三国志演義に出てくる関羽と言えば。真っ赤な逞しい馬、赤兎馬に跨って、長い見事な髭を持ち、顔は熟したナツメの色で、もちろん手には青龍偃月刀を持って敵を一閃する、そんなイメージがありますよね。
そう、関羽の武器と言えば青龍偃月刀。むしろ青龍偃月刀と言えば関羽と言っていいかもしれません。この青龍偃月刀、同時代に出来た水滸伝にも出てくる知名度を誇りますが、意外な所でもこの名前が出てくることになります。今回はこの青龍偃月刀のお話をしましょうか。
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関羽の青龍偃月刀には名前がある!
さて青龍偃月刀とは、大刀の一種です。長い柄を持ち、その先端に婉曲した刀が取り付けられ、これは馬上での扱いを考慮したものと言われています。婉曲した部分から偃月、と呼ばれ、そしてそこに青龍の装飾が施されている所から、青龍偃月刀、と呼ばれるようになりました。
因みに関羽の愛用の青龍偃月刀には「冷艶鋸」という名前が付けられています。カッコいいですね!
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関羽の死後青龍偃月刀は奪われる
三国志演義では関羽は劉備との旗揚げ時にこの青龍偃月刀を作って貰い、それから長きに渡ってこの武器と共に戦場を駆け巡りました。しかしご存知、関羽は樊城でその命を落とします。これは三国志演義でも変わりません。
この時に、関羽を捕らえたのが呉の潘璋です。余談ですがこの潘璋、晩年は特に素行が悪くなり、強欲で、人から金品を強奪するなど粗暴な面が酷いと記録されています。
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関興の手に戻ってきた青龍偃月刀
そんな潘璋に、孫権は関羽の愛用、青龍偃月刀を「関羽を捕らえた褒美」として与えました。潘璋はこれを喜んでこの青龍偃月刀を愛用するようになりました。使えたんだ 関羽専用ではなかったんだ……
しかし青龍偃月刀なんか振り回していては、関羽の仇と宣伝しているようなもの。最終的に関羽の子、関興に追い回されて逃げた先で関羽の亡霊に遭遇、驚いた所を関興に斬られ、以後、青龍偃月刀は関興に受け継がれることになりました。
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梁山泊五虎将筆頭関勝が青龍偃月刀を振るう
さてこの青龍偃月刀、水滸伝を読むと子々孫々と受け継がれたのでしょうか、しっかりと関羽の子孫である関勝に受け継がれ、関勝愛用の武器となっています。
青龍偃月刀が大刀であることにかけ、関勝の綽名は大刀。更に言うなら関勝は梁山泊の騎兵軍五虎将の、しかも筆頭!正に関羽の子孫(自称)らしく、戦場を青龍偃月刀片手に縦横無尽に駆け巡る姿を見せつけてくれます!
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