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「宝の持ち腐れ」とは、価値あるものにもかかわらず使っていないことであり、そこから「ゆうようなものを使いこなせていない」のという意味を持つ言葉です。確かに優秀なままでも、使われないままではそれは無価値となってしまうかもしれませんね。
そこで今回のアンケートは「宝の持ち腐れなのは?」宝と呼ばれつつも、結局使われないままで終わった武将……一体どの武将が選ばれるでしょぷか?
張繍配下の賈詡
「張繍は賈詡の言うことを聞いて、局所的に曹操に打ち勝ち、絶妙なタイミングで曹操に帰順してるから腐らせてない」
「賈詡は張繍配下の時代にも曹操相手に大金星を挙げてる。その後の活躍のイメージを損なわない鮮烈なデビュー」
引用元:はじめての三国志TV
さて嘗ては張繍配下であり、曹操を窮地に陥らせ、更には典韋、曹昂、曹安民という数々の名将の命さえ散らせた存在。
その後はそれはそれ、と曹操や曹丕からも頼りにされる曹魏の名参謀となりました。
だけどそもそも張繍配下時から活躍していた、その印象を損なわないまま曹操配下でも活躍、とコメントのご指摘通り、寧ろ宝として十二分にスペックを輝かせた人物と言えるのかもしれません。
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楊奉配下の徐晃
「豚に真珠、楊奉に除晃なんて言われている」
引用元:はじめての三国志TV
楊奉と言えば徐晃の元上司。元は族の頭目でしたが、功績もあり、徐晃の意見を取り入れたりもしつつ、曹操にも警戒されていた人……にも関わらず、勇猛でも思慮が足りない、とか言われてしまい、徐晃も結局は離れてしまいます。
楊奉が徐晃に何か悪意を持って冷遇した、ような話はないのですが、曹操配下の徐晃の輝きっぷりの印象の方が強いので、もう少し……もう少し何か情報があればもっと面白そうな人だったのに、と思う人物でしょうか。
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袁紹配下の張郃
「名(迷)族軍団の長の河北覇者である袁紹の部下。 数の多さで張郃の武力が発揮出来ない環境が想像出来ますね。
やはり覇王曹操軍団での美しい人は武力を発揮出来る」
引用元:はじめての三国志TV
袁紹と言えば名族であり、河北の雄であり、曹操の最大の敵でもあった武将。その袁紹の配下であり、あの劉備も恐れた武将が張コウ。
にも関わらず、張コウは作戦を用いられないばかりか、讒言によって曹操に降る事態に……これは大きな宝を逃したか。また袁紹に関しては
「「袁紹配下の沮授・田豊」ですね。中学の時から三国志は読んできましたが、この二人以上の宝の持ち腐れはないと考えています」
引用元:はじめての三国志TV
という御意見もあり、袁紹がどうにも自分の配下を十分に活かせていなかった疑惑も……もしかして、この時点で袁紹はかなり体調不良だった可能性もあるかな?
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劉璋配下の法正
「他の方々は後により優秀な主君に出会えただけで、謀略だったり、戦いだったりで真価を発揮していました。しかし、劉璋配下時の法正は後の漢中戦で見せた軍師としての非凡さを見せられなかったので持ち腐れでしょうね」
引用元:はじめての三国志TV
さて法正と言えば劉備配下の軍師であり、曹操が法正だけは手に入れられなかったかと惜しんだ人物。彼が生きていれば夷陵の敗北もなかったのでは、とも言われている人物でもあります。
法正自身はお世辞にも品行方正ではないものの、劉備への貢献と忠誠は一級品でした。それでも法制に関しては
「法正は持ち腐れと言うより宝として在れる場所が限られてるだけでは…」
「法正は確かに宝ではあったけど、同時に劉備レベルの人物じゃないと持ち腐れになるのも仕方ない人物だったのかなと」
引用元:はじめての三国志TV
というコメントもあり、確かに、と頷いてしまいました。宝の持ち腐れ、とは言うけれど、もしかしたら宝というのは、それをどう輝かせるかどうかで、宝と決まるのかもしれませんね。
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その他
「選択にある人々は主をえて活躍できたけど、それができなかったという意味で呂布配下の高順は惜しかったなあと思う」
引用元:はじめての三国志TV
今回は宝の持ち腐れ、というアンケートでした。他には黄忠や魏延、太史慈、趙雲、他にも馬超などの名前も挙がっていましたが、今回は高順を挙げてみました。これは他の武将たちにも言えることですが、宝の持ち腐れのままで終わらなかったからこそ、後の世で宝の持ち腐れと言われる人物は多くあります。
しかし高順は最期まで呂布に付き従った。そういう意味では、正に「惜しい」と思ってしまう武将の一人ではないでしょうか。
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三国志ライター センのつぶやき
さて今回の筆者の独断と偏見でのコメントコーナーはこちら。
「あえて腐らすつもりだった徐庶」
引用元:はじめての三国志TV
徐庶は色々あって劉備から曹操の元に行くことになりました。しかしその後は徐庶の意思か、それとも別の考え有ってか、特に魏での活躍は触れられていません。
魏略によると諸葛亮は徐庶の官職を知って「あんな優秀な人物がその程度の官職か。魏はそこまで人材が多いのか」と嘆いたと言います。徐庶の扱いについては色々不明ですが、どちらかというと「宝の価値」が国と人、そして次代によっては変化する。そう思ってしまう逸話ですね。






























