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【孔明涙目】パイセンの命令は絶対!『劉備軍』が想像以上に体育会系だった

2015年12月17日


 

呂布 ナイスシュート

 

帰宅部だったkawausoには分からないのですが、中学、高校で部活などを行っている人は、1年の違いが大変な違いのようですね。

社会に出ても、どっこい、何年入社で立場に上下が出来たりします。

これは、何も現代日本ばかりではなく、劉備軍でも同じだったようです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備(りゅうび)軍にも序列というものがあった

劉備 桃園

 

根なし草の傭兵集団だった劉備軍は、何となくアットホームで、

ワイワイガヤガヤ仲良くやっているというイメージがありますが、

そこはそれ、戦う集団ですので、序列というものが存在していました。

 

一応、上下関係を決めておかないと、何かの場合に誰が誰の命令に

従うのかで揉めますからね・・

 

劉備軍で一番官位が高いのは、張飛、縻竺、そして関羽

劉備 ゆるキャラ

 

最初は、官位というものが関係なく、その場の取り決めだった劉備軍ですが、

劉璋を降して益州を降して、州牧になると、次第に機構が整備されるようになり

劉備配下の武将達の地位が記録されるようになります。

 

張飛 参上

 

それによると、西暦214年頃、益州を降した頃の劉備軍において、

官位が高いのは張飛(ちょうひ)で征虜(せいりょ)将軍、官位は三品でした。

これと同列にあるのが、関羽(かんう)ではなく、縻竺(びじく)で

安漢(あんかん)将軍という階級で三品になります。

朝まで三国志 呂布 劉備

 

実は縻竺は、劉備が徐州牧だった頃からの家臣で、大地主の金持ちでもあり、

呂布(りょふ)に国を奪われた劉備の為に資金を出して軍を立てなおしたりしています。

劉備にとっては物心両面で頼った恩人でもあるのです。

 

関羽

 

そして、次が関羽(かんう)で盪冠(とうこう)将軍、官位は四品という事になります。

義兄の関羽が張飛より1ランク下という事でヘソを曲げそうですが

間もなく関羽は荊州の軍事総督になりますので、大きな違いはないでしょう。

 

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次に来るのは孔明と思いきや・・

劉備 茶

 

では、次に来るのがいよいよ孔明と思いきや、次は劉備の不良学生時代からの

遊び友達の簡擁(かんよう)で、雑号の昭徳(しょうとく)将軍で四品、

さらに次が徐州時代からの部下で、孫乾で秉忠(へいちゅう)将軍になり、

こちらも雑号将軍で四品になります。

 

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ここでようやく、諸葛亮(しょかつりょう)孔明登場・・

孔明

 

そして、次にやってくるのが軍師将軍の孔明(こうめい)で、こちらも雑号将軍で、

官位は五品、張飛や縻竺より2ランク下ですし、もちろん、関羽や、孫乾、簡擁よりも

下という階級になります。

 

劉備の大きな信頼を受けているとはいえ、その序列は新参故にかなり低く

孔明から見ると、「縻竺パイセン、関羽パイセン、張飛パイセン」だったのです。

三国志演義を見ていると、張飛や関羽より立場が上に見える孔明ですが、

体育会系の劉備軍では、孔明は、生意気と思われないように

かなり周囲に気をつかう必要があったと思われます。

 

簡擁パイセン、長椅子を一人占め事件

 

そんな、劉備軍の体育会系のノリを体現しているのが劉備の不良学生時代からの

友達だった簡擁でした。

当人が、元ヤンキーの性質が抜けない、おおらかながらも傲慢な性格だった事も

あるのですが、自分より官位が下の孔明を見下す所がありました。

 

或る時の事です、荊州組である孔明一行が仕事を終えて休憩しようと、

長椅子のある場所で休もうとやってくると、そこで簡擁が友達と

馬鹿話をしながら寝転がり、長椅子を一人占めしていました。

 

本来なら、仕事をして疲れている孔明一行にだって長椅子に座る権利があります。

しかし、簡擁は横目で孔明を見ながら、少しも動こうとはせず、友達と話を続けていたのです。

 

孔明も孔明で

「簡擁パイセン、疲れたんで、ちょっと長椅子使わせてもらっていいすか?」

 

位は、言えばいいんですが、そこは体育会系の劉備軍、、孔明は何も言えず、

すごすごと、その場を後にしたそうです。

天才軍師に手も足も出させない、劉備軍のパイセンパワー、、

いつの時代も、年長とか先輩というのは、動かせないオーラがありますねェ。

 

 

三国志ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

簡擁パイセンの理不尽な長椅子一人占めに遭遇した下っ端孔明も、

劉備が死去する頃までには、丞相にまで昇り詰めて、周囲は部下と

同僚ばかりになってくのですが、荊州の片田舎で長らくニートをしていた

孔明には、劉備軍の体育会系のノリはどう映ったのでしょうか?

同じく長いニート歴を持つ、kawasuoが思うには、相当ウザかったと思います。

 

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。

もちろん、食べるのはサーモンです。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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