208年、長江を挟んで曹操と孫権・劉備連合軍が火花を散らします。三国志史上最も有名な戦いと言っても過言ではない赤壁(せきへき)の戦いが始まりました。
赤壁の戦いには双方の計略がいくつも登場し、手に汗を握るようなはらはらする展開になっています。そこで、主な計略を簡単にまとめてみたいと思います。
周瑜の反間(はんかん)の計
曹操軍の蒋幹(しょうかん)が周瑜を訪ねてきて、周瑜に降伏をすすめます。周瑜は、蒋幹が曹操のスパイだということを知った上で、偽の情報を流します。曹操軍の水軍の蔡瑁(さいぼう)張允(ちょういん)の2将が周瑜と通じていると思わせたのです。
曹操はまんまとこの計略にひっかかり、激怒して蔡瑁と張允を処刑しました。
関連記事:周瑜の計略で曹操の水軍が弱体化
関連記事:劉備と呂布を仲たがいさせよ!駆虎呑狼の計
関連記事:劉備と呂布を仲たがいさせよ!二虎競食の計
荀攸の埋伏の毒
曹操軍の荀攸(じゅんゆう)が次なる策を提案します。蔡瑁の弟の蔡和(さいわ)と蔡仲(さいちゅう)を偽装降伏させて内情を探らせようとするのです。表向きは兄を曹操に殺されたため、ということでしたが周瑜はこの「埋伏の毒」を見抜き、再び利用することにします。
関連記事:荀攸(じゅんゆう)ってどんな人?同族の荀彧の影に隠れた才能
黄蓋の苦肉の計
火計を仕掛けるために、呉の黄蓋(こうがい)が曹操軍に偽装降伏をすることになりました。
しかし疑り深い曹操を信じ込ませるのはたいへんです。そこで、荀攸の埋伏の毒により送られて来た蔡和と蔡仲の前で一芝居してみせます。軍議で周瑜と黄蓋が激しく口論し、怒った周瑜が黄蓋を鞭打ち100回の刑に処します。
まるで義経を救うために関所で何度も打ち付けた武蔵坊弁慶の勧進帳!(←違います)
蔡和と蔡仲は一部始終を曹操に報告したため、曹操は黄蓋の降伏を信じてしまうのです。
関連記事: 老将・黄蓋(こうがい)は異民族討伐のプロだった
関連記事;老将黄蓋、身体を痛めつけて曹操を欺く
龐統の連環(れんかん)の計
火計が成功するためには、曹操軍のばらばらの船団をひとつにまとめる必要がありました。
「それなら船を繋げちゃおう!」と周瑜に提唱した者がいました。それがふらりと現れた客人、龐統(ほうとう)です。襄陽を曹操に荒らされたことを恨んでいたため呉の味方につこうと思ったようです。
このとき龐統はどこの軍にも所属していないフリーの立場だったので曹操のもとへ行き、「船酔いするなら船を繋げちゃおう!」と提唱します。曹操は龐統の言葉をあっさりと信じ、本当に鎖で船を繋げてしまうのです。
関連記事: 劉備入蜀の立役者、龐統の全戦歴
関連記事:的盧は名馬なの?凶馬なの?劉備と龐統(ホウ統)の死
黄蓋の火計
火計の準備は整いました。黄蓋は曹操軍に偽装降伏をし、牧草を満載した小舟に油をしみこませて船を出し、曹操軍の船団に近づいてから船に火を放って脱出します。火は見る間に燃え上がりました。
孔明の東南の風
火がうまく曹操軍を焼き尽くすためには、東南の風が不可欠でした。そこで最後の極め付けに、孔明が七星壇で方術を用い、三日三晩祈ることで東南の風を吹かせました。こうして、曹操軍は赤壁の戦いで大敗を喫してしまうのです。
関連記事:赤壁の戦いで孔明が東南の風を吹かしたじゃん?あれマジらしいよ?
関連記事:赤壁の戦いにモデルがあった?八陽湖の戦い