劉備が長生きしたら馬謖の登山を阻止し、姜維と魏延で鄧艾・鍾会コンビの侵攻を阻止できた?

2024年5月5日


 

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馬謖に重要な仕事を任せるなと孔明に伝えて臨終を迎える劉備

 

 

三国志の英雄の一人、劉備(りゅうび)は、西暦223年に白帝城(はくていじょう)で死去します。夷陵(いりょう)の戦いに敗北した直後、諸葛亮(しょかつりょう)に蜀の後事を託しての、無念の死でした。享年六十三歳。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

ようやく蜀の皇帝に即位し、これから最大のライバルである魏に対決を挑むという肝心なタイミングでの急死でした。劉備のファンならずとも、多くの三国志ファンがこう思うことでしょう。

 

蜀の姜維

 

「すでに六十三歳という当時としては高齢だったとはいえ、蜀という国がいよいよこれからという時の死去はあまりに勿体なかった。もっと劉備が長生きしていれば三国時代の展開は変わったし、もしかしたら、劉備の手による大逆転での天下取りもあり得たかもしれないのに」

 

はじ三倶楽部 自分が気づかなかった新たな視点に気付かされた人

 

そこで今回は、この夢のイフ展開を、大真面目に考えたいと思います。「劉備がもっと長生きしていれば」とは、よく言いますが、具体的にあと何十年、長生きすれば、劉備の手に天下取りのチャンスがやってきたのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備があと十年生きていたらできたこと

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

ここではそんなイフ展開を考えるために、劉備が白帝城で亡くならず、無事に成都まで帰還し、その後も蜀の皇帝であり続けたとしましょう。そして、劉備が成都(せいと)で長生きしている他は、史実で起きた事件や戦争は同じ年月に発生することとしましょう。ではさっそく、劉備の寿命を十年延ばしてみましょう。

 

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

彼が西暦233年まで生きたら、何が起きたでしょうか。恐らく、劉備自身に不満は残るものの、夷陵の戦いで失敗をしてしまった以上、呉とのこれ以上の戦いは避ける決断をするでしょう。

 

呉の諸将を論破する諸葛亮孔明(セリフなし)

 

 

そのためにも、夷陵での失敗の責任をとって、自身は以降政治の前面に出ず、諸葛亮にほぼ実権を委任する形をとります。そをもって、諸葛亮主導で呉との和解を進め、その後は魏との対決準備に進むでしょう。

 

北伐する孔明

 

 

つまり、諸葛亮の北伐(ほくばつ)は、史実通りに起こります。ただし史実との違いとして、諸葛亮の精神的な負担はかなり軽くなります。実権はかなり委託されたとはいえ、本国には劉備がドンと控えているのですから。諸葛亮は安心して北伐を続行することができた上、人間関係の軋轢も劉備が入ってくれれば、もっと穏やかな展開になったかもしれません。

 

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

たとえば史実では「泣いて斬った」馬謖(ばしょく)も、劉備の仲裁で馬謖の命だけは助ける等の違う判断ができたかもしれません。

 

孔明と司馬懿

 

ただし、そうは言っても諸葛亮が北伐で司馬懿(しばい)に決定的勝利を収めるところまではできず、劉備が十年長生きしても天下取りの決定的なチャンスは発生しないでしょう。

 

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劉備があと二十年生きていたらできたこと

三国志の武器 雲梯車 劉備

 

では、さらにもう十年追加して、西暦243年まで劉備が長生きしたとしましょう。蜀にとって、この時期にたいへんな事件が起こります。

 

劉備との楽しい思い出を振り返る孔明

 

諸葛亮が亡くなってしまうのです。ですが、諸葛亮の寿命が史実どおりにこの期間に尽きてしまったとしても、今回のイフ展開では、劉備が健在ということになります。

 

「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

諸葛亮の死去によって北伐が中止になるのは史実通りですが、ここで発生した魏延(ぎえん)の謀反危機が起こらないことになります。というのも諸葛亮が亡くなっても劉備が健在ならば、魏延は謀反など考えず、引き続き、蜀の将軍としておとなしく生きるでしょうから。

 

劉備が大好きな魏延

 

またその後の蜀も、劉備が健在ならば、宦官の増長や、諸将同士の対立などの問題は起こらず、史実と比べて衰退することなく勢力を蓄えることができそうです。ただしそれでも、魏が最強国として安泰な以上、劉備の天下取りのチャンスはなさそうです。

 

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劉備があと三十年生きていたらできたこと

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では、さらに十年、寿命を延ばしましょう。西暦253年まで劉備が生きていたらどうなっていたでしょうか?

 

北伐したくてたまらない姜維

 

史実ではこの期間、姜維(きょうい)が北伐を強硬に継続し、その失敗で蜀の国力を衰えさせます。

 

北伐したい姜維を止める費禕

 

ところがこのシナリオでは、劉備が姜維の暴走をしっかりと抑えるため、そのような問題は起こらないでしょう。蜀はじりじりと、いつか来るチャンスを待って、国力を温存します。この期間中に、魏では少しずつ異変が始まります。

 

司馬懿の墓

 

司馬懿のクーデターの成功により、曹家の力が弱まり、司馬師と司馬昭が幅を利かせる時代がやってきます。劉備の天下取りのチャンスがやってきたわけではありませんが、さすがに三十年もねばっていると、状況はずいぶん変化してきたようです。

 

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劉備があと四十年生きていたらできたこと

凡人すぎた楊雍(はてな)

 

 

では、あと十年、寿命を延ばしましょう。西暦263年まで生きていたら?

 

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

ここでようやく、劉備が長生きしてきた利点が活きることになります。史実通りですと、まさに西暦263年に、鄧艾(とうがい)鍾会(しょうかい)を指揮官とする魏の大軍が蜀に攻め込んでくるのです。史実ではこれをもって蜀は滅ぼされますが、もしここで劉備が生きていれば?

 

劉備に仕える張裔

 

戦闘指揮の経験も豊富な劉備が最高司令官となり、蜀の命運を賭けた防衛戦となります。しかもここには、馬謖や魏延も生き残っており、彼らが劉備の指導で動くわけです。充実した蜀の戦力ならばこの大軍を撃退することも可能な筈です。いや劉備の力なら、鄧艾と鍾会の両方を捕虜にして説得し、「反司馬氏」という大義名分で自身の味方にする、そんな離れ業の説得も可能かもしれません!

 

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まとめ:つまり劉備が天下大逆転を狙うために必要な寿命は・・・!?

鄧艾(トウ艾)と共に謀反の疑いで捕まる鄧艾と鄧忠(トウ忠)

 

魏の大軍をみごとに粉砕した上に、捕虜にした鄧艾と鍾会を手なずけてしまった劉備の名声は一気に上がります。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

そして蜀攻めの軍勢をまるごと失ってうろたえる魏に襲い掛かり、鄧艾と鍾会の先導で、長安(ちょうあん)を奪取するかもしれません。長安さえ落としてしまえば、司馬一族の横暴に義憤を持っていた各地の魏将に寝返りが連鎖し、なんと大逆転の劉備の天下取りがあり得たかもしれません!

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

つまり劉備が大逆転をするには、西暦263年まで生きてもらわなければいけないとわかりました。そのために必要な寿命は・・・西暦263年には、劉備玄徳の年齢は百三歳!いくら何でもそんな長生きはできなかった!と考えるか、いや劉備ならばそんな超人的な長寿を成し遂げたかもしれない、と考えるか!皆様の考えはいかがでしょう?

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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