今回は……水滸伝・好漢たちラヴァーの皆さんからすれば、時に相容れない存在でもある人物、そう、方臘についてお話をしたいと思います。方臘と言えば水滸伝の梁山泊ら、最後にして最大の敵と言っても過言ではない相手。そして事ここに至るまで生き抜いてきた梁山泊の好漢、数多くを退場させるに至った相手です。そんな方臘とはどんな人物なのか、梁山泊たちは如何にして戦い、そして散っていくのか。ゆっくりとご紹介していきましょう。
この記事の目次
- 水滸伝の最終章を飾る「方臘の乱」とは何か?
- 梁山泊軍の7割が失われる。あまりに過酷な「負の連鎖」
- 「官軍」となった好漢たちが直面した、もう一つの「正義」
- 方臘の実像:彼はなぜ「皇帝」を自称できたのか
- 喫菜事魔(きっさいじま)民衆を惹きつけた宗教的背景
- 梁山泊軍、南征へ。招安の果てに待っていたもの
- 宋江が追い求めた「忠義」が招いた最大の悲劇
- 好漢たちの間に漂い始めた「終わり」への予感
- 石宝(せきほう):梁山泊の猛将たちを次々と葬った「最凶の敵」
- 鄧元覚(とうげんかく):魯智深と互角に渡り合った「宝光如来」
- 厲天潤(れいてんじゅん):盧俊義を震撼させた凄まじき武勇
- 索超、張清、徐寧……名だたる豪傑たちの無念の最期
- 読み返すたびに心が折れる、英雄たちの「あっけない死」
- 浪里白跳・張順の「湧金門」での壮絶なる散り際
- 水滸伝屈指の名シーン。水中で果てた英雄の執念
- 死してなお魂は留まる。兄・張横への告げ口と霊験
- 知略と呪術の激突:公孫勝の不在と包道乙の恐怖
- 武松の「隻腕の代償」。玄天混元剣が切り裂いたもの
- 睦州・清渓県の最終決戦
- 洞窟に追い詰められた方臘。崩れゆく「南国」の夢
- 方傑(ほうけつ)の最期と、梁山泊軍の執念の包囲網
- 方臘を捕らえたのは誰か?「花和尚」魯智深の覚醒
- 仏門の教えと「功名」の狭間で彼が見つけたもの
- 魯智深の入滅:方臘捕縛後の「潮信」が告げた救済
- 方臘の乱が「水滸伝」という物語に与えた意味
- なぜ作者はこれほどまでの「悲劇」を描く必要があったのか
- 歴史上の「方臘の乱」と物語の相違点:史実の影
- 水滸伝のまとめ:散り際こそが英雄を「伝説」に変えた
- 三国志ライター センのひとりごと
水滸伝の最終章を飾る「方臘の乱」とは何か?
さて方臘の乱とは、水滸伝のクライマックスもクライマックス、梁山泊の最後にして数多くの登場人物たちの最期の戦いです。因みに歴史上に同名の「方臘の乱」があり、これは北宋末期である1120年に、中国の江南地方で起こった反乱のことを言います。水滸伝はこの歴史上の事柄をモチーフに、梁山泊の最後の戦いとしてこの方臘の乱を描いているのですね。
梁山泊軍の7割が失われる。あまりに過酷な「負の連鎖」
方臘の乱が水滸伝のクライマックスのラストバトル、とは申し上げましたが、少し補足をしておきましょう。こちらは水滸伝の120回本のラストとなっております。70回の方では所謂「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わってしまうので、そこだけはご注意ください。
前述したように方臘の乱は歴史上であった出来事です。水滸伝ではこの欄に梁山泊の好漢たちが参加して、平定するために尽力することになるのですが……この欄により梁山泊軍は大打撃を受け、次々と登場人物たちが途中退場していきます。あまりにも多くの犠牲が出るため、終盤に差し掛かっているとは理解していても読者は辛く。この哀しみ深い乱がなぜ起こったのか、それについても話していきましょう。
「官軍」となった好漢たちが直面した、もう一つの「正義」
そもそも梁山泊とは世が乱れているので正そうぜ!という集まり(とてもざっくり)。なので梁山泊の頭領である宋江の目的はお国のために働くこと。そして梁山泊は最終的に朝廷に帰順することになりますので、乱平定にも派遣されます。ではその乱は方臘によって引き起こされたとして、どうして起こったのか。ここで梁山泊は、世の乱れと政治の腐敗、そして別方面からみたもう一つの「正義」と直面することになります。
そもそもの発端は皇帝が庭園建造のために珍しい木々や石を欲したこと、それらを送るために苛烈な税の取り立てが行われ、民衆は政治に不満が爆発。その人々の不満が方臘の反乱に迎合する方向に時代を動かしてしまったのです。つまり、元々を言えば政治の腐敗が始まりとも言える訳ですね。
