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もし徐州大虐殺がなかったら曹操は一代で天下を決めていた?三国志の隠れた分岐点に大義名分はあった?

2022年6月23日


 

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霊帝の皇帝廃位のクーデターを曹操にも誘う王芬

 

曹操(そうそう)ファンの皆様、どうかご容赦ください。今回は、曹操にとっていささか立場の悪いハナシをしましょう。徐州大虐殺です。

 

処刑を下す曹操

 

これは、曹操が若い頃、徐州(じょしゅう)陶謙(とうけん)を攻めた際に、無関係な民衆を数十万人単位で虐殺したというもの。

 

後漢書(書類)

 

 

曹操ファンとしては、なかったことにしたいハナシでしょうが、『正史(せいし)』および『後漢書(ごかんじょ)』と、歴史書として編まれた書物に記載があるので、むげに「後世の創作だ!」と断じて否定するわけにもいきません。

 

三国志の武器 霹靂車 曹操

 

それどころか、世界史的に見ても、「戦争のついでに無意味な大量虐殺をした人間」に対しては、厳しい評価の見直しがされている昨今。ここは、我らが英雄、曹操についても、きちんと責任に向き合ってもらいましょう。

 

曹操

 

すなわち、歴史書に記載されている「曹操による大虐殺」は、どういう背景で起こったのか、そしてこの事件について、曹操を擁護できるところがあるのでしょうか、それとも徹底的に指導者責任を糾弾すべきことなのか?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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実際は何があったのか?徐州大虐殺とは!

正史三国志_書類

 

まずは、『正史』『後漢書』の記述を整理して、何があったのかを確認してみましょう。

 

陶謙軍に襲われ財宝を盗まれ亡くなった曹嵩

 

これら歴史書に伝えられるところによると、発端となったのは、曹操の父親・曹嵩が陶謙に殺害されたこと。

 

ブチ切れる曹操

 

これに怒った曹操は徐州を攻撃。ここで、公孫瓚(こうそんさん)から援軍として派遣された劉備(りゅうび)が陶謙側についたこともあり、曹操軍は二回の攻撃をするものの陶謙を攻め滅ぼすことができませんでした。

 

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

その二回目の攻撃の際に、道行く村や町で徐州の住民を数十万単位で殺戮し、その死体のために川の水は止まり、曹操軍が通った後は、犬や鶏すら見あたらないほどの荒れ地に変えられてしまったそうです。

 

伝わっているのは、これくらいのハナシなのですが、さあ、これだけでもたくさんのツッコミどころがありますね。ひとつひとつ、ツッコんでいきましょうか!準備はよろしいでっしょうか?

 

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ツッコミどころ:父親を殺されたから、という理由は正当なの?

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

まず、動機がそもそも微妙ですよね。現代人なら「むむ?」となるところ。

 

「父親を殺されたという証拠はどこにあるの?」という点が、まず気になりますよね。これについては歴史書の中でもきわめて曖昧です。「陶謙が意図的に殺した」のか、「陶謙がちゃんと保護しなかったから事故で死んだ」のかが、よくわからない。

 

ただし私の考えるに、徐州の太守である陶謙が、特に理由もなく曹操の父親を殺害する理由がまったくありません。おそらく、曹操の父は、山賊に殺された、とか、陶謙の部下の中の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働く部隊に、重要人物とは知らずに事故的に殺された、とか、そんなつまらない理由だったのではないでしょうか?

 

陶謙

 

つまり陶謙としては、「私が指示したことではないのですが、自分の領地で事故がありました。監督不行き届きにつき、太守として申し訳ない」という立場だったのではないでしょうか。

 

そのような曖昧さが背景にあることを踏まえた上で、曹操の動機を検証してみましょう。「子として、父親を殺した無責任な太守を許しておけない。軍隊を送り込んで滅ぼしてやる!」皆様の評価は、どうでしょうか。

 

やはり、こう邪推したくなるのではないでしょうか。「最初から徐州を奪う口実を探していて、父親の死はたまたまの事故、『かっこうの大義名分が立った!』」と思っての侵攻であったのでは、と。

 

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ツッコミどころ:結局、陶謙を倒せていないのは、なんなの?

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もうひとつのツッコミどころ。

 

「勇んで攻め込んだくせに、陶謙を滅ぼし切れてないのでは?」というところですよね。そうなのです。曹操のこの時の徐州攻撃は、破竹の勢いを見せたものの、陶謙に劉備関羽張飛がついていたこともあり、最後の詰めでトドメを差し切れず、肝心の陶謙打倒を果たせないままに撤退しているのです。

 

そのうえで、二回目の攻撃の時に、この数十万の大虐殺があったのです。これはもう、「敵の本拠地を落とせなかったことのハライセでは?」と疑われても仕方ないですよね。

 

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ツッコミどころ:このときの徐州攻撃は曹操にとって戦略的失敗だったのでは?

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さらなるツッコミどころは、ここですね。公孫瓚のところにかくまわれていた劉備が、この事件によって徐州に入り、三国志(さんごくし)の表舞台にデビューします。

 

曹操を裏切る陳宮

 

また、この事件をきっかけに、陳宮(ちんきゅう)が曹操を見限り、呂布(りょふ)をリーダーにかかげて反曹操軍を立ち上げます。もっと重要なことには、徐州出身のたくさんの有能な人材が、これを聞いて「反曹操」の感情を抱き、その後、劉備軍や孫権軍(そんけんぐん)に続々と合流することになった、ということです。

 

その、「徐州出身者」というのは、諸葛亮(しょかつりょう)諸葛瑾(しょかつきん)兄弟。

魯粛(ろしゅく)

張昭(ちょうしょう)

徐盛(じょせい)など。

 

どれも、のちに劉備配下、ないし孫権配下で曹操をさんざん苦しめたネームですよね!

 

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まとめ:徐州大虐殺さえなければ曹操の天下取りは「早々に」決まっていた?

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

周囲にとって納得のしにくい理由で攻め込み、必ずしも当初の目的を達成できず、そのハライセのような形で大虐殺を行っている。曹操自身の意図や、どこまで具体的に虐殺指示を出していたのかはともかく、現代の感覚から言えば、やはり曹操の立場が悪いハナシですよね。

 

そもそも、もしこの徐州大虐殺がなかったら?

 

袁紹に追い詰められる曹操

 

曹操はしっかりと準備をした上で、もっと早く袁紹(えんしょう)との対決に入れたでしょうし、劉備の出世は遅れに遅れ、呂布などが割り込んでくる余地も与えず、献帝(けんてい)についても、もっとさっさと廃して、皇位を奪取できていたかもしれません。

 

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

そのうえ、諸葛亮が劉備と出会わなかったかもしないとなると、赤壁(せきへき)の戦いでも曹操が有利。もはや曹操一代で天下を取れてしまったのでは?!

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

やらなくていい大虐殺をやってしまい、「世間の評判」とか「信頼」と呼ばれるところで傷がつき、それゆえにその後数十年、あと一歩で天下を逃し続けたとなると、

 

どんな強力な英雄でも、戦争をやる際、

・納得できる理由を提示

・余計な殺生はしない

 

という二点はぜったいに外してはいけないというのが、今も昔も変わらない、施政者の鉄則なのかもしれません。

 

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YASHIRO

YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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