三国志武将をトレードしてみようという妄想力全開企画!とりかへばや物語、今回は張コウに注目して見ましょう。張コウと言えば嘗て袁紹の配下であったものの、止むも止まれず曹操の元に下り、そこから大活躍を果たした武将の一人。一説には魏の五将軍とも言われ、劉備も恐れた名将です。
そんな張コウのとりかえばや、主観たっぷりでお届けしたいと思いますのでどうぞよろしく!
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この記事の目次
三国志演義に載らない活躍も多い張郃
張郃は袁紹の配下から曹操の配下になったのは前述した通りですが、ここにちょっと筆者の考えを加筆。三国志演義では基本的に劉備を主人公、その後は諸葛亮主人公目線で進むため、序盤の後漢末期の戦いが非常に簡略化されている部分があります。
このため袁紹と曹操の戦い、つまり官渡の戦いや、公孫サンと袁紹の戦いなどが殆ど描写されておらず、ここでもかなりの活躍をしている張コウは見せ場を削られた形になっています。このため三国志演義の張コウしか知らない人にはちょっと布教がしにくい存在なんですよね、張コウは。
魏でも大活躍し魏書に記載される
とは言え、じゃあ曹操の元にやってきてからパッとしないか、というと、そんなことは全くないのが張コウ。曹操の元でもしっかりと働き、時に軍を任せられ、時に誰かの副将として見事に縁の下として働いているその姿は、魏にとって、曹操にとっても欠かせないものだったことでしょう。
個人的には夏侯淵の補佐として付けられているの、曹操の慧眼冴え渡ってんな……と感服する所です。袁紹の配下であったとしても間違いなく魏書に記されるべき存在、それが張コウです。
張遼も呂布や董卓に仕えていた?あんな桁外れと一緒には誰も並べてはいけませんよ。
三国志演義では司馬懿の咬ませ犬に
再び三国志演義の張コウの話をしてしまい恐縮ですが、実は三国志演義の張コウ、最期が違います。
三国志演義の張コウは撤退した諸葛亮に対して司馬懿に「追撃しようぜ!今ならやれるぜ!(意訳)」と言って追撃となっていますが、正史では(魏略によると)
「敵を囲む際には一方を開けよとあるように、今追撃してはなりません(ちょっと意訳)」と進言して司馬懿に却下されたとなっています。この後、追撃して討ち死してしまうのは同様です。
これは正史を見ると司馬懿の失策となってしまうので、諸葛亮のライバルがここで失策をするのはできない……ということでこのような改編が行われたのではないでしょうか。
なので三国志演義の張コウはこのイメージもあり、猪武者のように描かれてしまうのは悲しい所です。ぜひ皆さんも張コウの印象上昇キャンペーンをしましょう。
おっと、本題のとりかえばやに移りましょうか!
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case1:趙雲と取り替えたら関羽の機嫌取りに苦労する
まず上げたいのは趙雲です。趙雲もまた正史においては記述が少なく、実は目立たない存在ながら、蜀を支える良い武将であったことはしっかりと記された人物。
彼らをとりかえばやしたとしても、趙雲は趙雲で魏で良く働き、張コウも張コウで蜀で良く働くのではないでしょうか。お互いにお互いの軍の良い要になってくれる存在だと思います。個人的には関羽の補佐とかに回されて苦労している張コウ、見てみたいですね。
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case2:呂蒙と取り替えたら関羽の呪い死にを回避
呉からは呂蒙を上げたいと思います。呂蒙と言えば関羽との戦いが取り上げられる存在ですが、ここで思い出してもらいたいのが楽進。劉備が恐れた魏将と言えば「関羽を撃退した楽進、自分が戦った張コウ」です。そして関羽を討ち取った呂蒙と張コウがとりかへばやとなると……劉備が最も恐れた存在に張コウは堂々ランクインでしょう!
呂蒙は初期こそ勉強嫌いですが、孫権のように諭してくれる存在は魏にもたくさんいるので、ここでもしっかりと働いてくれると思います。関羽の呪いを受けないだけ魏の方がいいのかな……?
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