孫家を支えた呉の歴代丞相一覧! 初代から滅亡期まで一気に紹介


 

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劉禅と孔明

 

丞相(じょうしょう)」とは古代中国において君主を補佐し、内政、軍事などあらゆる政務を統括する役目の官職です。

 

呉の諸将を論破する諸葛亮孔明(セリフなし)

 

現在で例えれば、大統領や君主(、天皇など)に任命され政治を行う「首相」に相当します。「三国志」の時代でいえば蜀の「諸葛亮(しょかつりょう)」があまりにも有名ですね。今回の記事では孫氏率いる「呉」の「丞相」一覧とその実績について語ります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉の歴代丞相一覧

孫権の遺言で丞相に就任する諸葛恪

 

呉には13人の丞相がいました。なお、10代目の丞相は「右丞相」「左丞相」(左が格上)と2人体制でした。

 

名前 在位期間 君主
1 孫邵(そんしょう) 222年−225年 孫権(そんけん)
2 顧雍(こよう) 225年−243年
3 陸遜(りくそん) 244年−245年
4 歩騭(ほしつ) 246年−247年
5 朱拠(しゅきょ) 247年−250年
6 諸葛恪(しょかつかく) 252年−253年 孫亮(そんりょう)
7 孫峻(そんしゅん) 253年−256年
8 孫綝(そんちん) 258年 孫休(そんきゅう)
9 濮陽興(ぼくようこう) 262年−264年 孫休・孫皓(そんこう)
10左 陸凱(りくがい) 266年−269年 孫皓
10右 万彧(ばんいく) 266年−272年
11 許沇(きょえん) ?−276年−?
12 張悌(ちょうてい) 279年−280年

 

次項から各丞相について解説していきます。

 

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呉の武将

 

 

 



初代丞相 孫邵(生没年163年〜225年)

孫乾

 

蜀の「孫乾(そんけん)」の親戚にあたる人物です。はじめは「孔融(こうゆう)」、「劉繇(りゅうよう)」に仕えのちに孫権に仕えました。そして孫権の下で外交政策などを担当し、221年に丞相に就任しました。ただ、正史「三国志」には「伝(伝記)」が書かれておらず、詳細な実績はあまりわかっていません。

 

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君主論

 

 

2代目丞相 顧雍

顧雍(こよう)

 

呉の歴代丞相の中で最も長く務めた人物です。公平な人事を行い、時には民衆に直接意見を聞くこともあったといいます。

 

民衆の意見に耳を傾ける顧雍(こよう)

 

数々の建策をしましたが、それが取り入れられた時は孫権の手柄とし、不採用の時は決して人には言わなかったため、孫権にとても重用され、丞相職のまま亡くなっています。

 

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3代目丞相 陸遜

陸遜

 

丞相職に就いていた期間は短いですが、「夷陵(いりょう)の戦い」など様々な戦で活躍をしました。文官としても数々の建策をし、呉の中心武将として重きをなしています。晩年は後継者争いなどで孫権と対立し、最期は憤死してしまいます。

 

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4代目丞相 歩騭

 

貧しい暮らしをしていましたが、働きながら勉学に励んでいました。諸葛僅(しょかつきん)らと友人であり、ともに孫権に仕えることになりました。水軍を率いて交州平定で活躍し、異民族討伐にも従軍し、陸遜の死後に丞相に就きました。人材を見る目があり、多くの有能な人物を孫権に推薦しています。

 

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5代目丞相 朱拠

朱拠

 

文武において優れ、議論も得意だったといいます。孫権の後継者争いに巻き込まれ、孫権に激怒され、百叩きの上、左遷され、最期は自殺してしまいました。

 

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6代目丞相 諸葛恪

諸葛恪の栄光と破滅

 

諸葛僅の息子で、諸葛亮の甥にあたります。幼少期からとても頭が良く、多くの人を驚かせたといいます。しかし、野心家で己の才能を誇りすぎるところもありました。

 

諸葛恪の栄光と破滅03 諸葛恪

 

度々魏との戦いで戦功をあげ、丞相に就任しますが、周囲の反対を押し切った遠征で魏に大敗。人望を一気に失ってしまい、しまいにはクーデターで殺されます。

 

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はじ三倶楽部

 

 

7代目丞相 孫峻

孫峻

 

孫氏の一族出身で、武術を得意としていました。孫権の死後は諸葛恪と共に政治を行いますが、諸葛恪が魏に大敗した後は彼と対立、殺害します。

 

諸葛恪に夢で殴られて死ぬ孫峻

 

その後は独裁体制をしき、意にそぐわないものは処刑するなど思うがままにふるまいましたが、魏への遠征中、諸葛恪に殴られる夢を見て病に倒れ、そのまま亡くなります。

 

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二宮の変

 

 

8代目丞相 孫綝

孫綝

 

孫峻の従弟で、彼の死後に後継者となり、呉の実権を握りました。多くの呉の武将と争いを繰り広げ、君主の「孫亮」とも対立し、ついには彼を廃立。

 

命乞いする孫綝

 

跡を継いだ「孫休」の下で権勢をふるいますが、謀反の疑いで殺されます。

 

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三国志ライフ

 

9代目丞相 濮陽興

 

若いころから評判が高く、のちに呉王となる孫休とも親しい間柄でした。孫休が即位すると呼び寄せられ、国政を任されるようになります。孫休は死の間際、息子に地位を譲ることを望んでいましたが、濮陽興らは評判が高かった「孫皓」を擁立します。

 

しかし孫皓は暴君で政治は乱れ、濮陽興は大いに後悔したといいます。後に讒言され、殺されます。

 

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北方謙三三国志

 

 

第10代左丞相 陸凱

 

陸遜と同じ一族の出身です。孫権の時代に軍権を任され、異民族討伐や、晋との戦いで活躍しました。孫皓が即位すると、暴政を繰り広げる彼に度々諫言し、廃立も計画しますが果たせませんでした。

 

暴君・孫皓にしっかり意見を言う陸凱(りくがい)

 

亡くなる直前も孫皓をいさめる遺言を残すなどしましたが、呉の将来を悲観しつつ、亡くなりました。

 

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鍾会の乱

 

 

第10代右丞相 万彧

 

孫皓とは昔馴染みで、彼の皇帝への即位に貢献しました。即位後は対立する人物を追い落とすなど思うがままにふるまいましたが、のちに孫皓と対立。不可解な死を遂げます。

 

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第11代丞相 許沇

呉志(呉書)_書類

 

正史「三国志」には記述がありませんが、孫皓によって建てられた、「封禅国山碑(ほうぜんこくざんひ)」という石碑に丞相として名前が刻まれています。彼の実績はよくわかっていません。

 

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合肥の戦い

 

 

第12代丞相 張悌

張悌(ちょうてい) 呉の兵士

 

若いころから評判の高い人物で、「諸葛恪」から推薦されて呉に仕えるようになったようです。先述の「陸凱」からも期待され、孫皓の下で丞相に就任しますが、その直後に晋が呉に侵攻。

 

最後まで戦い抜く張悌(ちょうてい)兵士モブ

 

張悌は迎撃に出ますが、敗退し、降伏を勧められますがこれを拒否。最後まで戦い戦死しました。

 

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永安の戦い

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

以上、呉の歴代丞相を紹介しました。一部をのぞき、ほとんどは権力争いに明け暮れていた人物ばかりですね。悲しい最期を迎えた者も多い印象です。特に呉は君主が孫権後は安定せず、家臣も振り回されていたのでしょうね。

 

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歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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