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方臘の実像:彼はなぜ「皇帝」を自称できたのか
ここらで方臘についても少し語りましょう。方臘は自分のことをいずれは天子、つまり皇帝になると自称していました。しかしそのような思いを巡らすような尊ばれる血筋ではなく、元は樵だったのです。ですがある日、川に映った自分の姿が立派な帝の衣と冠を被っているのを見て、これこそ天から授かりし吉兆であると人々に宣伝。折りしも朝廷、つまり現在の帝への不満は大爆発寸前。あれよあれよという間に大勢の同志が方臘の元に集まり、大きな乱を起こす大軍となっていたのでした。
そうしてこの乱鎮圧の御鉢は、梁山泊たちへと回ってきたのですね。
喫菜事魔(きっさいじま)民衆を惹きつけた宗教的背景
この方臘自身はどうであったかは不明ですが、この蜂起した民衆はマニ教徒であったとされ、喫菜事魔と呼ばれました。彼らは神仏ではなく太陽や月を拝み、強い平等思想を持ち、互いに助け合う一方で敵、即ち朝廷の役人たちへの残虐的な行動も数多く行っており、宗教に強く帰順することへの恐ろしさも感じさせます。考えてみれば、漢の時代は黄巾党、東晋の時代には五斗米道という宗教が猛威を振るい、乱を起こしてきました。それらは鎮圧こそされるものの、国力を大きく削ぎ、結果的に時代の終わり、そして転換をもたらしています。水滸伝は始まりから星の生まれ変わりとどこか幻想要素を思わせますが、時代の移り変わりは天の意思であるかのような印象も受けますね。
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梁山泊軍、南征へ。招安の果てに待っていたもの
ではどうして方臘の乱鎮圧に向かうまでに至ったかと説明していきたいのですが、まずは招安について少し。招安というのは盗賊や野党などの一味を投降、帰順させることを言います。つまり宋江の念願かなって朝廷軍となった梁山泊ですが、言ってしまえば国に対して頭を垂れたとも言えます。なのでその扱いは朝廷の思うがまま。
散々使い回されて宋江と盧俊義に官爵を授与させたかと思えばその地位は低く、式典には他の兵たちは招かれず、場内に入ることも禁じられる。これに対して多くの将兵たちから不満が出始めます。
宋江が追い求めた「忠義」が招いた最大の悲劇
ここで宋江は梁山泊の者たちを集めました。そこで述べられるのは宋江が追い求めていた忠義そのもの。
「皆が謀反を起こすと言うのならば、まず初めに自分の首を」
それはそれは真っすぐな国への忠義心に、仲間たちは何も言えなくなってしまいました。こうしてこれからは異心を抱くことはないと誓いを立てた所に、江南で方臘が謀反を起こしたという知らせが入り、宋江は、いいえ、宋江たちは討伐に赴くことになるのです。
そう、宋江の真っすぐな忠義心こそが、ある意味で、梁山泊の仲間たちを死地へと送ったのですね。
好漢たちの間に漂い始めた「終わり」への予感
水滸伝はこの辺りから「終わり」を漂わせ始めます……その中で、特に「終わりを感じ取っていたのでは?」と思うベストワン梁山泊が、公孫勝ですね。
公孫勝と言えば梁山泊最強なのでは?とも思わせるある種のチート人物、今までもあちらこちらで超常現象な大活躍をしていたのに、この前後から急に活躍しなくなります。そして方臘討伐を前に老いた母を残していたこと、そして師匠が修業を継続して欲しいと願っていたこともあり、梁山泊から離脱することになりますが……死んだ訳では、なく。ただここで公孫勝が道士への道を再び歩み始める……もちろん、何らそこに意図はないとは思います。
それでもこの最初の離脱こそが、梁山泊の終わりの始まりだったのでは、と思ってしまいますね。では、次からいよいよ方臘軍についてお話していきましょう。
石宝(せきほう):梁山泊の猛将たちを次々と葬った「最凶の敵」
まずは方臘軍、南国四大帥の一人、石宝。梁山泊の好漢たちを次々と葬る最強……いえ、最凶とも言うべき強敵です。その得物は流星鎚と劈風刀……名前からしてかっこいい武器ですが、実はこちらはどんな形状をしているかははっきりしていません。なので映像化、小説化される度に解釈によって様々な得物を操る石宝が見れてしまうという訳です!お得ですね!
