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三国志小説での「漢寿亭侯」
小説「三国志演義」や吉川英治「三国志」ではこの「漢寿亭侯」を贈るエピソードにアレンジが加えられています。曹操はもともと関羽に「寿亭侯」を与えるはずでしたが、関羽はそれを拒否。関羽はいずれ劉備の下に帰るつもりであり、曹操から何かをもらう事は拒否していたのです。
そこで曹操は知恵を働かせ、「寿亭」の上に「漢」の名前を付け「漢寿亭侯」を贈ることにしたのです。これは「漢の寿亭侯」という意味で、「漢王朝から与えられた侯ですよ」と示すことにより、漢王朝に忠誠を誓う関羽もこの位を拒否できないことになるのです。
その後は関羽自身も「我は漢の寿亭侯関羽である」と名乗ったりすることになるのです。しかしこれらのエピソードは小説のオリジナルで、「寿亭侯」という爵位は存在しないと思われます。
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死後にたくさんの「諡」を貰った関羽
関羽の生前の爵位は「漢寿亭侯」ですが、死後たくさんの「諡」が贈られました。「諡」とは貴人を称え、その人物に生前より上位の爵位を与えることです。関羽は蜀からの公式な諡は「壮繆侯」ですが、死後神格化されたため、中国歴代王朝から様々な諡を貰っています。
北宋「忠恵公」から「武安王」そして「崇寧真君」
南宋「義勇武安王」
明「協天護国忠義関聖大帝」から「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」
清「忠義神武関聖大帝」から「忠義神武霊佑仁勇威顕開聖大帝」
これらは「神号」ともいわれ、時代が進むにつれてどんどん皇帝を超えるような大げさな諡になっていき、もはや関羽が神として称えられえていることが良くわかりますね。
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三国志ライターみうらの独り言
「漢寿亭侯」には曹操の関羽に対する思いが込められており、関羽の評価の高さがよくわかる爵位ですよね。中国でも「寿」という言葉は縁起がよいらしくいろんな場所に使われていますよね。これから中国の地名にも注目していきたいですね。
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