【衝撃の事実】死せる孔明、生ける仲達を走らせるは司馬懿の芝居だった!?英雄の波瀾万丈な人生に迫る!

2016年6月2日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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実は作戦的な撤退だった!?

司馬懿対孔明

 

五丈原の戦いにおいて有名なことば、「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」。

しかし近年、この説に異論を唱える学者や作家が現れている。

いわく、「司馬懿は孔明の死を分かっていたうえで、わざと騙されたふりをして撤退したのだ」。

どういうことかというと、長い五丈原の戦いで、兵站は伸び、士気は下がっていた。

このまま戦い続けると、長期戦になる可能性がある。それに、孔明を失った蜀は統率を失い、内部分裂するはずだ。

そこまで見抜いた司馬懿は、わざと敗走したふりをして撤退したというのである。

本当か!?と疑いたくなるような説だが、しかし、今までの研究が蜀及び孔明寄りだったのは確かである。

そこから離れた視点で三国志を考えてみるということが、これから求められてくるのではなかろうか。

と私は思います。

 

子だくさん

司馬懿 はじめての三国志

 

冷淡・淡泊なイメージとは異なり、実は子だくさんだった司馬懿

その子どもの数は、なんと九人!

本人が八人兄弟なことといい、司馬家の遺伝子には子だくさんの遺伝子が含まれているのでは……などと思ってしまいますね。

これでは臣下の出産祝いを送る曹丕や曹叡もさぞかし大変だったことでしょう。

 

司馬懿の作戦勝ち

司馬懿

 

曹叡に継ぐ曹芳(そうほう)の時代。

曹爽(そうそう)と司馬懿で曹芳を支えるよう曹叡に言われたことを無視して、

曹芳は司馬懿を閑職にまわし、やりたい放題権勢をふるっていました。

ちなみにこのとき、君主である曹芳はかなり冷遇されていたと言われています。

しかし曹爽、腐っても曹家。司馬懿が何か企んでいるのでは……と思って、部下を司馬懿のもとに使わせます。

それをあらかじめ見抜いていた司馬懿は、「司馬懿は年も年なのでボケてきている」という噂を流させ、

実際にやってきた曹爽の使者の前でも、完全にボケてしまったふりをしてみせます。

使者からこれを聞いた曹爽は大喜び。

もはや司馬懿畏れるに足らず、と歓喜します。

ところが! その後、司馬懿は曹爽の隙を狙って劇的なクーデターを起こします。

曹爽側でも司馬懿の実力が図り切れず、内部争いなどをしているうちに、司馬懿はあっと言う間に曹爽を攻略。

一瞬にして権力の座につきました。

 

司馬懿の最期

司馬懿

 

なんとこの時代にしては珍しい、89歳まで生きた司馬懿。

彼の死後は次男の司馬昭(しばしょう)が後を継ぎ、その後を継いだ孫の司馬炎(しばえん)は、

時の魏の王に王位を禅譲させることに成功します。

こうして成立したのが晋(しん)です。

つまり、司馬懿は新時代の幕開けを準備したといえましょう。

彼は他の三国時代の英雄たちよりも遅れて生まれはしましたが、紛うことなき英雄の一人だったのです。

 

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三国志ライター・秋斗の呟き

秋斗

 

というわけで、今回は司馬懿を紹介させていただきました。

私が司馬懿にはまったきっかけは、プレイもしていないのに他人の絵を見ていた三國無双がきっかけなのですが、

三國無双の外見はもちろん、史実を調べているうちに、どんどんと魅了されていきました。

とどめが北方謙三版「三国志」だったのはもちろんです。

改めて振り返ってみると、司馬懿は遅れて生まれてきた英雄、という感じがします。

 

孔明過労死

 

と言うより、周瑜(しゅうゆ)、孔明などの同年代の英雄たちが早死にしてしまったのが大きかったのだと思います。

彼らが長生きしていれば、また歴史は変わっていたことでしょう。

しかし、歴史にもしもはありません。

三国時代の最終的な勝者は、司馬懿だったとも言えるのではないでしょうか。

 

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草津仁秋斗

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■自己紹介: 三度の飯より歴史と本が好きな三国志女です。 イチオシは周瑜さま。周家の家人になって周瑜さまのおはようからおやすみまでを見つめたい日々です。 ■好きな歴史人物: 周瑜、項羽、土方歳三、今井四郎兼平 ■何か一言: 数少ないかもしれない女ライターですが、女ならではの視点でやっていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします!

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