夢半ばで敵の手にかかり、
命を落とした武神・関羽。
呉の呂蒙に捕らえられた際には、
その息子・関平もおりました。
父・関羽と共に首をはねられた関平。
その最期の瞬間、何を思ったことでしょう。
しかし、この関平は関羽の養子であり、
実の息子というわけではありませんでした。
関平は、曹操に謀反を起こして離れ離れになった
桃園兄弟が再び集った屋敷の主人・関定の息子だったのです。
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関羽の息子関興
養子をとっているのだから、
関羽には子がなかったように思えますが、
そういうわけでは無かったご様子。
関羽には関興という実子がありました。
彼は父の弔い合戦である夷陵の戦いの際、
張飛の息子張苞と義兄弟の契りを結びます。
蜀きっての豪傑の息子同士、
父の形見の武器を奮いました。
ところが、関興は諸葛亮が北伐にいそしんでいる間に病に臥し、
そのまま息を引き取ってしまいました。
その知らせを聞いた諸葛亮は、
あまりのショックで倒れてしまいます。
蜀の英傑がまた一人いなくなってしまった…。
人材不足に悩む諸葛亮。
そんな彼の元に、突如として現れた男がありました。
それこそが、関索その人だったのです。
シークレットキャラクター?関索
いやいやいやいや、
誰だよ、関索って!
そう思った人もいるでしょう。
なぜなら彼は正史『三国志』はもちろん、
『三国志演義』でもモノによっては登場しない人物なのですから。
関索が登場する『三国志演義』でも、
諸葛亮が南蛮征伐に乗り出す頃に都合よく登場。
しかし、その後いつの間にかいなくなっているではありませんか…!
なんだか話をうまいこと盛り上げるために
作られただけのような気がしてくる関索…。
昔は超有名だった関索
しかし、そんな彼ですが、
『三国志演義』が発表された当時・明代の人々の間では
高い人気を誇っていたようなのです!
南蛮征伐に向かった際に
関索が何かしらの行動をしたとされる場所には、
関索の名前にあやかった名がつけられるわ、
同じく明代の小説『水滸伝』でも
関索に因んだあだ名をつけられる人物が登場するわ、
あちらこちらで関索にまつわるものが続々登場。
世はまさに関索ブームと言っても過言ではないほど、
明代は関索で溢れかえっていたようなのです。
しかし、それにしてもなぜ関索はこれほど人気だったのでしょうか?
その謎を解き明かす本が、
20世紀になってようやく発掘されたのでした。
関索無双の『花関索伝』
1967年、上海で『花関索伝』という書が発掘されます。
これを発掘した人はただの古書だと思って豚小屋で保管していましたが、
古書を買い取るという上海書店に持ち込んだところ、
世紀の大発見であったことが発覚します。
上の方に絵があり、
その下に物語が記されている
絵本ともいえる体裁の『花関索伝』は、
『三国志演義』のベースとも言われる『三国志平話』にそっくり。
そのページをめくってみると、
題と内容が一致していなかったり、
誤字脱字が甚だしかったりで
とにかく読めたものではありません…。
読み物としては最悪な出来栄えの『花関索伝』。
では、その内容はどのようになっているのでしょうか。
これもスピンオフ?花関索伝の内容
劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを交わす前に
既に家庭を持っていた関羽と張飛。
これから乱世に飛び込む2人は、
家族に後ろ髪を引かれることのないようにと
お互いの家族を手に掛けることにします。
ところが、張飛にはそれができませんでした。
なぜなら、関羽の妻は子を身ごもっていたのですから。
張飛はこっそり彼女を逃がします。
何とか生き延びた関羽の妻は、
男児を出産します。
彼こそが関羽の息子・関索です。
関索はすくすくと成長し、
7歳になった年に母とはぐれてしまいます。
その関索を拾ったのが索員外。
索員外は、関索が9歳になるまで育て、
道士・花岳のもとに預けました。
関索は道士に師事して厳しい修行を耐え抜きます。
立派に成長した関索は、
18歳になったときに自分の父親が関羽であることを知らされ、
今まで世話になった索員外と花岳、
それに実父である関羽の名から1字ずつもらって花関索と名乗ることにします。
そして、父・関羽に会うための旅に出たのでした。
紆余曲折を経てようやく関羽と出会えた花関索。
ところが彼の活躍ぶりは目に余るほど。
花関索は他の登場人物を食う勢いで『花関索伝』で踊り狂うのでした。
一騎打ちは必ず勝利!
妖怪相手でも面食らうことなくなぎ倒す!
まさに花関索無双の『花関索伝』…。
でも、それが当時の中国の人々に大うけだったようなのです。
『三国志演義』にもねじ込まれた関索
そんな痛快な彼の活躍に魅せられた当時の人々は、
『三国志演義』にも関索を登場させたい!
と思ったらしく
『花関索伝』の関索をそれとなく織り込んだ
『三国志演義』が出版されるようになります。
しかし、魑魅魍魎も出せないし、
関索を活躍させすぎるわけにもいかないし…。
関索の活躍は削りに削られ、
結局『三国志演義』では
中途半端な役柄になってしまったのでした。
※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。
元記事:謎多き登場人物、関索って何者?
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