劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)が天下の覇権を決めて戦っていた楚漢戦争時代。この時代劉邦の命令によって広大な土地を平定して、漢楚と同等の力を手に入れることに成功した漢の大将軍韓信(かんしん)。
彼は漢と楚に匹敵する勢力を築き上げることに成功しますが、史実では独立することなく、そのまま漢の天下統一戦に貢献。もし韓信がこのような広大な領土をもって漢に背いて独立したら歴史はどうなっていたのでしょうか。そこで今回は韓信が独立していたらどうなっていたのかを戦記物にして紹介していきたいと思います。
関連記事:漢の400年は、たった8年の激しい戦いから生まれた?三国志の前哨戦、楚漢戦争!
関連記事:韓信が井陘口の戦いで使ったのは背水の陣だけではなかった!
この記事の目次
まずは韓信が行った平定戦から説明
韓信を知らない人や彼の名前は知っているけどなにしたのかわからない人の為に、韓信が行った三つの国(魏・趙・斉)平定戦からご紹介していきたいと思います。
漢王劉邦の命令によって魏を平定
韓信は漢王劉邦の命令に従って非常に少ない兵数のみを引き連れて、魏の平定に赴きます。魏王であった魏豹(ぎひょう)は対岸にいる韓信軍を警戒して彼らの軍勢が河を渡ってくることができないようにするため、大軍を配置。
韓信は囮を用いて魏の対岸に布陣している大軍を欺いた後、魏の大軍がいない場所から対岸へ渡った後、魏の首都大梁(たいりょう)を攻撃。魏豹は韓信が大梁へ攻撃を仕掛けてきたことに対して大いに驚き、すぐに大梁へ引き返していきます。
韓信は魏軍が引き返してきたと知ると魏豹の軍勢を大いに撃破して大勝利を得ます。こうして魏を平定した韓信は劉邦から次なる命令が届き、趙を平定するように命じられます。
背水の陣を用いて趙軍を木っ端微塵に打ち砕く
韓信は中国の北方に位置する趙を平定するため、進軍を開始。趙の国に入るための狭い道である井陘(せいけい)にたどり着くと、彼は趙軍の調査を開始。その間諸将を集めて軍議を開き、早朝本陣は川の近くに布陣させて、それ以外の軍勢は出撃して趙軍へ猛攻をかけると決め解散させます。
その後趙軍を調査してきたものからの報告を受けると韓信は別働隊を密かに編成し、別働隊を率いる隊長へ「趙軍が砦からすべての兵士を出撃したのを調べた後、砦へ攻撃を仕掛けろ」と命令を下してから睡眠をとります。
翌早朝、韓信は本陣を川の近くへ布陣させた後、本陣を守備する兵を残して全軍で趙軍へ攻撃を仕掛けます。そして韓信は趙軍へある程度攻撃を仕掛けた後に撤退するように指示を出します。韓信の軍勢が退いていく姿を見た趙軍は全軍で追撃を開始し、砦には一人として守備軍を起きませんでした。
その後空になった砦へ韓信の軍勢が占領して、漢軍の旗を高々と掲げて勝鬨をあげます。趙軍は韓信軍を攻撃していたのですが、背後から漢軍の勝鬨と軍勢が迫っているとの報告を受けた趙軍は崩壊。趙王は襄の地で斬られ、趙の宰相であった陳余(ちんよ)も殺害したことで、趙の地の平定に成功します。
酈食其の外交によって斉は降伏
酈食其(れきいき)は漢王劉邦の命令によって斉を降伏させてこいと命じられます。彼は劉邦の命令に従って斉の首都へ到着し、斉王田広と宰相田横(でんおう)と会見。
酈食其は漢と楚を比較してどちらが優れているのか、また項羽と劉邦どちらが上なのかをつぶさに分析してた例を挙げた後、漢と同盟をしてくれないかと伝えます。田広と田横は大いに悩み重臣達とも何回も会議を繰り返した結果、酈食其の提案に合意。
こうして漢と斉の同盟が成立することになります。斉は漢と同盟を行ってことで漢との国境付近兵を全て引き上げさせることにします。
韓信の軍師の提案
韓信は戦術の天才と言っても過言ではありませんが、大局的視野から見た戦略などが甘かったので、その欠点を補うために軍師と呼ぶ存在を一人仲間にします。
