今や、神様になりアジア世界ではもっともメジャーと言ってもいい関羽(かんう)。
もちろん、生前も一騎当千の強さで、しかも曲がった事が許せない
義に厚い名将として多くの尊敬を集めています。
ですが、そんな関羽、長い生涯には「?」という部分が多い事も事実です。
特に、関羽のプライドの高さは天下一と言ってよく、その性格から、
多くの面倒くさい事を引き起こしています。
この記事の目次
面倒臭い1: 馬超(ばちょう)の能力を詮索する関羽
西涼の馬超が、落ちぶれて劉備を頼って帰順してきた時の事です。
馬超と言えば、錦の馬超として曹操(そうそう)さえも追い詰めたとして、
世間の評判の高い人物でした。
当時、荊州を任されていた関羽、そんな馬超の噂を聞いて、
だんだん、そわそわしてきます。
そして、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)に手紙を出して
色々馬超の事を聞いているのです。
「なんだか、錦馬超が我が軍に加わったようでめでたい事だけども
ぶっちゃけ、どう?軍師殿から見て、馬超とワシとどっちが上?」
もう、典型的なプライド高い人間です。
まさか、俺より優れているなんて事はないよね?という不安感が
ありありという手紙でした。
もちろん、関羽の海より深いプライドを知りつくしている孔明は、
「馬超は張飛(ちょうひ)と並ぶような猛将ですが、
もちろんヒゲ殿の武勇には及びませぬ」
と関羽を精一杯、持ち上げています。
この手紙で関羽は満足し、よせばいいのに、手紙を部下達に見せ、
「見よ、錦馬超は名将のようだが、ワシには及ばないそうだ、、
ま、そんな事だとは分かっていたがな、、わっはっは!!」とご満悦だったとか
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面倒臭い2:黄忠と同列は嫌だとヘソを曲げる
西暦216年、漢中王になった劉備(りゅうび)は人事を刷新して前将軍と
後将軍の位をそれぞれ、関羽と黄忠(こうちゅう)に授けました。
しかし、この人事に対して、劉備に、まったを掛ける人が出ました、孔明です。
「張飛や馬超は、黄忠の武勇を目で見ていますから不満はありますまい
しかし、関羽は荊州にあり黄忠の活躍を知りません、必ず不服を言いましょう」
ここで、アレ?関羽と黄忠って一騎打ちしてなかったっけと思った人もいるでしょうが
関羽と黄忠の一騎打ちは演義の創作で、実は二人にはこの時点で接点が無いのです。
ですが劉備は、関羽はワシが説得するから大丈夫と押し切り、黄忠は後将軍、
そして関内侯の爵位を授けます。
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黄忠と同列にされた関羽、激おこぷんぷん丸!
ところが孔明の不安は的中します、自分と同ランクの後将軍に黄忠が任命されたと
知った関羽は烈火の如く怒ってしまうのです。
「黄忠のような新参の老いぼれとワシが同格というのは納得がいかーーーん!
前将軍の地位なんか絶対に受けぬぞ!!」
と面倒臭い性格を爆発させて、任官を拒否してしまうのです。
慌てた劉備は費詩(ひし)を遣わして、関羽を説得に掛ります。
「あなたも頑固な人だな、、昔、漢の高祖は、古い友人の曹参(そうさん)や
䔥何(しょうか)を差し置いて、他所者の韓信(かんしん)を大将軍に任命したが、
それで曹参や䔥何が不服を言っただろうか?
二人は、地位と信頼の深さは別のものだと知っていたから不満を持たなかったのです。
そもそも、何十年も一緒だったあなたに対する漢中王の信頼が、
新参者の黄忠と同じではない事位は、あなたにだって分かる筈だ。
つまらない官位の上下に拘り、主君を困らせるのは不忠というものですよ」
費詩に説得された関羽は自分の視野が狭かった事を認めて
渋々、前将軍を拝命する事を認めています。
面倒臭い3:曹操からの贈物を全て返す面倒臭さ加減
西暦200年、曹操は小沛に劉備を攻めて劉備は敗走し関羽は下邳で捕虜になります。
関羽は、ここで、袁紹軍の顔良を斬るなど大活躍をしますが、
その度に、曹操からもらった贈物は、封も切らないで置いておき、
一番最後に、曹操の元を去る時に全て返還しています。
一見、潔い態度ですが、裏から見れば、
「俺はあんたの家来じゃないから、特別な恩賞はいらない、、
いや、もうね、俺はあんたの家来じゃないから」
と念を押しているようにも見えて仕方がありません。
それにしても、曹操は禰衡(でいこう)といい関羽といい、
面倒くさい人を配下にするのが好きだったようです。
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三国志ライターkawausoの独り言
関羽のプライドの高さは、彼が庶民から成り上がったという事に関係します。
学問好きで能力も高かった関羽ですが、世間の偏見は厚く士大夫は、
彼を同列に用いようとはしませんでした。
そこで関羽は、特に自身と同格か上の身分の人間には対応が厳しく
配下の人間には優しいという性格を持つようになります。
同じように庶民だった張飛が、逆に上流の人間に憧れて従順になり、
逆に部下を見下して厳しかったのは対照的ですね。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。