と、話がそれましたが石宝は数多くの梁山泊を打ち破った強敵、索超、鄧飛、鮑旭、馬麟、燕順といった豪傑たちを次々に葬り、関勝とも互角の一騎打ちをするその姿、正に鬼人といった戦いっぷり。最期は捕縛の辱めは受けぬと自刃して果てますが、石宝との一戦で数多くの仲間を失った梁山泊、決して喜ぶことのできない勝利と言えるでしょう。
鄧元覚(とうげんかく):魯智深と互角に渡り合った「宝光如来」
お次は同じく南国四大帥の一人、鄧元覚。何と五十斤もの重さの禅杖を得物とする荒法師、石宝と同じく万夫不当の豪傑です。その鄧元覚に相対するは同じく梁山泊きっての荒法師、奇しくも同じ武器を扱う魯智深!その一騎打ちは石宝をして感嘆するほどの激しいものであったものの、魯智深を見かねた武松の横槍にて敗走……正直、行方を見届けたい戦いでもありました。
その後も梁山泊軍と激しく、そして良く戦いを繰り広げたものの、肝心の方臘に援軍を断られ、自ら睦州の救援に向かった先で秦明の罠にはまり、花栄の矢を顔面に受けて落馬した所を討ち取られての退場となります。
厲天潤(れいてんじゅん):盧俊義を震撼させた凄まじき武勇
更にもう一人、四大帥の一人で、鎮国大将軍である厲天潤。宋江たちが独松関を攻撃した時に救援として駆けつけてきましたが、周通を一刀で切り殺し、董平の挑発にも乗らずに逆に負傷させる働きを見せつけます。更に董平と十合打ち合い後退させ、張清を打ち取り、これに慌てた董平は張韜に背後から切り殺されてしまいました。
その最期は盧俊義による四十五里もの追撃と包囲を受け、盧俊義と三十余合戦った末に打ち取られました。棍棒を持っては敵なしと謳われた蘆俊義と此処まで互角に打ち合った、厲天潤もまた傑物であったと言えるでしょう。
索超、張清、徐寧……名だたる豪傑たちの無念の最期
この方臘戦の驚くべき点は、今まで完全とは言わないまでも、名高い豪傑であっても簡単に退場してしまう所。例えば索超は石宝との戦いで流星錘を顔面に受けて呆気なく戦死。前述した張清ですが、厲天閏を槍で刺そうとした所をかわされ、槍が木に刺さってしまいます。そこを逆に打ち取られた訳ですね。また徐寧は偵察に見つかり包囲され、何とか血路を開くも仲間が囚われたために引き返し、矢を首に受けます。関勝によって助けられるも、この矢には毒が塗ってあったため……と、戦いの場ではなく、その後に死去しているのです。正に無念、豪傑であっても死は避けられない、いや、豪傑だったからこそ死はすぐ傍にあったのか……そんな無情さが畳みかけるようにやってくるため、見返すたびに心を折られそうになるのですよね、方臘戦は……。
読み返すたびに心が折れる、英雄たちの「あっけない死」
さてここで少し休憩を。見返せば見返すほど水滸伝の方臘戦は多くの梁山泊たちが退場していきます。ここまで来て、やっとここまで来たのに、それも誰もが華々しく戦死する訳ではありません。驚くほど呆気なく退場する、それが水滸伝です。……実は登場人物の数を増やし過ぎたから、呆気なく退場させた?
