
我々が日常的に競馬や馬術競技、乗馬クラブなどで目にする馬は、そのほとんどがサラブレッドやアングロアラブなどの西洋由来の洋種馬です。しかしながら、明治以降に洋種馬が日本に伝来する前から、日本では独自に馬の生産・育成が行われていました。こうした馬は洋種馬とは異なり、日本在来馬と呼ばれています。
そこで今回は、そんな知られざる日本在来馬について見ていきたいと思います。
日本在来馬とは?
日本在来馬は和種馬や在来和種(馬)と呼ばれ、明治以降に伝来したサラブレッドなどの洋種馬とは全く交雑することなく、はるか昔から続く日本独自の馬としての血統を繋いできた馬たちのことをいいます。
日本列島に馬が伝来したのは古墳時代のことと言われており、朝鮮半島から交易によって伝わったと言われています。日本各地の古墳から出土した埴輪に馬をモチーフとしたものがあることからも、古墳時代には馬は既に重要な家畜として重要視されていたと言われています。
その後、平安時代に武士が出現すると、軍馬や農耕馬としての馬の重要性は高まり、中世に入ると日本各地で馬の生産・飼育が行われるようになり、各地で交配・品種改良が行われ、独自の発展を遂げた日本在来馬が誕生することとなります。
日本在来馬の頭数がピークを迎えた江戸時代には、一説によれば数十万頭もの日本在来馬が日本各地で飼育されていたと言われています。
しかし、明治時代に入ると、西洋からサラブレッドやアラブ種といった洋種馬が輸入されるようになり、体高が高く、速力や耐久性に優れる洋種馬に押される形で日本在来馬はその飼育頭数を減らしていきます。その結果、明治以前には日本各地に存在した日本在来馬の多くは絶滅し、現在の日本在来馬はわずかに8種を残しています。
現在の日本在来馬の中には天然記念物に指定されているものもあるように、数を減らした日本在来馬は保護の対象となっており、近年はその頭数が少しずつ増えてきているとも言われています。では、次に現在の日本在来馬として知られている各種の馬について詳しく見ていきたいと思います。
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道産子(北海道和種)
道産子は、その名の通り北海道に生息する日本在来馬です。北海道の先住民であるアイヌには馬を飼育する習慣はないことから、道産子は中世以降に東北地方から北海道に移入された馬の子孫と言われています。
道産子の体高は約125~135cm、体重は約350~400㎏と日本在来馬の中では大きく、アラブ種に匹敵する体格を持ちます。道産子は北海道の厳しい気候に適応しており、厳しい寒さに強いほか、背中に重い荷物を搭載できる高い耐久性を併せ持っています。北海道開拓時代には、開拓民の貴重な交通手段として重宝されたという話も残っています。
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木曽馬
木曽馬は長野県南部の木曽地方に生息する日本在来馬です。体高は130cm程度、体重は350~400kg程度と大きく、日本在来馬の中では堂々たる体格を誇っています。また、山間部で育てられた木曽馬は蹄が固く、悪路の走破性に長けています。
木曽地方は平安時代より馬の産地として名高く、木曽で生産された木曽馬は軍馬として知られており、源平合戦の時代の木曽義仲(源義仲)のほか、南北朝時代の武将・新田義貞も木曽馬を利用していたといわれています。
そんな木曽馬も明治以降は洋種馬に押されてあまり生産されなくなり、一度は絶滅しかけます。しかし、戦後に長野県や県内の畜産業者からなる木曽馬保存会は木曽馬の保存に乗り出し、最後の純血木曽馬と言われる第三春山号を種牡馬として木曽馬の血統を繋ぐことに成功しています。1983年に木曽馬は天然記念物となり、現在も木曽馬の保存活動は続いています。
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御崎馬
御崎馬は宮崎県の都井岬に生息する日本在来馬の一種であり、天然記念物に指定されています。御崎馬は体高130cm前後、体重300kg前後と、小ぶりな体格が特徴です。
御崎馬は都井岬一帯に位置する広大な「御崎牧場」でのびのびと放牧されていることが知られています。御崎牧場の歴史は古く、その起源は江戸時代の1697年にまで遡ります。江戸時代以来保護されてきた御崎馬も、明治時代以降は洋種馬の普及によって幾度も絶滅の危機に瀕しています。
しかし、1953年に御崎馬が天然記念物に指定されると、国や自治体による保護が行われるようになり、広大な御崎牧場において人の手をなるべく加えることなく、半野生状態での飼育が続けられています。
こうした半野生状態の御崎馬たちは、毎年一カ所に集められて検査が行われていますが、この際に御崎馬を集める行事は「都井岬の馬追い」と呼ばれ、多くの観光客を集める一大イベントとなっています。
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対州馬
対州馬は長崎県の対馬に生息する日本在来馬の一種です。体高は平均120cm台と小ぶりですが、急峻な山地が聳える対馬の地形に適応し、悪路の走破性に長けています
急斜面の多い対馬において対州馬は住民の重要な交通手段であり、かつては各家庭に必ず対州馬が家畜として飼われていたと言われています。しかし、戦後の道路建設と自動車の普及によって対州馬の需要は激減し、2005年の飼育頭数は25頭にまで減少し、いつしか対州馬の絶滅が危惧されるまでになってしまいます。
