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孫権は従順で大人しい女性がタイプだった?お妃の性格で分析してみた

2022年6月10日


 

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三国志を語るセンさん

 

三国志(さんごくし)には幾人もの武将たちが出ますし、当然ながらその武将たちには妻がいます。しかし、歴史に名前が記される女性と言うのは稀であり、それこそ「いた」くらいしか分からないことも良くあります。

 

孫策が亡くなり呉を継ぐ若き孫権

 

さて、同時に権力者ともなると幾人もの女性を妻としているのは良く知られたことですが……今回は、ちょっとそのお一人、呉孫権(そんけん)の奥さんたちから、孫権の女性の好みを察して見たいと思います!

 

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫権が最も愛した歩練師

容貌の美しさから孫権に愛された歩練師

 

さてさて、孫権の妻で有名な女性と言えば歩夫人

 

歩夫人は歩錬師(ほれんし)と史書に名前が残っている数少ない女性の一人であり、歩家の女性です。

 

元々地方豪族であったようですが、時代は戦乱の世。荒れていく土地から逃れるように母親と共に江東に移住したそうです。そうして容貌が良かった彼女は孫権に見初められ、その妻となりました。

 

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呉の武将

 

 

慎ましい性格だった歩錬師

孫権に気に入られる孫峻

 

この歩夫人、孫権の最愛の女性と言われ、慎ましやかな性格をしていたと言われています。。彼女は嫉妬しない性格であり、孫権に他の女性を進めることもあったようで、そういった性格を孫権は非常に愛したそうです。

 

逆に嘗て妻だった徐夫人(じょふじん)は、嫉妬深かったために孫権から疎まれ、周囲に進められても皇后にすることもなく廃されたと言うので、孫権は嫉妬深い女性はかなりタイプではなかったかもしれません。

 

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呂布対項羽

 

男子が生まれず皇后になれなかった歩錬師

孫登

 

さて皇后のお話ですが、孫権が皇后にしたかったのは当然ながらこの歩練師です。しかし、当時の皇太子の孫登(そんとう)を育てていたのは徐夫人でした。孫登も育ての母親である徐夫人を慕っており、序列を通すべきであると徐夫人を皇后にして欲しいと言いました。

 

臣下の将たちも徐夫人を立后(りっこう)するべき、というも、孫権は納得せず。結局皇后は決まらぬまま、歩夫人は亡くなりました。その後、改めて孫権は歩夫人に皇后の位を追贈(ついぞう)したのです。

 

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君主論

 

 

 

袁術の娘、袁夫人

袁術目隠し

 

ここでもう一人の女性のお話を。

 

名前が分かってないので結婚後の名前、袁夫人(えんふじん)と呼びますが、この女性、名から分かるようにお父さんはあの袁術(えんじゅつ)です。そう、繰り返しますがあの袁術の娘です。

 

袁術に助けを求める呂布

 

やりたい放題やって最期にハチミツを所望して大量吐血して亡くなったあの袁術の娘ですから、それはもう甘やかされて思考回路ハニーミルクなお人……という訳ではなかったようで。性格は誠実で慎ましやかな品のある女性だったとか。どうやら国の養育はアレでも娘の養育はバッチリだった御様子。

 

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■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

古代中国の暮らし図鑑

 

 

袁術が滅んで呉に送られる袁夫人

袁術

 

そんな女性ですが、当然ながら後の歴史から分かるように袁術は亡くなります。国と言ってもういいかも分かりませんが崩壊しました。

 

彼女は家族と共に劉勲(りゅうくん)の元に身を寄せましたが、劉勲は孫策(そんさく)らに破られます。この時に袁夫人は家族と共に捕虜とされ、一説には二喬(にきょう)と共に呉軍に送られました。その後は孫氏に引き取られて、孫権の妻の一人となりました。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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