曹操が天才と呼ばれる訳!彼の「天才」はここだ!かの人は「治世の能臣、乱世の奸雄」と呼ばれた。そして後の世で人々はこう呼び始める、天才、と。
曹操は天才だ、三国志における当代きっての天才だ……ではどんな所が天才なのか?
ふとそう思ったことはございませんか。天才天才と軽々しく呼んでいるだけではないか……そんな風に思われないように。ここらで再度、曹操のどの辺りが天才なのか、それをお話ししたいと思います。
この記事の目次
曹操が天才な理由:軍略もお任せ!
まずは軍略、戦略家として曹操が一流だったのは皆さまもよく知る所でしょう。曹操は孫子に注釈をつけ、解説書を残した人物であり、本人も机上の空論ではなく、兵法家として優れた一面を見せています。
有名な所では袁紹との天下分け目とも言える戦い、官渡決戦。
この戦いで袁紹軍の兵糧輸送部隊に奇襲をかけ、見事成功させたことにより大勝利を収めています。またこの戦いでは曹操は自ら兵を率いて戦うという、軍略だけでなく武将としての強さも見せつけていますね。
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曹操、詩人としても一流!
曹操の更に優れていたポイントといえば、文化人ポイント!
曹操の息子である曹植が詩才に優れていたことは有名ですが、曹操自身も優れた詩人でした。
曹植の兄であり、曹操の息子でもある曹丕もまた詩才に優れていたので、三人を合わせて「三曹」とも称されています。因みに曹操、作った詩を音楽に合わせて歌ったとされているので、現代風に言うと作詞作曲を同時にこなすマルチな才能を持っていた人物でもあるのです……すごい!
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曹操、不屈の精神!
ここで敢えて、ちょっと曹操のマイナスエピソードをご紹介!
曹操は色好みでもあったとされていますが、張繍の叔父である張済の妻だった未亡人を側妾にしたことから張繡に恨まれ、そこから始まってしまったのが炎上……ではなく、宛城の戦いとも言われる張繡からの奇襲。
これにより曹操は這う這うの体で逃走するだけでなく、子の曹昂、一族の曹安民、そして猛将であり忠臣、典韋をも失うことになりました。
特に典韋を失った曹操の嘆きは深いものであったと言われていますが、この失態と敗北をバネにしてもう一度立ち上がった、この精神もまた、凄いものだと思いますね。
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曹操、度量も大きい!
さて曹操に対して奇襲をかけ、多くの大事なものを失わせた張繡。
そこからも曹操とは敵対し続けるのですが、その後は袁紹か、曹操かという状況に陥り、賈クの進言によって曹操に付くことに。
賈クの進言を受け入れて曹操に帰順した張繡は列侯に封じられることになり、何かと厚遇されるようになるのですが、ここで嘗ての一件を水に流し、味方となる勢力を受け入れた曹操。度量の広さと深さを感じさせるものです。
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曹操、人材ハンター!
曹操は張繡だけでなく、賈クも受け入れ、後々まで厚遇しています。もちろん賈ク自身の有能さもありますが、このように賈クのみならず、多くの人材を曹操は受け入れ、重用しています。
曹操はその人物の才能を見極め、家柄や出自に、それどころか素行にも拘らずに部下として受け入れ、その才知を愛しました。
このため「乱世の人材ハンター」などと呼ばれてしまうこともありますが、この採用方法はこの時代には画期的。多くの人材をまとめ上げて、魏という大国を作り上げたのです。
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曹操と「天才」の意味する所
ここで「天才」という言葉について少しお話ししましょう。「天才」というのは「天性の才能」「その人物が生まれつき持っている、極めて優れた才能」のことを呼びます。
転じてそんな才能を持っている人のことを天才と呼ぶのですが、では曹操が生まれつき持った極めて優れた才能はどこだと思いますか?軍略、武術、芸術、政治……多才であった曹操ですが、筆者が上げたいのは「人材採用」についての才能です。
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曹操が「天才」と呼ばれるポイント
曹操の凄い所は、他者の才能を愛し、上手に用いた所。一人が優れていても、その才能だけで一国を回すのは大変です。それが大国となれば尚のこと。しかし曹操は大国を作り、それを運営しました。
そこには才能を持った人物を見抜き、そして何よりも「どうやって使うか」ができることが大事です。「他人を使うこと」それもこの上なく上手に。ずば抜けて優秀な人は何でもかんでも自分でやってしまいがち、とは言いますが、曹操は他人を使った。
マルチな才能を持ちながら他人に頼ることができた。「人を信頼できた」それが曹操の才能ではないか、と筆者は思うのです。
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三国志ライター センのひとりごと
曹操が辿ってきた歴史、見直してみると完璧、ではなく、度々失態も犯しています。しかし曹操はそこから立ち上がり、再び立ち直り、そしてその失態を二度と繰り返さないように努めているのではないかと思います。
だからこそ若い内には失敗するも、後年になるにつれその失敗は……後年に失敗すると立ち直りが難しい、ともしかしたら曹操は気づいていたのかもしれませんね。そんな曹操だからこそ魏を創れた、のではないかと思います。どぼん。
参考:魏書武帝記
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