この記事の目次
4発目! 恩を仇で返されまくるのが凄い!
袁術は、恩を仇で返される係数が高いのが凄いです。
元、白波賊崩れの、楊奉(ようほう)と韓暹(かんせい)が
路頭に迷っているのを袁術は、拾ってやり、
呂布(りょふ)との戦いでは後方を任せるという、
重要な仕事を任せますが、呂布軍の陳圭(ちんけい)の計略で、
二人はあっさりと呂布に寝返り、袁術軍に致命傷を与える、
見事なオウンゴールを決めているのです。
さらに、元々は袁術の私兵だった部曲の陳蘭(ちんらん)と
雷薄(らいはく)は、途中で、袁術のエキセントリックさに
ついていけなくなり、逃亡して、山に籠って山賊になります。
そして、没落した袁術が、二人を頼った時には、その要請を拒否!
また、三国志演義では、逃げている袁術の一団を背後から襲って、
金品や食糧をごっそり奪い、あの感動が感動を呼ぶフィナーレ
袁術「は、はちみつ水飲みたい」料理人「んなもんあるか!」
へと繋げる重要な役割を演じています。
見事に恩を仇で返される袁術って、ある意味凄い!!
5発目! 時代の先を読んでいたから凄い!
袁術が西暦197年の正月に皇帝に即位したのを、
後世の歴史家は、口ぐちに罵りますが、それは間違いです。
実際、曹丕(そうひ)は西暦220年には、禅譲により後漢を滅ぼして、
魏王朝を建国していますし、劉備(りゅうび)は221年に、
これを受けて、蜀漢を建国し、孫権(そんけん)はそれより少し遅れて、
229年には呉王朝を建国しています。
彼らはすべて、袁術の後追いであり、袁術は、
それよりも23年も前に、後漢の滅亡を予見していたのです。
実際に、三国志は、袁術の仲王朝も含めて
四国志であるという意見を持つ人もいる位なのです。
周囲の反発を押し切って、新しい時代の扉を開いた袁術は、
マジ、パネェくらい凄いでしょう。
えっ?結局失敗したじゃないか?だって
何を言うんです、パイオニアに失敗はつきものですよ。
むしろ、袁術の失敗により、曹操は慎重になったというべきです。
袁術は身をもって曹操に帝位を宣言する難しさを教えたんですね。
6発目! 怒るポイントがずれているから凄い!
袁術は、誰よりもスターである事を望んでいました。
特に、異母兄弟とも伝わる袁紹(えんしょう)は、
容貌も立派で人望が高く、袁術はこれを憎んで嫉妬する事甚だしく、
袁紹の生母の地位が低い事を事あるごとに
世間に吹聴するという「お前の母ちゃん、でべそ」
レベルの中傷を行っています。
袁術が皇帝に即位した頃に、沛国の相に任命された
舒邵(じょしょう)は、贅沢三昧で、民が飢えるのを顧みない
袁術に呆れ、無断で十万斗の兵糧米を放出して救いました。
それを知った袁術、普通は命令に背いた事に
怒りそうですが、そうではなく、
「どうして、お前だけ人気者になろうとするんじゃ!
なーんで、朕に教えた上でやらない(泣)」
と一気に名声を得た舒邵に嫉妬心全開の内容で
これを処刑してしまいます。
いやね、こんな認めたくない嫉妬心をストレートに
出してしまう袁術 これもある意味、凄いです。
7発目! 袁紹に皇位を譲る時の状況分析が凄い
皇帝を僭称した袁術ですが、呂布を討伐しようとして、大敗し、
失地回復に小国、陳を併合しようとしたら、そこに曹操が出しゃばり
軍勢が破られた事で、絶対絶命の窮地に陥ります。
そして、袁術は悩んだ末に、皇位を異母兄弟の袁紹に譲る代わりに
身柄を匿ってくれと手紙を出します。
以下がその手紙ですが、おちゃらけたイメージの袁術が、
かなり激アツに、当時の状況分析をしています。
「漢は天意を失って長い、天下は乱れて、
実際の政治の実権は、各地の群雄が握っている。
そして、群雄は、お互いに相争い、世の中を分割してしまったのだ。
これは、周の末に戦国七雄が並び立った時代と変わらない。
ただ、強い者が乱世を束ねるのである。
そして、袁家こそは、漢に代わり天命を受けた群雄であり、
その兆しは随所にある。
君は今、四州を支配して、人民は百万、
領土の大きさでは並ぶものなし、徳の高さでは、比べる者とてない。
曹操めは、衰えた漢朝を助けて、死にかけた王朝を回復させようと
望んでいるようだが、もう絶えてしまった天運をどうやって、
復活させられるというのか?
敢えて言おう!漢は滅び、袁家は立ったのである。
君に聖なる使命を託す、私を継いで、王朝を立てよ!!」
これを読んだ袁紹は、密かに頷いたと言われています。
ただのお笑いキャラではない、袁術の本気の情勢分析は、
結構、凄いです。
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三国志ライターkawausoの独り言
常に、皇帝僭称で悪く言われる袁術ですが、その先を見る目は確かで
その後の曹丕も、孫権も、袁術の言い分を焼き直して、自身の即位の
正当化に使っているようです。
特に、袁紹に帝位を譲る時の状況分析は正確で、
思わず袁紹も密かにうなづいてしまっています。
ただのアホではない、(と言って、メチャ英雄でもない)点が、
袁術の魅力だと言えるでしょう。
本日も三国志の話題をご馳走さま。
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