文化の違いを理解すれば三国志がより分かる!日本と中国では、こういう所が大違い?

2016年3月23日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孝の為に故郷を滅亡寸前まで追いやる伍子胥(ごししょ)

 

 

 

一方で、春秋戦国時代の楚の武将、伍子胥は、暗君の平(へいおう)に、

父と兄を殺された事を恨み、敵国の呉に仕えて、楚に攻め込み、

滅亡寸前までおいやりました。

仇であった平王が死去している事を知った伍子胥は、怒りが収まらず

墓を暴いて白骨化した平王の遺体を300回、鞭で叩いて恨みを晴らしました。

 

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恨みを水に流さない孔子の教え

 

 

孔子は、恩を仇で返されたら、どのように対応すべきか?

と弟子に問われた時に、以下のように返答しています。

 

「恩に対しては恩で報い、仇に対しては直で報いるべき」

 

直(ちょく)というのは、自分の正直な気持ちという意味だそうです。

相手に恩を施したら、仇で返された、それで悔しい報復してやると

考えたなら、そうするのが正しいという意味です。

 

孔子は感情を無理に抑えるのは正しい道ではないと考えました。

彼には「己の欲さざる事を人に施す事なかれ」という言葉もありますが、

逆に考えると、それを知っていて敢えてやってしまうようなヤツには

実力行使も辞さないという考えも含まれるのでしょう。

 

日本的な、恩を施した事は忘れ、恨みは水に流すという考えは、

孔子の直で言えば、我慢している無理しているという考えなのです。

 

孝と忠が並ぶ時、中国人は孝を取る

曹丕皇帝

 

伍子胥のケースは極端だとしても、忠を取るか孝を取るかの極限では

中国人は、孝を取るという事が言えます。

例えば、漢の高祖劉邦は、秦の制度の多くを踏襲しますが、

郡県制だけは、そのまま真似せずに、劉氏の王を各地に立てた封国と

ミックスした郡国制を取っています。

 

その理由は、秦末に農民反乱が起きた時に、秦が任命した、

郡県の太守や県令達は、一族の保身を最優先にして、

誰も秦の為に反乱軍と戦おうとしなかったからです。

 

しかし、封国を置いておけば、封国は劉氏で皇帝の身内ですから

反乱が成功すると自分も滅ぼされる危険が増えるので、

戦争でも頼りになると考えたのです。

 

頂点が変わらない日本と変わる中国

皇帝いっぱい

 

中国と日本における決定的な違いは、頂点が変わらない日本と

頂点が目まぐるしく変化する中国の違いです。

 

日本においては、紀元4世紀から、天皇が権力と権威の頂点に君臨し

その後、貴族政権、武家政権が続き、権力を手放しても、

遂に権威のみの存在として21世紀の現在まで存続しています。

 

この長い年月で権力者は、まず天皇の承認を得なければ、

権力の頂点に就けないというルールを受け入れました。

 

貴族であれば、天皇に娘を与えて子供を産ませて、血縁になり

外戚となって権力をふるう方法、武家の場合には、

征夷大将軍の称号を受けて、幕府を開くというルールです。

この制度により、反対派を皆殺しにしないでも、天皇を抑えた側に

全てが従うという考えが産まれ、大虐殺が防がれたのです。

 

頂点を極める為に大量の人間を虐殺した中国

王莽

 

一方の中国では、権威のみの存在が出現しませんでした。

春秋戦国時代には、周が権威として君臨して覇者を任命し、

諸侯のバランサーとして機能しましたが、

これも秦の昭(しょう)王により滅ぼされて消滅します。

 

以後に出現した王莽(おうもう)も、曹丕(そうひ)も、

司馬炎(しばえん)も前王朝を存続させず、必ず滅ぼして

新しい王朝を建てました。

 

以来、すべての王朝は、これにならい、反対派を全て殺戮しないと

乱世が終わらないという状態が発生します。

不動の権威が、新しい権力を認めるという制度がないので、

ひたすら前の王朝を辱め、徹底的に罵倒し、破懐と虐殺を尽くして力を見せつけ、

恐怖心で反対派を従えるしか、方法が無くなってしまったのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

中国の歴史は、ダイナミックで、日本史のように

天皇というバランサーが存在しません。

しかし、その背後では、徹底した力による支配が敷かれ

背いた人間への報復も凄まじいものでした。

 

これは、積み上げてきた歴史の違いであり、

ひいては大陸と島国の違いでもありますので、

どっちが良い悪いではありませんが、

一見すると同じ民族と錯覚しそうな程に似ている

日中がまるで違う歴史と文化を持っているという事は

覚えておいて損はないと思います。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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