対州馬の減少に対し、対馬では1972年に「対州馬振興会」がつくられ、対州馬の繁殖や飼育、保全活動が行われています。現在では対州馬による草競馬である「馬跳ばせ」が行われるなど、対州馬は対馬の観光資源の一つとなっています。
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野間馬
野間馬は愛媛県今治市野間に生息する日本在来馬であり、その体高はわずか110~120cmに過ぎないことから、日本最小の在来馬と言われています。野間馬は江戸時代に品種改良によってつくられた品種とされており、耐久性に優れ、蹄が固く悪路の走破性が高いことから農耕馬として重宝されました。
戦後、自動車の普及によって野間馬の需要は激減し、一時は絶滅の危機に瀕します。しかし、1988年に野間馬が天然記念物に指定されると今治市が本格的に保護に乗り出し、在は今治市にある野間馬ハイランドなどで80頭ほどが飼育されており、保護が進められている一方、野間馬ハイランドでは乗馬や野間馬とのふれあいができるなど、市の観光資源にもなっています。
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トカラ馬
トカラ馬は鹿児島県の南海上に位置するトカラ列島に生息する日本在来馬です。元々、トカラ列島や奄美諸島には九州から輸入された日本在来馬が生息していましたが、奄美諸島では明治時代以降、洋種馬の雑種化が進み、日本在来馬は絶滅しました。しかし、1952年にトカラ列島の宝島で日本在来馬のトカラ馬が生き残っていたことが確認されます。
とはいえ、戦後の自動車の普及によりトカラ馬の需要はすでになく、トカラ馬はいつ絶滅してもおかしくない状況でした。そこで、1960年代にトカラ馬のほとんどは鹿児島県本渡に移され、繁殖と保護が行われることとなります。1974年にはトカラ馬がトカラ列島に戻され、現在ではトカラ列島の中之島でトカラ馬が放牧されています。
現在、トカラ馬の数は100頭を超えており、その繁殖と保全が維持されている状況です。トカラ馬は鹿児島県平川動物公園のほか、上野動物園でも飼育されており、貴重な日本在来馬として手厚い保護を受けているのです。
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宮古馬
宮古馬は沖縄県の宮古島に生息する日本在来馬です。体高はおよそ120cmと非常に小ぶりなのが特徴です。宮古馬は宮古島という離島に生息していることから、ほかの種との交配がほとんど行われておらず、古くからの日本在来馬の特徴をよく残していると言われています。
かつての琉球王国の時代より、牧草地に富む宮古島は馬の飼育が盛んであり、宮古馬は琉球王国の重要な輸出品として位置づけられていました。また、琉球王国時代より長い伝統を持つ琉球競馬の馬も、その多くが宮古馬であったと言われています。
宮古島は琉球王国時代から馬産の中心地であり、太平洋戦争期にも沖縄本島と異なりほとんど戦闘が行われなかったため、宮古島の馬産は第二次世界大戦後も続きます。しかし、農耕馬の需要減少によって宮古馬の頭数も激減し、1978年にはわずか7頭にまで減少します。
その後の自治体による粘り強い保護活動により、現在では40頭ほどにまで回復しています。とはいえ、対州馬と同様に宮古馬は日本在来馬の中でも頭数が特に少なく、いまなお絶滅の危機に瀕している状況は変わりありません。
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与那国馬
与那国馬は沖縄県の与那国島に生息する日本在来馬です。与那国馬は、日本最南端の日本在来馬としても知られています。南西諸島のうち、沖縄本島からも遠く離れた八重山諸島に位置する与那国島で独自の馬産が行われ、体高訳110~120cmと小型な与那国馬が育まれてきました。
与那国島は馬産が行われている他の地域とかなり離れているため、与那国馬は洋種馬をはじめとする他の血統との交雑が行われず、古くから続く独自の血統が維持されていたといわれています。与那国馬は古くより、島の交通手段として重宝されてきましたが、戦後になって需要が激減し、一時は頭数が減って絶滅しかけますが、1996年に天然記念物に指定されると保護の対象となり、現在では保護の甲斐あって130頭ほどまで頭数が回復しています。
与那国馬は日本最南端の在来馬ということもあり、与那国島以外にも日本各地の動物園や牧場で飼育されています。現在では、上野動物園をはじめとして日本各地の動物園で与那国馬を目にすることができます。
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三国志ライター Alst49の独り言

いかがだったでしょうか。我々がよく目にするサラブレッドなどの洋種馬と異なり、我が国日本でも、独自の血統を受け継ぐ日本在来馬が息づいています。
こうした日本在来馬は日本の環境に適応した、日本ならではの発展を遂げた馬であり、日本の自然遺産として保護していなかなければいけない存在です。この記事を読み通した読者の皆様が、日本在来馬の存在を知り、その素晴らしさや保護の重要性を改めて認識して頂ければ幸いです。
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