その名を蒯通(かいつう)。彼は酈食其が斉を降伏させたことを知ると韓信へ「将軍。あなたが築き上げてきた数々の武功より酈食其の舌先三寸の言論の方が功績が高いと世間に思われるでしょう。
また漢王から攻撃の中止命令が伝わってきていないため、このまま攻撃しても罪に問われることはありません。」と進言。この進言を聞いた韓信は進軍中止を全軍に伝えようと考えていたが蒯通の進言を聞いて中止し、斉へ攻撃を開始することにします。
蒯通の進言を受け入れて斉を攻略
斉へ進軍を開始した韓信(かんしん)は難なく斉の攻略に成功。斉王であった田広は漢軍が国境を攻撃してきたことを知り、大いに激怒して酈食其(れきいき)を釜茹での刑で煮殺した後、高密(こうみつ)城へ撤退していきます。こうして韓信の攻撃によって斉の大半を手中に収めることに成功します。
猛将・竜且を撃破
斉王である田広は楚と同盟し援軍を要請します。項羽は大軍の援軍を猛将・竜且(りゅうしょ)に率いさせて斉へ向かわせます。竜且は斉の領土に入ると城外に布陣して漢軍がやってくるのを待ちます。
韓信は自ら軍勢を率いて高密へ到着すると、高密付近に流れる河を上流からせき止めさせて起きます。その後韓信は竜且へ攻撃を開始。竜且も韓信軍へ猛攻をかけてるべく対岸の河を渡って総攻撃を行います。
こうして始まった楚軍vs漢軍の戦いですが、韓信はある程度敵と戦ってから全軍の撤退を命じます。その後韓信軍は楚軍がある程度河に入った頃を見計らって、上流のせき止め地を崩壊。そして河の水量が一気にました事で楚軍は大半が流されてしまい、対岸へ渡った楚軍はほとんどが討ち果たされてしまいます。
こうして援軍にきた楚軍を全滅させることに成功した韓信は高密城に残っている斉王田広を討ち、斉の平定に成功します。
魏・趙・斉の三国を平定し、漢・楚の領土に匹敵
韓信はこうして三国平定に成功し、後に燕も降伏させることに成功させ中国北部のほとんどをその支配下に収めます。
そして天下には漢の劉邦・楚の項羽・そして三国を平定することに成功した斉の韓信の三つの勢力が並び立つことになり、あたかも後年の三国時代に似たような状況が訪れることになります。
蒯通の進言
蒯通は韓信が広大な領土を保有することに成功したことを危ぶみ、彼に一つの提案を行います。その提案は「将軍。今斉の地を平定することに成功し、魏・趙・斉の三国を保有することになったことで天下は三分されている状態です。
また将軍は莫大な軍功を残されていることから、漢王が天下平定に成功した後必ずあなた様は迫害され、殺害されることになるでしょう。そしてあなた様が生き残るためには漢から独立して、楚と同盟を結び、漢楚の決戦で両者が疲弊したところを攻撃することで天下はあなた様の物になるでしょう。」と提案します。
この提案を聞いた韓信は大いに悩むことになります。そして史実ではこの提案を悩んだ挙句に断り、蒯通は韓信に謀反を勧めたことが明らかになる前に、軍の中から逃亡して行方をくらますことになるのです。
もし韓信がこの提案を受け入れていたら・・・
もしこの時、韓信が蒯通の提案を受け入れて漢から独立を果たしていたらどうなっていたのでしょうか。ここから史実とは違った韓信を記してみたいと思います。
韓信が蒯通の意見を受け入れる
韓信は蒯通の意見を受け入れて独立する決意を固めます。そしてついに斉の地で韓信は独立すると早速項羽率いる楚軍と同盟を果たします。その後漢との国境近くの防備を固めた後、斉の近くにある島にいる田横を降伏させるべく幾度も使者を送り、根気よく斉へ降伏するように説得を行います。この結果田横は韓信に降伏する決意を固めて、韓信へ仕えることになります。
楚は勢いを失い広武山で和睦
楚と漢は両者決めてに欠きながら広武山で長い対峙を行っておりました。しかし劉邦から楚へ和睦の条件を提示して、楚も兵糧が欠乏していたことがきっかけとなり劉邦と和睦を行う決断をします。こうして長きに渡った漢楚決戦は両者決着を見ることなく、和睦という形で終幕することになります。
