孫策・孫権に愛された歴戦の猛者・陳武!陳武伝から読み解くとわかる優秀さ

2022年7月21日


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陳武

 

さて名将揃いの呉の将の中の一人、今回は陳武(ちんぶ)についてお話しましょうか。彼は仕え始めた時代こそ孫策(そんさく)ですが、孫権(そんけん)にとてもとても愛された武将でもあります。

 

呉志(呉書)_書類

 

そんな彼についての伝は、もちろんのこと呉書にしっかりと記録されております。しかし実はこの陳武伝を見てみると……あれあれ?何だかちょっと面白いぞ?という事態に。今回はこれについてもお話しましょうね。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陳武という人物

呉の勢力を率いる孫策

 

さて、陳武は孫策の時代から仕えることになった人物と言うのは前述した通り。時代は遥か昔、孫策がまだ袁術(えんじゅつ)の庇護下にいた頃のこと。孫策の元にある人物がやってきました。

 

ポイント解説をするセン様

 

なんとその人物は身長七尺七寸、現代で言うと180㎝にちょっと届かないくらいの高身長。陳武、18歳の頃でありました。尚、自販機が183㎝なので、あの高さから5㎝ほど引いて頂ければ陳武の身長を身近に感じられることでしょう。

 

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各地で武功を挙げる陳武

呉の小覇王・孫策

 

孫策は陳武を迎え入れ、陳武は孫策の下で色々な土地で戦います。孫策は陳武を信頼していたのか、精鋭を率いさせて戦わせました。陳武の率いる軍は負けなしと言われるほど強く、名を挙げていきます。

 

順調に将軍まで出世する陳武

 

そうして孫策亡き後、陳武は孫権に仕えます。この際、陳武は五校尉(ごこうい)に任命されましたが、偉ぶることなく、仁義に厚く、良く施しを行った陳武は広く慕われ、多くの人々が陳武の元を訪れました。

 

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合肥の戦い(あっ)

孫権に気に入られる孫峻

 

孫権自身も陳武をかなり気に入っており、度々陳武の家に訪れたそうです。しかし時は流れて215年(あっ)。合肥(がっぴ)の戦いに孫権は赴き、陳武もこれに同行します(ああっ)。

 

進撃が止まらない張遼

 

この戦いで孫権と相対する魏の武将は張遼(ちょうりょう)。その戦いっぷりは凄すぎるため、三国志演義(さんごくしえんぎ)では控えめに描かれるほど……陳武もまた奮戦するも、この戦いで命を落としました。

 

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陳武の家を度々訪れるほど彼を気に入っていた孫権

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陳武の家を度々訪れるほど、彼を気に入っていた孫権。敗北のショックも相まってか、陳武の遺骸と対面して号泣、その別れを惜しんだと言います。と、ここからちょっと後味の悪い逸話。孫権は陳武死後、その賓客(ひんきゃく)となっていた家々の税を免除しました。

 

ここまではまあ良いでしょう。しかし陳武の愛妾に対して「陳武に殉死するように」と命じたのです。断れることもなく愛妾は殉死、陳武があの世で寂しくないように……かもしれませんが、そこまでしなくても……と思う一幕ですね。

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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