即位した直後は蜀に呉に内乱と対応していき、司馬懿や陳羣など優秀な人材たちのサポートもあって、良く魏を治めている人物だった……のですが。
それが治まると大きな宮殿を建てたり、各地から美女を集めたりしておいおい色ボケでも始まっちゃったか?とう間に亡くなり、幼帝を立てて崩御……という結末を迎えてしまった皇帝。
だけどもしかして、その美女大集合にも意味はあった!……かもしれない、というのが今回の注目点になります。
この記事の目次
即位後はやる気を見せていた曹叡
曹叡は即位後、蜀に呉にと対応を迫られます。そこで蜀には曹真、曹真亡き後は司馬懿。呉には合肥で満寵に当たらせ、公孫淵の反乱には司馬懿を派遣するなど、後世から見ても適材適所な人材派遣手腕を見せてくれますね。
しかし何度も何度も北上してくる諸葛亮が五丈原で亡くなると途端に戦への意欲を失って……というのは、資治通鑑でも非難されている通りです。
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曹叡による宮殿の造営に関して
曹叡のやった政策の一つに、宮殿の度重なる造営というものがあります。これによって魏の財政が圧迫され、しかもこれに人員が裂かれることで農業や戦ができなくなる、というのが問題点とされています。
ですがこれに関してはそもそも以前から行われており、農民たちへの公共事業だったのではないか、という見方もあるのも事実です。ただ、この事業に関して陳羣らが事業を縮小させたとも言われているので、やはり国の財政を圧迫していた一面もあるのではないかと思われます。
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曹叡の政策:兵力確保
さて、曹叡のやった政策でかなり問題があると思われるのが、結婚奨励です。これは「兵士の家同士の結婚を奨励するもの」で、兵士の家が結婚をして後継者を増やすことで、後の兵士の確保をできるようにする、つまりは兵力の確保をするため、と言われているものです。
まあここだけ抜き出してみると、そんなに悪くないのではないか、と思うかもしれません。ここに付随させた規則がよろしくなかったようで……。
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未婚の兵士と再婚させた曹叡の政策
兵士の家同士と言っても、男女が必ず一定で夫婦になれる数いる、なんてことは当然ありませんでした。なので「兵士の家以外に嫁いでいる女性を召し上げ、未婚の兵士と再婚させる」ようにしたのです。
当たり前ですがとんでもないことです、誰だって奥さんを奪われたくないでしょう。そこで出てきたのが「奴隷を代わりに差し出してもいいよ」という更にとんでもない規則です。
これによってお金のある家は妻の代わりの奴隷を買う、貧乏な家では金のために妻や娘を差し出す……という悪い冗談のような事態が横行してしまったのでした。
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兵士の家以外に嫁いでいる女性を召し上げる
さてここまでで既にとんでもない政策になっていますが、この政策についてもう一点、付け加えられたものがあります。前述した政策に「兵士の家以外に嫁いでいる女性を召し上げる」というものがありましたね。
ここに更に加えられた一文が「召し上げた者の家で、容姿の良い者は後宮に入れる」というものがあるのです。つまり美女は自分の妻の一人に向かえちゃうぞ!ってことですね!
何でそうなった!!
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