関羽の長男である関平は樊城の戦いの後に孫権配下の馬忠によって捕らえられ、関羽とともに斬首されました。
直接的な死因は首を刎ねられたことにあるわけですが、仮に関平が関羽を諌めていたり、部下との軋轢を生まないようにケアをしたりとサポートをしていれば、お互いに荊州で命を落とすこともなかったのかもしれません。
つまり、関平たちが死んだ間接的な原因は、関平自身の性格にあったのではないかということです。
関平自身は記録が非常に少なく、どんな人物であったかも推測が難しい人物ではあるのですが、今回はそんな関平の人生をたどりながら、その死因について考えていきたいと思います。
この記事の目次
関平の生まれた年
正史三国志における関平の記述は非常にシンプルで、関羽と共に斬首されたことしかありません。
そのため、どのタイミングで生まれた子供なのか、関羽との年の差がどのくらいだったかは不明です。ただ、後年になって書かれた「関聖太子宝誥」などの書物や関侯祖墓碑記(清代に発見された関羽の墓の記述)などの遺物によれば178年5月13日生まれと記載があります。
また、この他にもソースが確認できなかったものの182年、190年、200年以降という情報もあり、ハッキリしたことは分かりません。
ただ、劉備たちは傭兵団として各地を転戦していた期間が長いことから妻子を持てるタイミングは限られていたはずです。そうすると比較的信憑性が高いのが178年の劉備と出会う前で、妻子をどこかに置いて関羽が流浪していたのであれば辻褄は合います。
気になる点としては、当時の女性がシングルマザーで生活できるほど豊かだったのかが疑問で、関羽が仕送りをするにしても根無し草の劉備一行にお金があったとは思えません。
関平の息子
江陵県志によると関平は趙氏という奥さんを娶り、その間に関樾という息子が生まれたとされています。この趙氏という女性は趙雲の娘であるとも言われていて、実在したのであれば祖父が関羽と趙雲ということで、かなり期待が寄せられていたでしょう。
それはさておき、この関樾が生まれたのは212年という説があるのです。そこから関平の年齢を逆算すると、15か16歳くらいで授かったとしても197年よりも前に生まれていたことになります。
現実的に考えると劉備が徐州で安定した時期に結婚をしたはずなので、195年以前には関平は生まれていたのではないでしょうか。
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関羽との関係性
関羽の生年月日も明らかではないのですが、前述した関侯祖墓碑記の記載では160年となっています。ほかの書物でも159年などとある事から、関平が178年生まれであればおよそ20歳差、190年以降の生まれであれば30歳以上離れていたということです。
また、178年の生まれであれば関羽と長らく戦場を共にしていたはずなので、父の性格を熟知していたはずですし、ある程度諌められるポジションにいたとしても不思議ではありません。
関羽は傲慢な面があるものの、黄忠と同列になるのが嫌で拒否した際に、費詩が諌めるとそれを聞き入れています。それだけ費詩の舌鋒が鋭かったのかもしれませんが、聞く耳は持っていたのではないでしょうか。ではなぜ関平はそのポジションになれなかったのか。それは性格にあったのではないかと考えます。
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名は体を表す
関平の性格は推測が非常に難しいのですが、考察の材料として考えられるのが名前と字です。正史に関平の字の記載はありませんが、「関聖太子宝誥」によると坦之とされています。
字はいくつかのパターンがあり、その中でも比較的多いのが名前と意味を合わせるという決め方。例えば関羽雲長であれば「羽」と「雲」がイメージ的にも合致します。関平の弟は関興安国ですが、「興」には盛んにさせるなどの意味があり、「安」んじると似た意味合いです。
さらに「国」は地域や土地を表す漢字なので、地域を盛んにさせるとか地域を安んじるといった意味だったと考えられます。関平の坦之も「平」も「坦」も起伏がないことで、穏やかといった意味合いです。2つ合わせると「平坦」となりますが、名が体を表すのであれば落ち着いた雰囲気だったのではないでしょうか。
三国志演義でも関平は冷静沈着な性格として描かれていますが、これは名前の印象から来たものなのかもしれません。もし仮に関平が冷静な性格だったとすれば、関羽を諌めたが聞き入れられなかった。あるいは物静かな性格で関羽に意見ができなかったのかもしれません。
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