力を蓄える
韓信(かんしん)は漢と楚が和睦したことを知ると力を蓄えるため、斉王の位に付き内政を担当させる為に田横を宰相に任命すことで斉の人民からの反発を弱めることに成功。こうして楚漢戦争時代で荒廃しきった土地を少しずつ回復させ、生産力向上に努めるとともに漢との国境線の防御力を固めていきます。
漢楚決戦再び・・・
韓信が力を蓄えている間に再び漢と楚が決戦を行います。本拠地である楚の地をなくしていた項羽(こうう)は彭城(ほうじょう)へ帰還。そして兵達に休息を与えた後。漢との再度の決戦を行うため、兵糧を集めるを行います。
しかし彭城近辺には大量の兵糧を集めることに失敗。そして力を蓄えることに成功した漢王劉邦(りゅうほう)は項羽がこもる彭城へ包囲を行います。劉邦軍は包囲が完成すると彭城へ一斉攻撃を行いますが、項羽は漢軍が攻撃を仕掛けてくると反撃し撃退することに成功します。項羽は彭城が攻撃されると一箇所へ攻撃を行い漢軍を撃退することに成功しますが、すぐに修復されることになります。
こうして幾度となく攻防戦を繰り広げていくことに成功しますが、項羽軍は兵糧が少なく兵士の元気が次第になくなってきたことも有り、彭城は陥落してしまいます。こうして劉邦を幾度となく死地へ追い込んだ西楚覇王・項羽は敗北し討ち取られ、楚は滅亡することになります。
一人の名将が韓信を頼る
楚が滅亡した時に一人の名将は漢軍に捕まることなく彭城から脱出することに成功。そして韓信が領土としている斉へ逃亡することになります。斉へ逃げた楚の名将とは季布(きふ)と言います。彼の一諾は千金に値すると言われ、一度了承した約束は絶対に守ると言われている信義に厚い名将で、戦も非常にうまい名将です。
そんな彼は韓信の元へ逃げてきます。韓信は季布が自らの元へ逃げてきたとの報告が入ると早速彼を招いて、臣下に加わってくれるように懇願します。季布は韓信の要請を受けて彼に仕えることを決めます。こうして韓信軍に名将が加わったことで大いに戦力が増強することになります。
北東南から包囲
天下の半ばの平定した劉邦は韓信の斉を攻略するため、北・東・南から韓信を包囲。更に張良(ちょうりょう)と陳平(ちんぺい)による韓信の配下に対して切り崩し工作を実行することで、内部から韓信軍を崩壊するべく努めます。
韓信は漢軍が北・東・南の三方向から包囲作戦を実行してきたとすると自ら軍勢を率いて、包囲の一角を切り崩すべく攻撃を開始します。また東には田横を配置して漢軍の侵入を防がせて、南から包囲を行ってきた漢軍へは季布を配置して漢軍からの攻撃を防がせます。こうして三方を防御する手当を行い、漢軍vs韓信軍の戦いが開始されます。
韓信の罠にかかった盧綰・曹参
北から斉を包囲していた漢軍の将軍である劉邦の古参の将軍盧綰(ろわん)と曹参(そうしん)は韓信が自ら軍勢を率いて出陣してきたことを知ると、韓信軍が到着する前にしっかりとした砦を築きます。
韓信は盧綰と曹参が防備を固めた砦にこもっていることを知ると、少数の兵で砦を包囲させます。その間に二人がこもっている砦を無視して、漢の北にある諸城の攻略を行い漢軍をおびき寄せようとします。盧綰と曹参は韓信が砦を無視して北の漢の諸城を攻撃していることを知ると盧綰が慌てて、漢軍の諸城を攻撃している韓信軍を攻撃しようと城を打って出ようとします。
曹参は盧綰に「今この砦を放棄して漢の諸城の救援に向かえば韓信の思うツボだ。ここは漢の諸城救援を諦めて、韓信が撤退するまで待ち、彼が撤退した後に諸城を奪え返せば良い。」と説得しますが、盧綰は彼の言うことを聞かずに出撃します。盧綰の出撃を止められなかった曹参は、盧綰を見捨てるわけには行かず彼とともに砦を捨てて出撃します。こうして二人は韓信の罠に引っかかってしまうことになります。
韓信の策により包囲網が破れる
