水滸伝には、モデルとなった人が多数存在すると言われています。頭領である宋江にも、賊将の宋江がいた、その宋江が官軍となった、いや二人はそもそも別人、いや違う賊としての宋江がいただけで官軍は存在しなかった……などなど。
民間伝承、言い伝え、面白い小話……そうして積み重ねてミックスして生まれたのが物語としての水滸伝と言えるでしょうか。しかしその水滸伝、読んでみると読後感がやや納得いかないところがある。今回は水滸伝の終幕についてお話したいと思います。
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水滸伝には2つのエンディングがある
さて水滸伝、エンディングが大きく2パターンあります。まず108人の星の生まれ変わりたちが梁山泊に集まって「これから俺たちの戦いが始まるぜ!(終わり)」とするもの。
そして更にお話はそこから続き、最終的に宋に梁山泊は帰順するも、敵国との激しい戦いの果てに数々の戦死者が出て、最終的に宋江も毒殺されて梁山泊は実質壊滅して終わるもの。
途中エンディングか登場人物ほぼ終幕までかの違いですね。
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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】
少年漫画の打ち切りのような70回本
ここでちょっと70回のエンディングの方を。こちらは下手をすると「少年誌の打ち切りか?」とも思ってしまうエンディングです。
そもそも、水滸伝とすると話としてはやや短い。一例を挙げると梁山泊のナンバー2である玉麒麟こと魯俊義の登場が61回ということもあり、ナンバー2が大した出番も活躍もないまま終了してしまうのです。
玉麒麟の活躍が見たい人はぜひ100回、もしくは120回を見るべきと言えますでしょうか。
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一番希望がある70回本
ただ、100回、120回に比べると70回のエンディングは、読後感は良い方だと言えます。梁山泊のメンバーの末路は割と悲惨、悲痛なものが多く、ラストもここまで国のために頑張ってきた宋江が悪漢たちに毒殺されておしまい、ですからね。
この辺りはたまに「三国志演義は桃園の誓いの頃が一番輝いていたのでは……?」なんて思う筆者みたいなタイプの人には同調して頂けるかもしれません。
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水滸伝の納得いかない点
今回お話したいのは、水滸伝の終わりについて。特に宋江の毒殺、梁山泊壊滅までの終わりについてです。
皆さんはこの終幕についてどう思いましたか?
何を感じましたか?
もしかしてちょっとスッキリしていない所もあるのではないでしょうか?
あ、誤解しないで下さいね。水滸伝について不平不満をぶつけたいのではありません。ただもしも「ちょっとスッキリしない」という人がいたとするなら、その理由をちょっと一緒に考えて欲しいだけなのです。
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最期まで悪事を尽くす四姦臣
まず、水滸伝には「四姦臣」というキャラクターが出てきます。実際の彼らが正史においてどのような悪行をしたかどうかは置いておいて、水滸伝に出てくる彼らは正に悪人、外道とも言える人物たちです。例えば高俅とかは、本当に腹の立つ、典型的な悪人というキャラクターですね。
しかし高キュウは水滸伝中では裁きを受けません。何の罰も受けずに水滸伝は幕を閉じるのです。こういった面が、水滸伝の読後感にちょっと不満が出てしまう理由の一つでしょう。
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