まあ、そう思わなくもないですが。個人的には彼らはそもそもが天界を追放された魔星の生まれ変わり。なのでその振る舞いを改めなかったものほど、呆気なく、そして無念後に退場してしまったのでは……そんな風に、考えてしまいますね。実はもう一つ考えられることがありますが、それはまた最後に。
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浪里白跳・張順の「湧金門」での壮絶なる散り際
ではどんどん百八星らの退場を追っていきましょう。浪裏白跳とは、浪くぐりのハヤという意味で、張順は潜水泳法の天才とも言うべき人物。何と七日七晩もの間水に潜ることができたという……呼吸以前に、体温調整の方が気がかりになる気がしますが、その泳ぐ様は陸の上を走るかのようでした。
しかしその水練の腕前が仇となったか、杭州城攻めの際に一人で城の水門から侵入しようと試みます。もちろん闇雲に向かうことはなく、敵の見張りが寝静まるのを水中でじっと伺い、明け方に城の壁を登り始めたのですが……これは敵の罠。張順が半分辺りまでよじ登った所で伏兵が出現、弓や投槍、石礫でもって攻撃してきたため、張順はここで命を落とすことになったのでした。
水滸伝屈指の名シーン。水中で果てた英雄の執念
もう一つ、壮絶な散りざまの人物を紹介しましょう。戦いの場は睦州烏竜嶺。向かうは阮小二、童威、童猛らが水軍を率いて向かいます。しかし水寨の近くまで来た際に、敵は火筏を使った攻撃を始め、船に乗った敵たちはフック付きの熊手を投げてこちらを捕まえるように動き始めました。阮小二は慌てて水に飛び込みますが、そこで一本のフックに引っ掛けられて……ここでの動きが壮絶。敵に掴まり辱めを受けるのは耐えられないと、自ら首を切って果ててしまいます。
因みに方臘軍の石宝も自刃して果てますし、紹介しきれていませんでしたが四大師・司行方は盧俊義の軍と交戦し、水中に落とされ溺死しています。水辺、自刃、この阮小二の散りざまは、敵の散りざまのオマージュがあるかもしれませんね。
死してなお魂は留まる。兄・張横への告げ口と霊験
散り際と言えば少し張順に話が戻りますが、不思議な話も少ししましょう。張順が戦死した話はしましたが、その後、宋江の夢に張順が現れます。血まみれの姿に張順の戦死を悟り、戦いの火ぶたは切られ、結果的に宋江たちが勝利しました。そこで方臘軍の指揮官、方天定は撤退をしようとした所で川から出てきた大男に斬られて首を取られ、その首を持った男が宋江たちの元に来ますが……その姿は、張順の兄、張横でした。弟の仇を兄が……!というシーンかと思いきや、何とそれは張横の身体にのり移った張順だというではありませんか。
突然のホラー&SF(すこし不思議)展開!
と思っていると満足したのか張順は消え、張横は気絶。そこで宋江は張順のために湧金門外の岸辺に廟を建て、神として祀ってこの話はお終いです。余程無念だったのか、それとも死して尚、味方のために金星を挙げたかったのか。どちらにせよ、ここで神になったというのは面白い展開です……展開が急すぎることもあり、驚いたまま次の話に行ってしまうのでもう少し余韻が欲しかったとも思いますけど!
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知略と呪術の激突:公孫勝の不在と包道乙の恐怖
さてこの方臘との戦いの前に、公孫勝が脱落しているという話もしましたね。にも拘らず、ここで敵の道術使いである包道乙という人物も出てきます。弟子でもある殿帥太尉、鄭彪の推挙で参内した包道乙もまた、宋江の軍を苦しめました。弟子である鄭彪は鄭魔君とも呼ばれる法術使いですが、武松や関勝ともやりあうなど、けして法術のみの武将ではないのも恐ろしい所です。包道乙は度々弟子の救援として恐ろしい術を繰り広げますが、関勝との戦いでは黒雲を呼び出し、その中から神兵を出現させ、襲わせます。あわや、という所で救援をしたのが混世魔王、樊瑞。
こちらは白雲を呼び出して神将を出現させ、敵と打ち合わせました。このため鄭彪との戦いに集中した関勝は相手を打ち取り、弟子がやられて立ち上がった包道乙は凌振が放った轟天砲によって打ち取り……いえ、撃ち取られます。術勝負もまた凄い戦いなのですが、個人的には最終的に勝利するのが火器、というのも、ファンタジーとリアリティの違いを感じられて、思い入れのある戦いですね。
武松の「隻腕の代償」。玄天混元剣が切り裂いたもの