盧綰(ろわん)と曹参(そうさん)は漢の領土が韓信の軍勢に攻撃されていることを知り、漢の城救するため砦から打って出ます。韓信は漢の二将軍が砦から出陣してきたとの報告を受けると、迎撃の陣を敷き、彼は騎兵隊を別働隊として出陣させ、漢軍が居なくなったであろう砦へ向かわせます。
こうして万全の態勢を整えて漢軍がやってくるのを待ち構えます。盧綰と曹参は城に向かう途中で韓信軍を発見。曹参は「攻撃を仕掛けるか。」と盧綰へ問います。
盧綰は「やろう。ここで韓信軍を倒すことができれば、城を救出したことになる」と
曹参の意見に賛成し、韓信軍へ攻撃を開始。韓信は二将軍が攻撃を開始してくると全軍に攻撃命令を出し、両軍は激しくぶつかり合います。漢軍と韓信軍は初めは互角の戦いを繰り広げておりましたが、時間が経過するとともに兵数が少ない韓信の軍勢が押され気味になっていきます。
韓信は押され気味になる自軍を押しとどめることができずに、崩れていくことになります。盧綰と曹参は韓信軍へ猛烈な追撃を行おうとしたその瞬間、後ろから伝令がやってきます。伝令はふたりの前に着くと「将軍。砦が韓信軍に取られ、敵軍が後方からやってきます。」と息を切らせながら報告。
この報告を聞いた二将軍は自分達が挟撃される危険性が出てきていることを知り、とりあえずこの場から撤退することを決め、軍勢をまとめて韓信軍を追撃するのではなく、救出するはずであった城へ逃げ込みます。
韓信軍は別働隊をやり過ごしてた二将軍に追撃をかけますが、漢軍の逃げ足は早く大した損害を与えることができませんでした。しかし斉への包囲網を崩すことに成功します。
漢王の攻撃を防ぎきれなかった
北の漢軍を打ち破ることに成功した韓信は、盧綰と曹参が篭る城へ攻撃を仕掛けずに撤退します。
城を攻撃しなかった理由は、攻城兵器がなかったことと時間がかかりすぎるからです。そのため彼は攻城戦を行うことなく撤退していくことにします。韓信は斉へ帰還する途中に驚くべき報告を受けます。
その報告とは季布が漢王劉邦率いる漢の大軍に敗北して、討ち死にしたの報告でした。そのため南から漢軍がなだれ込み、斉の各地の城を攻略しているとのことです。この報告を聞いた韓信はとりあえず首都である臨輜(りんし)へ退却します。
漢王を討ち果たすため、友軍になる
韓信は臨輜へ帰還すると先に帰還していた田横と偶然合うことになります。
田横は「王よ。これからいかがする」と今後の方針について訪ねます。
韓信は「とりあえず斉の都である臨輜の防備を固めようと思う」と答え、兵糧はどの程度この城に備蓄があるのか、また武器などの備蓄量など様々なことを聞いて、兵糧・武器など十分な量があることを知ると田横へ
「よし。それでは臨輜で籠城をはじめようではないか。まず漢王が来る前に崩れている城壁を直した後、住民を避難させ、軍の兵隊と将軍のみが残るようにせよ。そしてあなたには籠城軍の総大将をしてもらう。
私は城外に出て漢軍を脅かす存在でいよう」と述べた後スタスタと田横の前を過ぎ去っていきます。田横は韓信の後を追い「王は臨輜で共に篭城なさるのではないのですか。」と再度質問します。韓信は田横の方を振り返って「当たり前であろう。籠城は援軍があってこそ意味が有る。現在斉に援軍を送ってくれるところはなない。とういうことは漢王を討ち果たして漢軍を
撤退させるしか方法がない。そのためには城内で籠っていては劉邦を討つことなどできまい。ならば城外へ打って出て漢王を討つしかあるまい。」と行った後再び歩いて行ってしまいます。こうして韓信は新たに軍勢を編成し直した後漢軍が来る前に韓信は出陣。
田横はまず臨輜に住む住民達を城外へ避難させた後、崩れた城壁や燃えやすい家屋などを打ち壊して火計が行われないようにします。こうして黙々と準備をすること2ヶ月ついに漢王の軍勢が臨輜へやってきます。
【後半に続きます】
次回記事:【韓信独立戦記】韓信がもし独立したら歴史はこうなったかも!?【後半】