのエピソードは中々に面白いものも多く、曹丕のペンフレンドだったことがわかるエピソードでは曹丕がその心中を語るなど、かなり信頼されて厚遇されていたことも分かります。そのエピソードをいくつかご紹介しましょう。
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呉質エピソードvo.1
ある日、曹操が出陣することになりました。見送りに行く曹丕はどういう風に見送ろうかと呉質に相談しました。「曹操様が出発される時に、とにかく泣いて下さい」当日、曹丕の弟の詩の才能に溢れた曹植は曹操を称える素晴らしい歌を詠む中で、曹丕はただ黙って涙を流し続けました。
これが父との永遠の別れになるかもしれないということを悲しむ(というアピール)に、諸将はもらい泣き。
これによって詩の才能は曹植の方が上だが、曹丕の方が誠実な人柄だという印象を周囲に与えたのです。これが後に伝わる、呉質のウソ泣きアピールエピソードとなりました。
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呉質エピソードvo.2前
それより後日のこと、曹丕と曹植の後継者争いが悪化していく中、呉質は別の場所に赴任し、曹丕と離れていました。不安で呉質に何でも相談したい曹丕は呉質を呼び出しますが、呉質はこれは厄介なことになると考え、荷物に隠れて曹丕の所に通うようにしていました。
ここで天才的に他人の心を読むことで曹操に嫌われた可能性がある楊脩さんの目に留まります。呉質は勝手に任地から離れている、と早々に報告されたのです。これはピンチ!と思いきや、曹操はこれに取り合わなかったために呉質も曹丕も事なきを得ました。
しかしここで(小)賢しい呉質の灰色っぽい脳細胞が働きます。
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呉質エピソードvo.2後
「今度は荷物だけ送りますね」と、改めて荷物だけを送りました。
これを見逃さなかった楊脩、再度曹操に報告したために曹操も荷物を改めることに。当然ながら出てきたのは呉質が贈った絹だけ。
「楊脩殿は呉質を疑っているんですね。シクシク」と、定評のあるウソ泣きをしながら言ったかどうかは分かりませんが、このことで曹操は楊脩たちが曹丕とその取り巻きを追い落とそうと画策したと考え、元々もうそこまで高くなかった楊脩の評価がガタ落ち。この一件から曹丕が無事に太子となったと言われています。
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呉質エピソードvo.3
こうして皇帝となった曹丕、しかしそんな曹丕も崩御します。その後継者であった曹叡が皇帝になると、陳羣は司空と尚書を兼任するようになります。分かりやすく言うと行政機関のトップになったのです。陳羣と呉質はかつては曹丕の四友であった人物、友人の出世に呉質も大喜び……しませんでした。
呉質は陳羣の悪口を言い回り、曹叡に陳羣は呼び出されます。しかし世間は呉質ではなく陳羣の味方でした。陳羣こそ正しく、呉質は才能もないのに妬みから醜い言動を繰り返している……このため呉質は死後、「醜侯」と送り名されて、息子さんが悲しむことになるのは別のお話。
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