しかし、包道乙の道術は手痛い代償も残していきます。包道乙は多くの術を巧みに操る道士ですが、玄元混天剣という宝剣を使っても戦いました。と言っても、これを果敢に奮って打ち合うのではありません。これを術で操り、遠くの敵をも攻撃することができるのです。武松と鄭彪との戦いの中で弟子の救援のため、この宝刀は武松の左腕を斬り、出血と激しい痛みによって武松は気絶。一命こそ取り留めたものの、目覚めた左腕は今にもちぎれそうになっていました。武松は腹を決め、懐剣にて自身の左腕を斬りおとしてしまいます。腕こそ失いましたが、武松はこの戦いを生き延びたのでした。
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睦州・清渓県の最終決戦
数多くの仲間がやられてしまったため、方臘も戦う覚悟を決めます。
こうして総大将同士の軍を率いての真っ向勝負、甥の方傑によって秦明が打ち取られてしまいますが、盧俊義によって賀従龍が捕らわれてしまうと、臆病風に吹かれて撤退をしてしまいました。逃げ込んだ先は清溪城。しかしここで偽りの投降で内応した李俊らが火の手をあげ、更に城内は大混乱。更に方臘幇源洞へと落ち延びていきます。
洞窟に追い詰められた方臘。崩れゆく「南国」の夢
幇源洞の宮殿で籠城する方臘、そこに出てくるのが娘婿の柯引という学者。学者でありながらも腕が立ち、宋江軍は蹴散らされてしまいました。これに方臘は大喜び、翌日には甥の方傑と共に柯引は軍を率いて宋江軍と再び対峙。天を貫く高い声で柯引は名乗りを上げました。
「俺は柴進だ!」
そう、実は柴進と燕青はこれ以前から間者として方臘の軍に入り込み、方臘の娘の金芝公主と結婚までしていたのでした。これに方臘軍は内から外から蹴散らされ、方臘は一人で逃亡……なお、夫に裏切られていた金芝公主は自害します。方臘の一族や兵士たちは悉く横殺、逃げる方臘を宋江たちは追い詰めていくのでした。
方傑(ほうけつ)の最期と、梁山泊軍の執念の包囲網
因みにここまでで想像はつくかと思いますが、方臘は大軍を率いている割にはかなり小物というか、失態が多く目につく人物です。部下には恐るべき強敵ぞろいなのが不思議な所ですね。しかし梁山泊ら、ここまで多くの仲間が方臘らによって打ち取られていますから、こんな所で逃がすわけにはいきません。大規模な山狩りが行われ、鼠一匹取り逃さぬぞと大捜索。
果たして一体、どの好漢が方臘を捕まえるのでしょうか?尚、捕まった方臘は極刑にて処刑です。(ネタバレ)
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方臘を捕らえたのは誰か?「花和尚」魯智深の覚醒
さてさて、ここで場面は少し前まで戻ります。
何と少し前に戦いの中で仲間とはぐれた、花和尚、魯智深。行方不明になっていた魯智深は、一人で山の中を歩いていました。すると突如、魯智深の目の前に年老いた僧侶が現れます。この僧は魯智深を草庵まで連れていくと、ここで待っていて、背の高い男が現れたら捕まえるように、といって消えてしまいました。
仏門の教えと「功名」の狭間で彼が見つけたもの
やや血気が盛んな魯智深でしたが、僧の言う通りに暫くそこで待機していました。すると、彼の言う通りに背の高い男が現れたではありませんか。そこでその男を取り押さえて捕縛してみると、その人物こそが何か食べ物を探していた方臘だったのです。ここで魯智深こそが、方臘戦で最も大きな大金星を挙げることとなったのでした。もし魯智深が僧を疑って敵を探しにでも行けば、この大金星はなく、それどころか方臘の逃走さえも許してしまったかもしれません。そう思うと、この僧侶は誰だったのか。そんな不思議な一幕で、方臘戦は終幕します。
魯智深の入滅:方臘捕縛後の「潮信」が告げた救済
その後、戦いを生き残った魯智深は六和寺にて体を休めていた所で、雷鳴のように轟く音に驚きました。錫杖を持って飛び出すと、そこにいた僧侶たちにあの音は何かと尋ねます。すると僧侶たちは慣れたように、あの音は潮信と呼ばれるもので、昼と夜の二回必ず聞こえてくるのだといいました。そこで魯智深は、嘗て智真長老に与えられた四句の偈を思い出します。
夏に逢って擒にし臘に遭って執う潮を聴いて円し信を見て寂す
それは魯智深が方臘を捕まえること、そして潮信を聞いて円寂、つまりは死ぬことを表しているのだ、そう悟った魯智深は身を清め、静かに入滅しました。あれほど暴れ放題やりたい放題だった魯智深が、方臘を捕まえる名誉の後で静かに己の死を悟り、退場する。哀しいけれど、それ以上に感動もある退場シーンだと思います。
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方臘の乱が「水滸伝」という物語に与えた意味
では魯智深の死を持って、方臘戦までは一先ず終わりといたしましょう。そこで考えたいのが、水滸伝という物語において、方臘の乱とは、何だったのか。
