韓信の死亡フラグが立ちました
しかし、韓信は項羽の策を拒否。嘗て項羽に重用されずままにいたこと、対して劉邦は自分を認めてくれた恩義があると断じたのですが……これに反対したのが、カイ通でした。
蒯通の言葉に韓信も大いに悩みましたが、「やはり劉邦様を裏切ることはできない」カイ通はここで後の憂いのため出奔。
そして更に後、韓信は結局は劉邦に叛意を疑われ、道を違えることになった後、密告により処刑されることとなりました。韓信は最期に、あの時にカイ通の言葉に沿わなかったことが心残りだと言い残したと言います。
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実はあの人といっしょ
さて、主君から離れることを進言されるも、恩義と忠義によってそれを良しとせず。結果として主から処刑され、あの時の進言を聞き入れていれば、と言い残した。
実は韓信の最期は、三国志の劉封の最期と酷似しています。偶然か、誰かが意図したものか、それともいつの世も「狡兎死して走狗煮らる」のか。これもまた、歴史の妙味なのかもしれません。
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あの人はいずこ
因みに劉封に降伏を進めた孟達は、何だかんだ曹丕が亡くなった後の魏ではやりにくくなり、最後は蜀に表返って司馬懿にやられる、という最期でしたね。
では韓信に独立を進めたカイ通はどうなったかと言うと。韓信の最期の言葉に怒り狂った劉邦に捕まって引き出されました。しかしここで「あの時の私は韓信殿の部下でした。韓信殿のために進言するのは当然のことです」ときっぱり言ったことで、劉邦に許されたと言います。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は韓信の最期、に注目して見ました。恩義に報いるのは当然のことです。しかし時として忠義の向け所を間違ってしまうと、命運を縮めることになります。
ただ、韓信の叛意に付いては無実だったという説もあり、三国志平話ではこの「韓信の無実」が認められて、韓信は曹操となって献帝、伏皇后となった劉邦、呂皇后に復讐します。真実はどうであれ、恩義に報いた韓信は後年の創作の中でも「無実」として扱われた、というのは中々面白いと思いますね。
ちゃぽーん。
参考文献:史記淮陰侯列伝
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