いきなりですが、このところ殺伐とした国際ニュースが多いですね。「そんな時代に三国志ファンができることは何かないだろうか?」・・・といっても、そんなたいそうなことが簡単に思いつくわけもありませんが、そのかわりに、ふと、思いついたことがあります。
三国時代だって戦争や陰謀だらけでしたが、古代中国の物語ということもあり、現代の複雑な世界よりは、英雄個々人の人格とか、英雄個々人の決断とか、そういうものに期待をかけることもできます。
そこで、今回は以下のようなifシナリオを考えてみたいと思います。三国時代が、英雄たち同士の「これ以上戦争を続けていても民に迷惑なだけだ!話し合いで解決しよう!」という大胆な決断で、平和的に終焉するシナリオはあり得たのでしょうか?
この記事の目次
平和的な解決のカギを握るのは魏の曹家!
「三国時代の平和的な終焉?そんなのは無理だ!」と思った方!
はい、その通りでございます。それが無理だったから、あれだけ戦乱が続いたわけですからね。
ですが無理を承知で、「さまざまな機会が重なったら、魏呉蜀が互いに妥協し合い、平和的に三国が合流することがあり得たのではないか」と、今回はがんばって考えてみました。
そう考えていくと、どう考えても、カギを握るのは、三国で最大の強国だった魏の動向です。特に魏を指導していた曹家の判断です。最強である魏が、他の二ヵ国に「戦乱をやめないか」と持ち掛けた時のみ、平和的終焉の可能性があります。弱い立場のほうの呉や蜀が何を言っても、最強国が戦乱を望めば平和はあり得ないからです。
では、魏のほうから平和を求める可能性はあったのか?たった一瞬だけ、その可能性が生まれるタイミングがあったと思います。曹操が存命中は、とうてい平和的解決は無理。曹丕が献帝を追い出して皇帝になった後も、平和的解決は無理。
つまり、たった一度のタイミングとは、曹操が亡くなった後、曹丕が献帝を追い出す前です。この段階で後漢王朝の温存に積極的な穏健勢力が魏の政権を奪取したら、その後の展開が大きく変わるのです。
もっと具体的に言えば、曹操の後継者争いで、野心家の曹丕ではなく、穏健派の曹植が勝利し、
曹植の周りの文人気質な人材が政権の要職を占めた場合です。
ここで、曹植の打ち出した方針が、「後漢を滅ぼさないで、曹家は魏王の立場に留まる。その約束をもって、呉や蜀とも和平を結ぶ」という大胆な路線変更だったとしたら?
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後漢継続を決断したことで成立する夢の三国連合王国!
最強国である魏が、この方針転換をしたら、呉と蜀もかなり考える筈です。ともあれ呉と蜀がまず気にするのは、「曹植がたまたまそういう方針だったとしても、次の曹家の後継者が、また天下奪取の方針を取ってしまえば、元の木阿弥ではないのか?」ということでしょう。そんな呉と蜀の不信感をぬぐい去るために、曹植政権はさらに歩み寄りを見せます。
孫権を呉王として、劉備を蜀王として、正式にその地位を認め、かつ、呉と蜀からも政治家を参加させた、三国連合の人材が支える「三国連合委員会」を長安に作ります。
新体制は、皇帝一人をトップに置き、曹家が魏王、孫家が呉王、劉家が蜀王となって各地域を統治し、その利害関係の調停は、三国それぞれから派遣した行政官によって構成された皇帝直下の委員会が決める。いわば、連合王国体制です!
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もうひとつの大胆な仕掛けは劉備を献帝の後見人に据えること!
とはいえ、これを提案してもまだ呉と蜀は不安を持つでしょう。たとえ三国の合議制による委員会を作っても、いざとなれば、国力で最強の魏が力にものをいわせて約束を反故にするのではないか、と。呉と蜀を納得させ、本当に戦乱の時代の平和的終焉を宣言するには、もう一歩、魏が大胆な歩み寄りをする必要がありそうです。
そこで目をつけるのは、孫権よりも劉備を説得することでしょう。劉備が戦っていた目的は、漢王朝の復興でした。
その目的を叶えてやるために、曹植政権が提案するのは、献帝の補佐役として劉備を皇室のナンバーツーとし、かつ、「もし未来において献帝の血筋が途絶えた場合には劉備の子孫が皇帝を継ぐ」という約束まで取り交わすのはどうでしょうか?
こうすれば、魏が事実上の強国として引き続き三国の中では主役になるとはいえ、劉備とその家族が、皇帝の一族にがっつりと入り込み、皇室を握ることになります。この座を保証すれば、劉備としては戦争を続ける必要はなくなります。
むしろ劉備自身が諸葛亮を引き連れて、進んで長安に入り、皇室と一緒に暮らし、曹家が約束を裏切らないよう目を光らせる体制をとるでしょう。
戦争の危険がないならば、蜀王の座は、劉禅に任せておいても安泰でしょう。もう一人の英雄、孫権としても、このような体制で平和がやってきて、かつ、自分の一族の呉王としての座を保証されれば、文句は言えないのではないでしょうか。
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まとめ:唯一の懸念は司馬一族の動向!
曹操亡き後に曹植が魏を継承し、なんと献帝を排除せずに漢王室を安泰化させ、劉備に後見役を頼み、以降の中国の政治は三国連合委員会の議決で決めることとする。この連合王国なら、平和宣言を行い、戦乱の時代を終えられるかもしれません。
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三国志ライターYASHIROの独り言
ただひとつ、このシナリオで気になることがあります。劉備と曹植が存命中はこの体制でよいとして、彼らが亡き後、あの司馬懿とその一族がおとなしくしているか、ということです。
この三国連合の微妙な体制の欠陥をうまくついて、結局は司馬師なり司馬昭なり司馬炎なりが権力の奪取を図れば、いかに皇室と一体になっているとはいえ、劉禅では対抗できないかもしれません。
そのような懸念は残るものの、あくまで一時的な平和体制でもいい、「三国の英雄たちが歩み寄って平和な決着を迎える」三国志物語のイフ展開を考えてみました。この連合王国案、うまくいくか、そしてそもそも司馬一族を食い止め長期政権になれたかを含め、皆さま、ご感想はいかがでしょうか?
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