穆皇后とは?色々あって劉備の後妻となり皇后に昇りつめた女性

2022年10月18日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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袁紹の妃 劉氏

 

さてさて三国志(さんごくし)に出てくるのは主に武将たち、とは言えど、その陰にはしっかりと女性たちも存在します。ただし女性は名前が分からない、つまり余程高貴な身分でもなければ名前や存在が残されなかった時代。

 

まあ、高貴な身分であっても名前が残っていない女性もいるのですが……。そんな中で、歴史書に記された女性、穆皇后(ぼくこうごう)のお話を今回はしたいと思います。

 

 

記録に残る劉備の4人の妻の1人

漢中王になる劉備

 

穆皇后、もしくは穆皇后呉氏。彼女は三国志の英雄の一人にして、蜀(しょく)の初代皇帝・劉備(りゅうび)の妻です。

 

劉備の妻と言うと劉禅(りゅうぜん)の母親:甘夫人(かんふじん)

麋竺(びじく)の妹:糜夫人(びふじん)

孫権(そんけん)の妹:孫夫人(そんふじん)

らが三国志演義(さんごくしえんぎ)などの影響もあって有名ですが、実際に生きている間に皇后になったのは穆皇后のみです。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

別に後宮で熾烈な女の戦いがあったという訳ではなく、おそらく、劉備が皇帝となった時に在命していたのが穆皇后のみであったからだとは思われますが……。

 

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蜀漢の外戚、呉懿の妹

呉懿

 

因みに穆皇后、呉懿(ごい)の妹でもあるので姓は呉、このため呉夫人、呉氏とも呼ばれ、同じく劉備の妻になったことがある孫夫人が呉から嫁いできているのでちょっとややこしいですね。

 

呉懿と魏延

 

兄の呉懿は蜀でも名前の知られた歴戦の将であり、街亭(がいてい)の戦いでは大将は「呉懿か魏延(ぎえん)にするべき」と諸将に言われるほどの存在。皇帝の外戚である身分ですが、季漢輔臣賛(きかんほしんさん)でもその性格を絶賛されている人物でもあります。ただ三国志では呉懿の伝はなぜか無いという不思議な所があります。

 

呉懿と孔明

 

これについては色々と謎を呼んでいますが、それはまた別の機会に。

 

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父は何進大将軍暗殺のどさくさで死んだ

何進

 

さてそんな穆皇后、割と苦労して育ったようです。元々はエン州の出身なのですが、幼い頃に既に父親を亡くしていました。

 

また穆皇后の従兄弟に呉班(ごはん)がいますが、彼の父親の呉匤(ごきょう)は元々は何進(かしん)の部下で、その敵討ちを行った……と言う記録以降が分かっていません。何進の家臣(ギャグに非(あら)ず)の復讐戦に巻き込まれたとしたら、父だけでなく叔父もこの際に亡くした可能性もありますね。

 

 

兗州から益州へ

 

ともあれ穆皇后は兄の呉懿、呉班らと一緒に、交流のあった劉焉(りゅうえん)が入蜀するのに同行して益州(えきしゅう)に移り住みました。

 

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通りすがりの占い師に将来セレブになると言われる

 

そんな折、とある人相見が穆皇后の顔を見て驚きました。その人物曰く、「この方はいずれ大変高貴な身分に昇るであろう!」この時代、女性で高貴な身分と言えば皇帝の妻、とまでは行かずとも、権力者の妻です。

 

 

劉焉

 

そこに目を付けたのが、そもそも「益州に天子の気あり」と言われていた劉焉。彼女を自分の三男である劉瑁(りゅうぼう)と結婚させたのでした。思えばこの予言の数々、的中してますね。

 

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未亡人になった後、劉備が蜀の支配者に

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しかし劉瑁は早死にしたので、彼女は未亡人となってしまいます。そして運命の年、214年。この時に蜀を治めていたのは劉焉の子である劉璋(りゅうしょう)でしたが、何の不運か配下の張松(ちょうしょう)や法正(ほうせい)やらが「うちのトップには劉備殿になって頂こうぜ!」となってしまい、最終的に劉璋は劉備に降伏。

 

法正と張松

 

こうして劉備は人徳によって益州の王者となりました。

 

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法正の説得もあり劉備は呉氏と再婚

法正

 

当時、劉備の妻には孫夫人がいましたが、問題行動ばかり起こす上に嫡子の誘拐など、寧ろ内部の敵状態。という訳で諸将が新しい妻として当時はまだ呉氏、という身分であった彼女を娶るように劉備に進めます。

 

しかし劉備は同姓娶(めと)らず、つまり同族である劉瑁の妻であった呉氏を娶ることを忌避(きひ)します。ここで出てきたのが劉備を説得することに定評がある法正。彼は晋(しん)の文公を例として劉備を納得させ、劉備もこれを聞き入れました。こうして呉氏は、呉夫人となったのです。

 

※文公は、秦の援助を受ける為、秦の公女だった甥の妻を娶っている

 

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高貴な身分に昇った

女帝・武則天b

 

後に劉備は漢中王(かんちゅうおう)として即位。皇帝の妻である彼女は皇后となり、後に皇太后となりました。正に人相見の予言の通り、彼女は女性としてのトップに昇りつめたのです。

 

子供がいたかどうかは不明ですが、三国志演義では劉永(りゅうえい)と劉理(りゅうり)の母親として描かれました。そして崩御後は劉備と共に合葬され、穆皇后のおくり名を与えられたのです。

 

穆皇后の「穆」とは「穏やか。慎み深い」という意味が有り、兄の呉懿の性格を考えると、彼女もまた、穏やかで出しゃばらない、心の優しい人物であったのかもしれません。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

個人的には、穆皇后には子供はいなかったのではないかな……と思います。皇后の身分である彼女に男の子が出来ていれば、劉禅と相続問題が起きていても不思議ではありませんからね。

 

また、穆皇后にはこれと言ったエピソードが殆どありません。ちょっと寂しい気もしますが、悪目立ちするようなエピソードがないことと考えると、おくり名通りの穏やかで慎み深い人だったのかもしれませんね。

 

センさんのとぷんver2

 

ちゃぷり。

 

参考文献:蜀書二主妃子伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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