悪漢、袁術による嫌がらせの兵糧攻めで弱ってしまった孫堅軍。そこを卑劣にも華雄に攻め込まれ、散り散りになった中で。
たった一人、主の頭巾をかぶり、身代わりになって草むらに身を潜めていた。
「孫堅様――――……ご武運を!」
そうして、主君のために、ここで一人英雄が散ったのである。という前置きは置いておいて、この人物、通称「祖茂さん」がどうして三国志演義で注目されたのかを今回は考えてみました!
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三国志演義の祖茂
さてまずは三国志演義の祖茂さんをご紹介していきましょう。祖茂、字は大栄。孫堅配下の彼は二つの刀を扱ったとされ、恐らくは華麗なる二刀流の使い手だったのでしょう。そんな彼が出てくるのは序盤も序盤、反董卓連合軍の先鋒隊を孫堅が務めた時のこと。
よりによって味方から兵糧攻めを喰らってどうしようもなくなるという場面、どんどんと士気が落ちていく孫堅軍と兵たちに何もしてやれず憤る主、孫堅の傍に祖茂はいました。
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孫堅の頭巾をかぶり華雄の追撃を受け散る
そこを攻撃してきたのは、敵将・華雄。華々しくも雄々しい名前の武将により孫堅軍は蹴散らされ、這う這うの体で逃げ回ることに。
しかし華雄の追撃は止まず、もはやここまでか……と孫堅が覚悟した時でした。「お逃げ下さい!」孫堅が付けていた赤ずきんを祖茂は奪い、自らが身に付けて身を隠し、孫堅を逃がしました。
なお、自分が付けたり、木に括りつけたり、石に乗っけたりとバリエーションが豊富です。しかし華雄に見つかり、祖茂は主が助かることを祈りながら散ることになりました。
何という忠臣、これは三国志で単独立伝は決まったようなものですね!(フラグ)
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正史三国志の祖茂
では三国志、正史における祖茂を見ていきましょう。彼は孫堅伝において名を見ることができます。孫堅伝において名を見ることができます。(二回目)
そうして始まった反董卓連合軍、孫堅軍は包囲されるも、孫堅は包囲網を何とか突破。この時に追手の目を欺くために孫堅のかぶっていた赤ずきんをかぶって赤ずきん祖茂ちゃんになったのが祖茂です。
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華雄から逃げ延びた後、消息を絶つ祖茂
祖茂が目を引いてくれたために、孫堅たちは何とか逃げおおせることができました。しかし単独で、しかも目を引いた祖茂は敵に追い詰められていきます。最早これまで、いや、主の敵を一人でも多く道連れに……!とは、祖茂はしませんでした。
祖茂は赤ずきんを木に括りつけ、草むらに隠れました。追手たちは赤ずきんを見つけると孫堅には逃げられたと悟って退却。祖茂はその後、歴史からも隠れることになります。
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歴史に登場しなくなる祖茂
董卓軍の追手さえも巻いた素晴らしい隠れ技は歴史にも適応され……という三国志ジョークはここまでに。そう、祖茂の記録はここまでです。ぶっちゃけると生死さえ良く分からないのです。にも関わらず、三国志演義では字を賜り、主である孫堅のためにその命をかけ、そして華雄に討ち取られてしまうという破格の待遇。どうして彼はここまで三国志演義ではグレードアップしたのでしょうか?そこで注目したのが、孫堅の配下代表格とも言われる、程普、黄蓋、韓当です。
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