春秋戦国時代

はじめての三国志

menu

三国志の雑学

あれほど豪華なメンツが揃っていた反董卓連合軍が董卓に負けた理由

この記事の所要時間: 330




袁術と袁紹の喧嘩

 

古来から中国の文化は関東と関西に分かれます。

関西は将を出だし、関東は相を出だすと云われている通り、軍事面で圧倒的に優れていたのは関西でした。

文武両道という言葉がありますが、中国は武より文を重んじる国です。

よって政治を関東が引っ張り、関西がそれに同調するというのが一般的な流れになります。

いろいろな側面がありますが、董卓とこの関東諸連合の戦いは、実は関西VS関東の戦いです。




三国志演義の虚構

反董卓軍010

 

三国志演義ではこの反董卓連合を「十八路諸侯」と呼んでいます。

しかし実際には連合に参加していない人物の名前も見られます。

馬超(ばちょう)陶謙(とうけん)、孔融(こうゆう)、公孫瓚(こうそんさん)などがそれにあげられます。

特に馬超は関西の人間です。関東に与するわけがありません。

この時代に名を馳せた有名な将軍に皇甫嵩(こうほすう)という人物がいましたが、

関西の出身で、董卓側についています。

また、三国志演義ではこの十八路諸侯が陳留に集結したとしていますが、

実際はかなりばらけて陣を敷いています。

陳留の酸棗(さんそう)に駐在していたのはリーダー格の張邈、

弟の張超、曹操、鮑信、橋瑁、袁遺、劉岱の七名です。

袁紹(えんしょう)は黄河の北にいましたし、袁術(えんじゅつ)孫堅(そんけん)は南にいました。




清流派の集団

孫堅

 

関東の反董卓連合の正体は、董卓によって用いられるようになった清流派知識人の集団です。

その筆頭が八厨に数えられた張邈でしょう。

関東軍は理想や志こそ高くても、軍事面において関西軍より未熟であり、

また、まとまりを欠いていました。

実際に戦闘したのは曹操、袁術、孫堅、王匡だけであると云われています。

他は連日宴会を開き、日和見状態だったそうです。

特に袁術配下の孫堅の強さは抜き出ており、

董卓の勇将・華雄(かゆう)を討ち取ったことで有名です。

董卓もこことだけは和睦を結びたがっていたようです。

 

関連記事:これは可哀想。。嫌な上司と呂布の謀略の為に死んだ正史の華雄(かゆう)

関連記事:呂布だけじゃない!こんなにいる董卓の優秀な側近4選

関連記事:董卓はどうしてデブになったの?真面目に考察してみた

 

兵糧切れ

孫堅

 

袁術が孫堅の活躍に嫉妬し、前線に兵糧を輸送しなかったことで孫堅が敗れたことになっています。

また兵糧を巡る争いでは、劉岱が橋瑁を討っています。完全な内部分裂です。

 

空腹の兵士

 

このように関東軍は絶えず兵糧の問題に悩まされていました。

やがて兵糧が尽きて一年ほどで連合軍は自然消滅してしまいます。

持久戦をすれば董卓が折れると予想していたのでしょうが、

退却しなければならなくなったのは関東連合軍の方でした。

 

関連記事:地味だけど超大事!三国志の時代の食糧貯蔵庫とはどんなもの?

関連記事:棗祇(そうし)とはどんな人?新しい兵糧収入法を考え曹操の覇業を支えた功臣

関連記事:偶然の遭遇から因縁の仲へ!孫堅と董卓は元同僚だった!?

 

長安への遷都

朝まで三国志 董卓

 

関東連合軍の敗北を決定づけたのは、董卓が洛陽から都を西の長安に移したことです。

このことで献帝は完全に関西の領土に連れて行かれることになります。

兵糧の問題を抱えており、兵站を延ばすことのできない関東連合軍は動きが取れなくなります。

危機を感じた曹操は必死にこれを追撃しますが寡兵のために敗れます。

袁紹は献帝の救出を諦めて、幽州の劉虞を新帝に立てると云い出す始末です。

この状況では誰も長安までの長距離の進軍はできなかったのではないでしょうか。

董卓の見事な作戦勝ちです。

 

関連記事:1800年前の古代中国に鉄軌道跡を発見、燃料不足解消か?長安から漢中までの鉄軌道

関連記事:洛陽に続き、長安でも好き放題をした董卓

関連記事:菫卓が死んだ後、長安はどうなったの?