一つは、終わりという明確なメッセージ。人は、それは英雄であっても、終わりが来るということ、同時に時代もまた、終わりが、移り変わらぬものはないということ。そしてその上でその哀しさ、寂しさ、そことどう向き合っていくのかという意味を、方臘の乱は含んでいるのではないか、と考えます。
なぜ作者はこれほどまでの「悲劇」を描く必要があったのか
しかしそれがどうして方臘の乱であったのか、には一つの夢もまた、込められているのではとも思います。この方臘の乱は実際に中国歴史仗であった出来事ですが、この乱の平定に宋江という人物と同名の将軍がいることが、複数の史料に記されています。
「梁山泊で反乱を起こした宋江が、朝廷に降伏した後、方臘の乱平定戦に参加した」
これ自体ははっきりとはしませんが、そう考える人たちは多くいるということ。そこから発想を得て水滸伝の終幕に方臘の乱を持ってきた、では、どうしてこのような悲劇が起こったのか。
それは、水滸伝の成功を表しているとも言えるのではないでしょうか。悲劇と感じるのは、悲しいからです。ではどうして悲しいのか、それは、登場人物たちにきちんと思い入れがあるからではないでしょうか。例えばめちゃくちゃ嫌な奴なだけだったキャラクター、いきなりの登場で即退場、そんな登場人物の退場だらけだったら、そこまで哀しいとは思いません、悲劇だとも感じないでしょう。そこで哀しいのは、寂しいのは、梁山泊たちがどのような形にせよ愛されているから。悲劇となったのは、私たちが水滸伝という作品を愛しているからでは?何度も水滸伝を見返して、到達した一つの視点です。
歴史上の「方臘の乱」と物語の相違点:史実の影
さて、歴史上の方臘の乱と水滸伝の相違点は何でしょうか?
歴史上の方臘の乱は、花石綱事件が元となり、方臘という人物が主導して起こした乱です。この乱を鎮圧するために北栄は疲弊し、その後の対金戦線で苦戦していくことになり、北栄という時代を衰退させ、時代の終わりの一つの要因となったと考えられます。ここで水滸伝の方臘の乱は、方臘という人物を深掘りし、そこに多くの配下武将たちを肉付けし、そしてその乱で多くの好漢が終わりを迎え、梁山泊という集まりが終わりと迎える、大きな要因となったと描いています。
一つの時代の終わりと、一つの集まりの終わり。水滸伝では時代よりも、その時代に生きていた人物たちの終幕の場として、方臘の乱は描かれています。
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水滸伝のまとめ:散り際こそが英雄を「伝説」に変えた
さて、ここで最後に。
「……実は登場人物の数を増やし過ぎたから、呆気なく退場させた?」
そんな風に少し前に呟いたこと、覚えていますでしょうか?
「天界を追放された魔星の生まれ変わり。その振る舞いを改めなかったものほど、呆気なく、そして無念後に退場してしまった」
そんな風な考え、それは確かにあります。しかし同時に、それが呆気ないものでありこそすれ、水滸伝では終幕を一つの人物たちにきちんと用意しています。あれほど多くの登場人物を抱えながら、です。この点については、水滸伝は評価されるべき物語ではないでしょうか。きちんと散っていったからこそ、英雄であり、惜しまれるのです。思い入れがあるからこそ、呆気なさすぎると、嘆いてしまうのです。そうしてその終わりに、読者は様々な理由を探してしまう。英雄に、その終わりに、何か理由を付けなければ気が済まない。
そうして水滸伝は、伝説に至ったのではないでしょうか。どのような形であれ終わりを迎えた、そうして英雄は、伝説になった。湖の畔から始まった物語の終幕、星々の描いた軌跡。それでこそ、水滸伝が水滸伝になったのだと、思います。
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三国志ライター センのひとりごと
いやまあそれはそれとしてもっとなんかあったんじゃないかなぁ!林冲とかさあ!!
……と、余韻をぶち壊してしまいますが、いかがだったでしょうか。このようにどこか納得のいかない場を探してしまうのも、思えば思い入れがあるからこそ。何度も何度も水滸伝を見返し、翻案を見て、そうして今回、ふと思った観点です。
そもそも終わるって哀しくて寂しいこと、それはその物語が自分にとって大きなものであるからこそ。それならばきちんと終幕を迎えてくれた水滸伝、そこに感謝もまたしなくては、そんな風に方臘の乱を見返して思って至った次第でした。今宵も湖の畔で。ちゃぽーん。
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