魏将……まあ後で魏から呉に落ち延びるから呉将でもある文欽。
どっちかというと息子である文鴦の父親、であることの方が有名かもしれない文欽。魏でも呉でも「周囲にめちゃくちゃ嫌われていました」とか言われてしまう文欽。でも実は文欽はカリスマ的なパワーに満ち溢れていた……かもしれない?
今回は文欽の、不思議な魅力(?)について、お話したいと思います。
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この記事の目次
曹叡には不問にされた文欽の所業
さて文欽の性格は「気性が荒い」「礼節を弁えない」「どんな役職についても上司を馬鹿にする」「法に遵わない」と、書かれている記録からもちょっとよろしくないですね。これによって文欽は周囲から嫌われ、いつも弾劾の上奏がなされていたようです。
さてこの当時の魏のトップは曹叡でしたが、なんと不思議なことに曹叡はこの上奏を抑えてやっていたと言います。
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同郷人の曹爽にも庇われ増々調子に乗る
時代は移り変わって曹叡も崩御。次に魏の実権を握ったのは曹爽でした。この当時、文欽はその性格の残忍さから王淩に弾劾され、一時中央に召還されました。
しかし魏の実権を握っていたのは曹爽でした。重要なことなので二回以上言わせて頂きますが、曹爽だったのです。曹爽は文欽と同郷で仲が良かったためか、事件を大して取り調べずに解放、更には昇進させました。これで文欽は増々偉ぶるようになっていったと言います。
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戦果の水増し要求を司馬師に蹴られて蜂起
そして曹爽失脚。これにより文欽もちょっと立場が危うくなります。後に実権を握ったのは司馬懿の息子、司馬師。文欽は司馬師に怨みを抱いていました。何故なら功績の水増し報告をしたら、却下されたからです!
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らと手を組み乱を起こすも失敗。その後は息子たちを連れて呉に逃げます。
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呉の嫌われ者、孫峻とはマブダチに
こうして呉に落ち延びた文欽。その理由は良くは分かりませんが、呉の諸将にも嫌われておりました。嫌悪されていた所か、憎悪されていたとか言われるほどです。そしてこの当時の呉を掌握していたのはご存知、孫峻。そして不思議なことに孫峻は文欽を信任しました。
この後、文欽が北伐を進言した時にそれが用いられるほどには信頼されていたようです。まあ周囲からはまた嫌われているのですが……。
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相性最悪の諸葛誕の援軍に来て殺害される
そして後、魏で諸葛誕が反乱を起こします。この時に文欽は呉の他の諸将と共に救援に駆けつけ、寿春に入ります。
しかし兼ねてより諸葛誕とは仲が悪く、籠城戦で食料も付き、意見の対立から諸葛誕から切り殺されることになりました。ここで文欽という武将の生涯は、幕を閉じることとなります。さて、文欽。ご覧になって、いかがでしょうか。
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権力者に取り入るのがうまかった文欽
先に述べましたように、文欽という武将、人物。不思議なことに、時の権力者に好かれる傾向にあります。そしてそれと反比例するかのように、周囲からは嫌悪されます。
良くあることですが、権力者に好まれる人間というのは、得てして孤独なものです。どのように優秀な、そして清廉潔白な人間であっても、媚びを売っただの、調子に乗っているだの言われるものです。そう、文欽という武将は悲劇の武将だったのです……。
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文欽が権力者取り入りマニュアルを残さず全ては謎に
ということは、正直な話、あまり可能性はないのでは?とも思います。まぁ文欽という武将の記録が、驚くほど良いことが書いていないためにふと思ったのですが……ぶっちゃけてしまうと、曹爽や孫峻に好かれていたと言われても良いイメージは抱けませんし、曹叡に好かれていた?のも、何となく諸葛誕と仲が悪かったからじゃないか……?とも考えられます。
ただ面白いほどに良いことが書かれていない。周りからとても嫌われている。だけど一部の人物、それもトップから好かれる。そんな文欽という人物、どんな魅力があったのか。皆さんは、どう思いますか?
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三国志ライター センのひとりごと
今回は個人的に何とも結論が出ませんでした。文欽は記録からろくでもない人物像しか想像できないから、というのもあります。しかし逆に言うと、ここまで褒められた(一応、武勇には優れていましたとあります)所のない武将と言うのも中々いないな……と思った次第です。
文欽にどんな魅力があったのか……これについては、今後、少~しずつ。たまに想像していけたら良いな、などと思いをはせる筆者でした。
どぼん。
参考文献:魏書毌丘倹伝 諸葛誕伝
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