遊牧民は、農耕民である漢民族の脅威でありました。その生活習慣は、狩猟と牧畜か、半農牧畜というようなものでしたが、精強な騎馬民族である彼等は、時折、凶暴な略奪者となって、漢民族に牙を剥きました。
そんな遊牧民の彼等の特徴的な風俗には髪型があります。
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起源は、兜で頭が蒸れるから?
遊牧民の髪型、辮髪(べんぱつ)は私達の感覚では丸坊主に近いものです。
水資源が農耕民に比べて豊富ではなく、また戦場で兜を被る事が多い彼等、遊牧騎馬民族は、髪の毛を額の部分だけ残して、周辺を剃りあげ、余りを三つ編みにして垂らしたり、耳の所に結んだりしました。
こうする事で不快な蒸れを解消し、また水が少なくても洗髪が容易なようにしたのです。絶えず移動する遊牧民の世界では、持ち物は最小限にしないといけないので、辮髪のような手入れが簡単な髪型が好まれたのでしょう。
漢民族の伝統的な髪型はどんなもの?
一方で農耕民である漢民族は、儒教の影響もあり、親からもらった体に刃を入れるのは不孝であるという考えが、長い年月続いていました。
ですから、ヒゲでも髪でも切らず伸びた髪は登頂部で結んで髷にしてそこに簪を挿して纏めていました。もちろん、このままでは、暫くすると痒くて仕方がなくなるので5日に1日は、仕事を休みにして、髪を解いて洗い、一日かけて乾かすという面倒臭い事をしていました。
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馬騰や馬超は辮髪をしていたのか?
三国志で有名な馬騰(ばとう)や息子の馬超(ばちょう)は、遊牧民、羌族との混血であると考えられています。彼等は、馬に乗り、戦場を移動する生活が多かった上に、羌族の信用も厚かったという特徴があります。もしかすると辮髪を結っていたのかも知れません。
もっとも、いつもという事ではなく漢民族の支配地に長くいる時には、髪を伸ばしていたのかも知れません。THREE KINGDOMでは、髪を伸ばし放題で、漢族とは違うヘアスタイルの馬超ですが、、kawausoは個人的に「いや、、本当は辮髪なんじゃないの?」と疑っています。
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まるで河童、契丹族の髪型
辮髪にも、遊牧民によって種類がありましたが、一番強烈なのは鮮卑(せんぴ)系の遊牧民である契丹(きったん)族のヘアスタイルでしょう。彼等の髪型は、髪を両耳の所だけ残して後は丸刈りにするという斬新なモード一番、似ているのはプレデターの地球外生命体か河童です。
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水滸伝の登場人物が契丹ヘアーになる可能性があった?
この契丹は、10世紀には大きな勢力になり遼(りょう)を建国。漢民族の国である宋に20万の軍勢で攻めこんだ事もあります。幸いに、当時の宋は逃げる事なく立ち向かい講和を結ぶ事が出来ましたがもし、この時に都、開封を奪われていたら、水滸伝の登場人物は、皆、契丹ヘアーになっていたかも知れません。
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女真族、中国を征服、そして辮髪は強制される
17世紀に女真(じょしん)族の国、清が中国を支配すると女真族は、敵と味方を見分ける為に、この辮髪を漢民族に強制しました。それは「髪を切らないなら首は残らない」という厳罰だったので、漢民族でも嫌々、辮髪にする人が増加していきます。
この女真族は、文殊菩薩信仰に厚く、そこからマンジュ、満州族と名乗るようになったので以後は満州族と表記します。
キョンシーの衣装は満洲族の正装だった!
昔懐かしい霊幻道士シリーズで一世を風靡した、両腕を真っ直ぐに伸ばしてぴょんぴょん跳ねる妖怪、キョンシーですが、彼等が来ている衣装は、漢民族の衣装ではなく、満洲族の正装です。
清は漢民族に辮髪を強制しておきながら、自分達の正装は、漢民族には厳禁にしました。漢民族は死んだ時にのみ女真族の正装を許されたので、いつしか正装は、漢民族の憧れになっていったのです。
20世紀に入り清の支配が衰えて規制が緩むと漢民族も満州族の正装を着るようになり、これが、チャイナドレスと呼ばれるようになります。
辮髪に震えあがった琉球
さて、清が国内で辮髪を強制しているという噂は、海を越えた琉球、そして、琉球から徳川幕府に伝わります。
「国内であんなに強制しているんだから、国外でもやるに違いない、どうしよう、あんなダサい髪型をしないといかんのか?」
琉球は清に辮髪を強制されたらどうしようと怯え、徳川幕府も「琉球が辮髪になったら日本の体面に関わる」と神経をとがらせますが清朝は、支配の及ばない国では辮髪を強制する気はなく琉球も徳川幕府の心配も取り越し苦労に終わりました。
でも、徳川時代のちょんまげだって、他国から見れば、相当に変な髪型だと思いますが、感覚の違いですかね。
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悪の拳法家が辮髪をしている理由は?
カンフー映画では、悪の拳法家が辮髪をしている事が多いです。ドラゴンボールでも世界一の殺し屋、タオパイパイが辮髪です。これも理由があり、辮髪は支配者の女真族の髪型だからです。主人公の拳法家は、辮髪をしていないので漢民族、つまり、映画の中で女真族と漢民族を戦わせて、最期には主人公=漢民族が勝つという筋立てにしているのですね。
髪型一つでも、こんなにも歴史がある遊牧民の話も奥が深いですね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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