劉備の荊州侵攻は、三国志演義でも中々ワクワクしたシーンですね。しかし劉備たちの行く手を阻むのが荊州四天王と呼ばれる(※呼ばれていません)武将たち。
そしてその一人こそが、三国志演義で色々な意味で有名になってしまった趙範。そのエピソードは趙雲とのものですが、今回はこの趙範と趙雲、そして問題となった樊氏のお話をしましょうか。
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被害者は荊州四天王(仮)趙範
さて荊州四天王とは韓玄・金旋・劉度・趙範の四名のこと。彼らは別に武勇と知略を駆使して荊州の覇者となった訳ではなく、荊州を治めている、あくまで漢王朝の臣下です。
経緯は不明ですが、おそらく劉表勢力が弱まったために半分自治体のような状態になってしまったのではないでしょうか。
そこに劉備がやってきた感じですね。ゲームだと速攻で韓玄滅ぼして黄忠と魏延を回収する所ではないでしょうか。
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嫂の樊氏を趙雲に勧める趙範
ではまず正史の方からご紹介を。劉備の侵攻に対して、最初こそ対抗するも、結局趙範は劉備に降伏することになります。
この時、趙範に代わって桂陽郡の太守に赴任したのが趙雲です。趙範は赴任してきた趙雲に取り入ろうとしました。そこで出てくるのが樊氏です。樊氏は亡き趙範の兄の妻であり、未亡人でした。ついでに言うととても美人さんでした。
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縁談を毅然と断る趙雲
つまり美人な兄嫁を宛がって、趙雲に取り入ろうとしたのですね。しかしそこは我らが高潔さで知られた趙子龍。「趙範殿も私も、同じ趙性です。つまり趙範殿の兄上は私の兄も同じであり、兄嫁を娶ることなど仁義に反します」と、毅然とこれを断りました。
後々、樊氏は美人だから娶ったら?と勧められた趙雲ですが、「趙範は追い詰められて降伏しただけであり、信用ならない人物」「天下に女性は少なくない」と、趙雲は態度を変えず、趙範は後に曹操の元に逃亡したと言います。
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三国志演義では樊氏が大乗り気
そしてこのお話が、三国志演義ではより脚色されることになります。おそらくこのおかげで趙範は記憶に残りやすい……悪い意味で、となったことでしょう。さて劉備に降伏するまでは同じですが、ここで趙範と趙雲の関係がちょっと変わります。
実は趙範は趙雲と同郷、桃園……ではなく、遠縁の関係。そして樊氏は兼ねてより「亡き夫と同じ趙性の、天下に名高い人物」に嫁ぎたいと言っていました。そこにやってきたのが趙雲です。
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