 

結論

曹操 魏王

 

このように考えていくと、反董卓連合に勝ち目があったとは到底思えません。

仮に曹操がリーダーとなり、全軍が一丸となれていれば話は違ったかもしれませんが、

このときの曹操は兵を他人から借りるほど小さな勢力でした。

諸侯を率いることなど夢物語です。

董卓は関東諸侯の思惑がちぐはぐであることを見抜いていたでしょうし、

主力である袁紹と袁術の仲が悪いことも把握していたことでしょう。

戦わずしても勝てるとまで踏んでいたに違いありません。

反董卓連合は負けるべくして負けたと云えます。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

この戦いの一番の見せ場は、董卓側の華雄軍VS袁術側の孫堅軍の戦いでしょう。

「陽人の戦い」と呼ばれている激戦です。

ここでの敗北だけは董卓も予想外だったに違いありません。

袁術軍だけは関東軍のなかでは特異だったのかもしれません。

軍事面で関西に対抗できる唯一の勢力だったのではないでしょうか。

 


よく読まれている記事

曹操01

 

よく読まれている記事:曹操を好きになってはいけない6つの理由

 

朝まで三国志

 

よく読まれている記事:朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第1部

kawauso 投壺

 

関連記事:三国時代の娯楽にはどのようなものがあったの?タイムスリップして当時の人に取材してみた

 

袁紹 曹操

 

よく読まれてる記事:【三国志if】もし袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ってたらどうなってたの?

 

この記事を書いた人:ろひもと理穂

ろひもと理穂

■自己紹介:

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。

 

■好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

 

■何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 稀代の豪傑 魯粛(ろしゅく)|演義と正史では大違い?
  2. 呂布VS袁術、東西嘘合戦、勝利するのはどっちだ!
  3. 孔明の愛弟子であった姜維はなぜ孔明の後継者に選ばれなかったの?
  4. 【こんなに共通点】戦国一の智謀の持ち主・真田昌幸と魏の謀臣・司馬…
  5. 三国時代の税金の種類と分類をわかりやすく解説!税制がわかると三国…
  6. やり過ぎー!!!元祖、曹操オタクは陸遜の孫だった!?陸雲(りくう…
  7. 曹丕は幼い頃から父・曹操に戦へ連れて行かれてあの激戦も参加してい…
  8. 【司馬の八達】超厳しい父親に育てられた俊英・司馬朗の提案を聞かな…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 劉備と呂布を仲たがいさせよ!駆虎呑狼の計
  2. 司馬懿討伐をもくろんだ王陵の反乱はなぜ失敗に終わったの?
  3. 趙奢(ちょうしゃ)とはどんな人?趙の三大天最後の一人で政治・軍事両方に秀でた名将【後半】
  4. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース17記事【5/22〜5/29】
  5. 袁譚(えんたん)ってどんな人?めちゃくちゃ三男と仲が悪かった袁家の長男
  6. ひでえ!!孫権を騙して魏と戦わせた魯粛と周瑜が腹黒過ぎる

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

え?まるでバカ殿?三国志時代の愛されメイクを紹介。どんな風にお化粧してたの? 自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.6 史上最強の交渉術を備えた縦横家ってどんな人? 曹操の誤解を解く!荀彧を殺したのは本当に曹操なの? 西施(せいし)とはどんな人?中国四大美女の一人であり復讐の道具として生きることになった美女 45話:象対蟻か?袁紹vs曹操 さよなら戦国BASARA!イケメン真田幸村の不細工伝説 【月間まとめ】2016年2月の注目ニュース10選!

おすすめ記事

  1. 曹操が発明した酒、剣、兵書の数々が凄い!孔明も思わず嫉妬?
  2. 墨家(ぼっか)が滅んだ理由と創設者 墨子はどんな思想だったの?
  3. 曹操は健康オタク?三国時代のロングブレス健康法
  4. 朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第8部
  5. 始皇帝が中国統一後、わずか15年で秦が滅亡した理由|始皇帝がブサメンだったから?
  6. 項羽(こうう)ってどんな人?史上最強の孤独な戦術家 Part.2
  7. 張嶷(ちょうぎょく)とはどんな人?異民族討伐のプロフェッショナルだった蜀の将軍【前編】
  8. 【曹操を支えた賢才】卞氏がいたからこそ後ろを省みることなく曹操は戦い続けられた

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP