最近、こんなことを思うことがあります。「三国志演義被害者の会」というものをまとめてみたい、と。というのも。
史実に近いとされている『正史三国志』に対して、後年になってから、物語としての面白さを追求して編集されたのが『三国志演義』。日本で知られている多くのゲームや漫画も、『三国志演義』のほうを原典にしていることが多いのです。ところが!
物語としての面白さを追求するということは、登場人物に、わかりやすい善人・悪人、わかりやすい有能・無能のレッテルを貼ることも含まれます。
酷い場合は『正史』ではちゃんと活躍しているのに、『三国志演義』では物語の都合上、無能扱いされ、そのイメージがそのまま、様々なゲームや漫画にも継承され拡散しているケースが多々あるのです。
今回の主人公、曹真もそんな被害者。演義での描かれ方と異なり、『正史』では曹操亡き後の魏の超ハイスペック武将なのです!
この記事の目次
「曹真ってだれ?」と思った方々にぜひ強調したい!『正史』における有能武将曹真!
ほら、さっそくここで「曹真ってだれ?」と思った方が多数ではないでしょうか?
そういう方々に助け舟として、「諸葛亮の第一次・第二次北伐の時に、さんざん諸葛亮に翻弄され、駆けつけてきた司馬懿の助力でどうにか北伐を退けることに成功した将軍」と言えば、なんとなく、思い出す人もいるのではないでしょうか?
「ああ、曹操の親戚だかなんだか『曹』の姓がついた、司馬懿のカマセみたいなおっさんがいたな」と。
そのイメージが、まさに『三国志演義』が司馬懿のキャラクターを引き立てる為に作った悪しきイメージ!
司馬懿の力を借りてどうにか勝った、などというのは脚色で、実際には孔明の第一次北伐を見事に押しのけたのは、この曹真の手柄。
のみならず、第二次北伐の際には、諸葛亮が侵攻してくるルートを事前に予測して十全の備えで待ち構えるという、むしろ諸葛亮を翻弄する老練な指揮官としての才能を発揮しています。
その直後には、大軍を率いて逆に蜀に攻め込んでおり、長雨という不運に見舞われて撤退していなければ、むしろ曹真がそのまま諸葛亮の息の根を止めている可能性もありました!
こちらもCHECK
-
魏の功臣「曹真」の息子たち6兄弟の悲しい末路とは?
続きを見る
【北伐の真実に迫る】
ほとんど曹操の養子といってよい扱いだった?かなり華やかなその前半生!
そんな意外なハイスペック将軍、曹真。家柄的にはどんな存在だったのかというと。
・曹操の親戚の一人(甥の立場?)
・早くに父を亡くした後、曹操に引き取られ、曹丕と兄弟のように一緒に育つ
・後に司馬懿のクーデターで抹殺される曹爽の父親である
という立場。曹丕と兄弟同然ということは、ほとんど曹操の養子のような出自!
しかも彼の息子の曹爽は、後に司馬懿に権力闘争で敗れたとはいえ、別の見方をすれば司馬懿の一族と対抗できる曹一族の最後のホープのような権力者になっていたわけです。息子の曹爽は悲惨な運命を辿るわけですが、その父、曹真は孔明と見事に渡り合える名将だった!となると、三国志ファンとしては、こんなふうに思うのではないでしょうか?すなわち・・・!
こちらもCHECK
-
魏の功臣「曹真」の死因とは?「三国志演義」と正史「三国志」の描写の違いを紹介
続きを見る
そんなに有能な指揮官ならむしろ曹真が皇位を継ぐシナリオはなかったの?
これを考えてしまいますよね?
というのも、史実通りの曹真は、蜀との戦いで功績を作っておきながら、本人は皇位継承に野心を見せた気配はなく。野心をぎらつかせたのは、息子の曹爽なのですが、その曹爽は司馬懿に見事に抹殺されました。息子がそんな運命を辿ることがわかっているのならば、いっそ曹真の世代のうちに、彼が皇帝となって魏の実験を握り、司馬懿の専横の芽を早めに潰しておけばよかったのでは、と?
こちらもCHECK
-
諸葛亮の真の宿敵は曹真だった?孔明の北伐を阻止した魏の英雄の活躍
続きを見る
曹真が皇帝に居座るには曹丕の時代に決着をつけるしかない!
そしてこのイフ展開があり得るとすれば、曹真が実権を握る最高のタイミングは、孔明の北伐が始まるよりも前、曹丕の時代です。
曹叡が皇位を継ぎ、おかしな宮殿建設計画などで民心を失ってからでは、そもそも曹一族のブランドイメージが崩壊してしまい、司馬一族台頭を防げません。息子曹爽の悲惨な運命を停止し、曹一族の栄光の時代を作るには、ハイスペック武将の曹真が全盛期の時に、曹丕と権力闘争し、「偉大な曹操に可愛がられていたのは曹丕よりむしろ自分だ」と曹丕を追い落とすクーデターを仕掛けねば!
こちらもCHECK
-
後継者に恵まれなかった曹叡の親心とは?子供の為に行った規制緩和
続きを見る
曹丕を追い出し曹一族の中枢に座るのは「いいひと」すぎた?
しかし『正史』を見ると、どうもこのルートはイフ展開としても可能性が難しそうです。というのは、曹真の性格について、気になる記述があるからです。
「彼は一族の曹休に、肥満体であることをからかわれて怒っていた」と。
怒ったとあるだけで、それ以上のアクションの話が特にないのは気になります。曹真はもしかすると、からかわれてもあまり強くは出ない、温厚実直な軍人タイプだったのかもしれません。いやむしろ、一族の中でも「いいひと」と思われ、からかわれていた。悪く言えば、なめられていたタイプのマジメさんだったのではないでしょうか?
こちらもCHECK
-
曹操の親衛隊「虎豹騎」とは?曹休と曹真が所属した虎豹騎はその後どうなった?
続きを見る
まとめ:いいひと、というのは歴史物語での扱い方でも損になる?
そのような性格の曹真が兄弟同然に育った曹丕に反旗を翻して皇位を狙うなど、なかなか考えにくそうです。あの孔明と十全に渡り合い、司馬懿にも功績でひけをとらなかった筈の名将なのに、なんと惜しい!
しかし、ここで書いたような曹真の性格を考えると、彼の構成での描かれ方についても、やや穿った見方ができてしまいます。もしかすると、『三国志演義』の作者、羅貫中も、「肥満とからかわれて怒っても温厚な態度だった」という曹真の記述を見て、「そんな同時代にもなめられ気味だった人なら、司馬懿のカマセ役にしちゃってちょうどいい!史実と違って無能に描いても、化けて出ることはないのではないか?」などと思われてしまったのではないでしょうか。
こちらもCHECK
-
曹真とはどんな人?蜀を滅ぼす計画を立てた魏の大将軍の生涯に迫る
続きを見る
三国志ライターYASHIROの独り言
だとすると、歴史にどう描かれるか、という一点を見ても、「いいひと」という評判が立つことはあまり本人にはよいことはないのかもしれない。などといろいろ、考えさせられてしまいます。
▼こちらもどうぞ
こちらもCHECK
-
曹真の有能ポイントはどこ?「攻め」か「守り」かそれとも?
続きを見る