三国志の英雄の一人、劉備は、西暦223年に白帝城で死去します。夷陵の戦いに敗北した直後、諸葛亮に蜀の後事を託しての、無念の死でした。享年六十三歳。
ようやく蜀の皇帝に即位し、これから最大のライバルである魏に対決を挑むという肝心なタイミングでの急死でした。劉備のファンならずとも、多くの三国志ファンがこう思うことでしょう。
「すでに六十三歳という当時としては高齢だったとはいえ、蜀という国がいよいよこれからという時の死去はあまりに勿体なかった。もっと劉備が長生きしていれば三国時代の展開は変わったし、もしかしたら、劉備の手による大逆転での天下取りもあり得たかもしれないのに」
そこで今回は、この夢のイフ展開を、大真面目に考えたいと思います。「劉備がもっと長生きしていれば」とは、よく言いますが、具体的にあと何十年、長生きすれば、劉備の手に天下取りのチャンスがやってきたのでしょうか?
この記事の目次
劉備があと十年生きていたらできたこと
ここではそんなイフ展開を考えるために、劉備が白帝城で亡くならず、無事に成都まで帰還し、その後も蜀の皇帝であり続けたとしましょう。そして、劉備が成都で長生きしている他は、史実で起きた事件や戦争は同じ年月に発生することとしましょう。ではさっそく、劉備の寿命を十年延ばしてみましょう。
彼が西暦233年まで生きたら、何が起きたでしょうか。恐らく、劉備自身に不満は残るものの、夷陵の戦いで失敗をしてしまった以上、呉とのこれ以上の戦いは避ける決断をするでしょう。
そのためにも、夷陵での失敗の責任をとって、自身は以降政治の前面に出ず、諸葛亮にほぼ実権を委任する形をとります。そをもって、諸葛亮主導で呉との和解を進め、その後は魏との対決準備に進むでしょう。
つまり、諸葛亮の北伐は、史実通りに起こります。ただし史実との違いとして、諸葛亮の精神的な負担はかなり軽くなります。実権はかなり委託されたとはいえ、本国には劉備がドンと控えているのですから。諸葛亮は安心して北伐を続行することができた上、人間関係の軋轢も劉備が入ってくれれば、もっと穏やかな展開になったかもしれません。
たとえば史実では「泣いて斬った」馬謖も、劉備の仲裁で馬謖の命だけは助ける等の違う判断ができたかもしれません。
ただし、そうは言っても諸葛亮が北伐で司馬懿に決定的勝利を収めるところまではできず、劉備が十年長生きしても天下取りの決定的なチャンスは発生しないでしょう。
こちらもCHECK
-
馬謖は処刑されていない?「泣いて馬謖を斬る」の真相に迫る!
続きを見る
劉備があと二十年生きていたらできたこと
では、さらにもう十年追加して、西暦243年まで劉備が長生きしたとしましょう。蜀にとって、この時期にたいへんな事件が起こります。
諸葛亮が亡くなってしまうのです。ですが、諸葛亮の寿命が史実どおりにこの期間に尽きてしまったとしても、今回のイフ展開では、劉備が健在ということになります。
諸葛亮の死去によって北伐が中止になるのは史実通りですが、ここで発生した魏延の謀反危機が起こらないことになります。というのも諸葛亮が亡くなっても劉備が健在ならば、魏延は謀反など考えず、引き続き、蜀の将軍としておとなしく生きるでしょうから。
またその後の蜀も、劉備が健在ならば、宦官の増長や、諸将同士の対立などの問題は起こらず、史実と比べて衰退することなく勢力を蓄えることができそうです。ただしそれでも、魏が最強国として安泰な以上、劉備の天下取りのチャンスはなさそうです。
こちらもCHECK
-
魏延将軍は本当は反乱を起こす気は無かった?
続きを見る
劉備があと三十年生きていたらできたこと
では、さらに十年、寿命を延ばしましょう。西暦253年まで劉備が生きていたらどうなっていたでしょうか?
史実ではこの期間、姜維が北伐を強硬に継続し、その失敗で蜀の国力を衰えさせます。
ところがこのシナリオでは、劉備が姜維の暴走をしっかりと抑えるため、そのような問題は起こらないでしょう。蜀はじりじりと、いつか来るチャンスを待って、国力を温存します。この期間中に、魏では少しずつ異変が始まります。
司馬懿のクーデターの成功により、曹家の力が弱まり、司馬師と司馬昭が幅を利かせる時代がやってきます。劉備の天下取りのチャンスがやってきたわけではありませんが、さすがに三十年もねばっていると、状況はずいぶん変化してきたようです。
こちらもCHECK
-
姜維とはどんな人?鍾会の乱を利用し蜀復興を目論んだ忠臣
続きを見る
【北伐の真実に迫る】
劉備があと四十年生きていたらできたこと
では、あと十年、寿命を延ばしましょう。西暦263年まで生きていたら?
ここでようやく、劉備が長生きしてきた利点が活きることになります。史実通りですと、まさに西暦263年に、鄧艾と鍾会を指揮官とする魏の大軍が蜀に攻め込んでくるのです。史実ではこれをもって蜀は滅ぼされますが、もしここで劉備が生きていれば?
戦闘指揮の経験も豊富な劉備が最高司令官となり、蜀の命運を賭けた防衛戦となります。しかもここには、馬謖や魏延も生き残っており、彼らが劉備の指導で動くわけです。充実した蜀の戦力ならばこの大軍を撃退することも可能な筈です。いや劉備の力なら、鄧艾と鍾会の両方を捕虜にして説得し、「反司馬氏」という大義名分で自身の味方にする、そんな離れ業の説得も可能かもしれません!
こちらもCHECK
-
成都大騒擾はなぜ起きた?鍾会、司馬昭の思惑を考察
続きを見る
まとめ:つまり劉備が天下大逆転を狙うために必要な寿命は・・・!?
魏の大軍をみごとに粉砕した上に、捕虜にした鄧艾と鍾会を手なずけてしまった劉備の名声は一気に上がります。
そして蜀攻めの軍勢をまるごと失ってうろたえる魏に襲い掛かり、鄧艾と鍾会の先導で、長安を奪取するかもしれません。長安さえ落としてしまえば、司馬一族の横暴に義憤を持っていた各地の魏将に寝返りが連鎖し、なんと大逆転の劉備の天下取りがあり得たかもしれません!
こちらもCHECK
-
鍾会とはどんな人?実は兵を指揮した経験がない素人将軍【年表付】
続きを見る
三国志ライターYASHIROの独り言
つまり劉備が大逆転をするには、西暦263年まで生きてもらわなければいけないとわかりました。そのために必要な寿命は・・・西暦263年には、劉備玄徳の年齢は百三歳!いくら何でもそんな長生きはできなかった!と考えるか、いや劉備ならばそんな超人的な長寿を成し遂げたかもしれない、と考えるか!皆様の考えはいかがでしょう?
こちらもCHECK
-
【if三国志】もしも、劉備が皇帝に即位しなかったら?
続きを見る
「十八史略」で読む「三国志」 横山「三国志」で迫る具体像 / 渡邉義浩