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狼狽する曹操に劉備(りゅうび)討伐を進言
西暦200年、官渡の戦いが起きると、曹操が袁紹(えんしょう)との戦いに掛りきりになっている隙を突いて、劉備が許昌周辺でゲリラ活動を展開し、多くの県を袁紹側に寝返らせていきます。曹操は、苦戦している袁紹戦で頭が一瞬真空になり、どうすればいいものか戸惑って狼狽しますが、その時に曹仁は進言しました。
曹仁「劉備は、ここに来て日が浅く、まだ諸県の信頼を得ていません。彼らは日和見しているだけ、今ならば、突き崩す事が出来ましょう」
曹操はハッとして、曹仁に騎兵を与えると、曹仁は劉備を撃退、寝返った諸県は、またオセロのように曹操に服しました。
高幹(こうかん)を降伏させた心理戦
西暦205年、高幹が、曹操が烏桓討伐に出向いた隙に壺関で反乱を起した時、曹操は、「賊を一人残らず穴埋めにせよ」と命じました。
しかし、曹仁は、力攻めは被害を拡大するとして反対します。
曹仁「壺関の兵は逃げ場がないので必死に戦い降伏しないのです、ここは力攻めではなく計略を用いましょう」と進言します。
曹操は成程と考えを変え、以前に袁家から曹操に降伏した呂翔(りょしょう)、呂曠(りょこう)を偽装降伏させて、高幹に曹操軍に夜襲を掛けさせるよう唆します。事態を打開しようと焦った高幹は計略にかかり、曹操軍に捕えられました。曹仁は一連の手柄で都亭侯に任命されます。このように曹仁は力攻めばかりではなく、敵の心理状態を読み切り、的確なワンポイントアドバイスで曹操を助けました。
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曹仁の勇、数十騎で同僚の牛金(ぎゅうきん)を救出する
赤壁の戦いの後、曹仁は呉の周瑜(しゅうゆ)との戦いに入ります。曹仁は南郡を堅守して、周瑜の数万の軍勢と交戦しますが、周瑜の先鋒6000名に配下の牛金の兵300を向けました。しかし、戦上手の周瑜は魏に心理的なショックを与えようと、牛金をいきなり撃破するのではなく大軍で包囲してジワジワ攻め立てます。南郡では、曹仁の副官の陳矯(ちんきょう)がそれを見て顔面蒼白になります。
曹仁「おのれ小癪な!周瑜め、牛金をなぶり我が軍の士気を下げるつもりか!」
曹仁は周瑜の狙いを悟って憤慨し、数十騎を従えて城を出ようとします。もちろん、陳矯は、これを止めますが曹仁は聞きません。
曹仁「放せ!陳矯、我が軍の武勇を呉の若造に見せてやる!」
曹仁は、周瑜の数万の兵に突撃し、何とか牛金を救出して城に帰還します。これには、周瑜も呉軍も度肝を抜かれ、同時に魏軍の士気は上がります。
曹仁は、その後も周瑜に致命傷となる矢傷を与えるなど奮戦しますが、結局、計略に勝る周瑜により南郡は奪われてしまいました。
関羽に樊城を攻められるも、ついに守りきる
西暦219年、曹操の漢中攻略戦の敗戦を見越した関羽(かんう)は、荊州北部を併合しようと、曹仁の守る樊城を攻めます。曹操は、もちろん援軍を出しますが于禁(うきん)と龐徳(ほうとく」の7軍は、折りからの大雨による漢水の決壊で水没し援軍は壊滅します。
関羽は、漢水を越えて侵攻するつもりで船を用意していたので、水没の影響を受けず、曹仁は城内の数千の兵で関羽の数万の包囲を受けるという苦しい状況に追い込まれます。
しかし、曹仁は、樊城の将兵を励まして、軍規を厳しくして頑強に守ります。やがて、無敗将軍の徐晃(じょこう)が援軍として到着呉からは呂蒙(りょもう)が関羽の背後を脅かし関羽は樊城の包囲を解きました。樊城が陥落すれば、曹操は許都を放棄して北方に遷都しないといけない程に追い詰められていましたが、曹仁は曹操の期待に見事に応えたのです。
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位人臣を極めた曹仁の最期
西暦220年、曹操が死に、曹丕が魏を建国して文帝になると、曹仁は車騎(しゃき)将軍、都督荊揚益州諸軍事、陳侯に昇進します。西暦223年、曹仁は56歳で死去、沈着冷静で、果断、一度決心したら火のような行動力で敵を粉砕する勇気は騎兵を率いるのに最適な特性だったと言えるかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
三国志演義では、モサッとした雰囲気で、安定した守将のイメージの曹仁。しかし、実際の曹仁は、機を見るに敏で、守るべきは死守し、攻めると火のようであり、まさに戦争プロフェッショナルな職人仕事を見せました。若い頃の軽率な乱暴さも、自分が大軍を率いて責任を持つようになると、精神修養を積んで薄れていき、常識をわきまえ、軍規を厳しくし、曹丕は、軍を動かすのには、曹仁を手本にしろと常々言っていたそうです。元ヤンキーで、年を経てから温和な経営者になる人がいますけど、曹仁もそういうタイプだったのでしょう。今日も、三国志の話題をご馳走様でした。
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